「イースター・パレード」のレストランとバー

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今年のイースター(復活祭)は、4月16日(日)だった。外食業や食品関連業界でもクリスマスやバレンタイン、ハロウィーンに続くビジネスチャンスととらえ、ホリデーイベントとして定着させようとする動きもあるようだ。それに伴って、イースターのシンボルであるイースターエッグ(彩色するなどした卵)や、それを運んで来ると言われているウサギの関連商品を扱うところも増えてきた。

 今回は1948年製作のミュージカル映画「イースター・パレード」を通して、アメリカでのイースターの楽しみ方を見てみよう。

マンハッタン5番街名物のイースター・パレード

「イースター・パレード」は、ライオンが吠えるオープニングロゴで知られ、「ザッツ・エンターテイメント」(1974)で観られるような数多のミュージカルