少年の食べる力と食べない力

小津安二郎のうまいもの(4)

令和を迎えて最初の回。おかげさまで本連載も200回を超えて今回が第201回。そこで、初心に帰って、連載開始時に見てきた「小津安二郎のうまいもの」をまた取り上げたい。昭和初期の小津安二郎監督作品「大人の見る繪本 生れてはみたけれど」を、劇中に登場する食べ物を通して読み解いていく。

暗い時代を明るく描く

 本作は、都心の麻布から池上線沿線の郊外(当時の蒲田区矢口町辺り)に引っ越してきた吉井家の長男・良一(菅原秀雄)と次男・啓二(突貫小僧)の兄弟が、地元の子供たちと反目しながら次第に自分たちのポジションを築いていく子供の世界と、吉井兄弟の父でサラリーマンの健之介(斎藤達雄)が出世のために上司で兄弟の同級生・太郎(加藤清一)の父・岩崎専務(坂本武)へのご機嫌取りに励む大人の世界の対比を描く。

 後期の小津作品にはあまり見られない移動撮影を多用した作品である。原作のゼェームス・槇、潤色の燻屋鯨兵衛はいずれも小津のペンネームである。

 製作された1932年(昭和7年)頃の日本は、1923年(大正12年)に発生した関東大震災から立ち直りつつあったものの、1929年のウォール街大暴落前後の昭和恐慌、1931年に発生した満州事変、犬養毅首相が暗殺された1932年の五・一五事件と、後の戦争へと続く暗い影が忍び寄っていた時代と言われている。小津はこの時期、流行語にもなった「大学は出たけれど」(1929)をはじめ、「落第はしたけれど」(1930、本連載第57回参照)、「東京の合唱」(1931)等で不況による就職難やリストラを題材とした作品を多く手がけている。しかし、その作風に暗さはなく、むしろエルンスト・ルビッチ等のハリウッド製ソフィストケイテッド・コメディに影響を受けたモダンなタッチで小市民の生活をコミカルに描写しながら重いテーマに鋭く切り込む姿勢を貫いており、本作はそうした初期の小津スタイルの集大成的な作品となっている。

子供たちの儀式“ごっこ”

雀の卵を飲むガキ大将の亀吉。手前で泣いている子供は母親が書いたと思われる看板を背負っている。
雀の卵を飲むガキ大将の亀吉。手前で泣いている子供は母親が書いたと思われる看板を背負っている。

 本作の舞台となる町の子供社会は、ガキ大将の亀吉(飯島善太郎)を頂点とするヒエラルキーが確立している。そこに吉井兄弟という新参者が出現。亀吉は自分が一番であることを子分たちに証明するために兄弟を服従させようとする。喧嘩に勝って相手を泣かせれば主従関係は成立(泣くポーズまで決まっている)。忍術のようなポーズをとって相手を地面に転ばせ、十字を切って手をかざしたら起き上がってよいというのが服従の儀式である。

 まずは啓二が一人でいるところを襲い、食べていたパンを奪う。このとき真っ先にパンを取ったのはいちばん下っ端の年少の子供だが、その背中にはこんなことが書かれた大きな札が下げられている。

「オナカヲコワシテヰマスカラ ナニモヤラナイデ下サイ」

 母親が食い意地の張った子供を心配して書いたものと思われるが、“戦利品”はリーダーからというのが順序で、この子もすぐに泣かされてしまうことになる。

 啓二のかたきを討とうと良一が亀吉に挑むが決着は付かず。学校に来たらひどい目に会わせると脅された兄弟は、両親には学校に行くふりをしながら、原っぱに“通学”して弁当を広げる日々を過ごす。

 亀吉が強さの源とばかりにたびたび飲んでみせるスズメの卵も、子供社会の中で権威を誇示するための儀式と言える。亀吉への対抗上、良一は家の軒下のスズメの巣から卵を見つけ出すが、まだら模様の殻の色や匂いが不味そうで飲む気になれない。そこでジャック・ラッセル・テリア(この辺の犬種選択もモダンである)の愛犬エスの餌に混ぜて試してみることに。

「これ食べたからエス 喧嘩が強くなるよ」

 数日後、抜け毛の症状が出て獣医に薬を処方されるエスを見て、良一の頭髪を気にしながら啓二がいう。

「兄ちゃんもあの薬を少し飲んどいた方がいいかも知れないよ」

 この亀吉と吉井兄弟の争いは意外な形で収束に向かう。吉井家に出入りする酒屋の御用聞き、新公(小藤田正一)は、大人社会では最下位だが子供社会ではガキ大将OBとして最強の存在。本作では唯一大人と子供の両方の世界を行き来する人物として描かれている。新公は啓二から「今日は父ちゃんの給料日だから母ちゃんはビールを頼むはず」という内部情報を聞いて注文が取れたことへの礼に亀吉を懲らしめ、泣かされた亀吉のグループ内での権威は急降下。トップの座を奪った吉井兄弟は、例の服従の儀式も継承する。

 この子供たちの儀式“ごっこ”が、大人の冠婚葬祭をモチーフとした後期の小津作品に繋がっているかと思うと興味深い。

“食べないこと”とおむすび

※注意!! 以下はネタバレを含んでいます。

 子供社会では最強の新公も、一番の得意先の家の子供である太郎には手を出せないが、吉井兄弟は力がすべての子供社会の中で太郎を従わせ続ける。あるとき、誰の父ちゃんがいちばん偉いかという話になったとき、上司である太郎の父よりも自分たちの父の方が偉いと言わせたのは少しやり過ぎだが、この父に対する尊敬の念は、父のある行為によって一気に幻滅に転じる。それをやらなければお前たちはご飯を食べることができないぞという父に対し兄弟はハンストを宣言。食べることではなく食べないことが映画を動かす逆転現象が生じる。

 翌朝、庭のベンチに居座って父と食卓を囲むのを拒絶する兄弟の様子を見ながら、父が妻にいう。

「むすびでも拵えてやれよ」

 子供に面目を潰され妻からも子供への対処の仕方を責められた父は、無理に食卓につかせるのではなく、自分の方からおむすびの皿を持って歩み寄ることで和解を図る。空腹を枕の中の小豆や庭の草を噛むことで紛らわせていた兄弟もついにおむすびに手をつけ、現実を受け入れて大人になるまでのモラトリアムを楽しもうとする。

 家族の絆を結び直すおむすびを三人並んで頬張る姿を捉えた縦構図は、小津作品では見慣れた「調和のショット」。新元号「令和」の英訳は“Beautiful Harmony”とのことだが、小津作品にこそふさわしい言葉と言える。


【大人の見る繪本 生れてはみたけれど】

「大人の見る繪本 生れてはみたけれど」(1932)
作品基本データ
製作国:日本
製作年:1932年
公開年月日:1932年6月3日
上映時間:90分
製作会社:松竹蒲田撮影所
配給:松竹キネマ
カラー/サイズ:モノクロ/スタンダード(1:1.33)
音声:サイレント
スタッフ
監督:小津安二郎
原作:ゼェームス槇
脚色:伏見晁
潤色:燻屋鯨兵衛
撮影・編集:茂原英朗
美術監督:河野鷹思
キャスト
吉井健之介(父):斎藤達雄
吉井英子(母):吉川満子
吉井良一(長男):菅原秀雄
吉井啓二(次男):突貫小僧
岩崎壮平(専務):坂本武
岩崎の妻:早見照代
岩崎太郎(専務の息子):加藤清一
新公(酒屋の小僧):小藤田正一
亀吉(ガキ大将):飯島善太郎
伊藤先生:西村青児
遊び仲間:藤松正太郎、葉山正雄
映写機を回す部下:笠智衆

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。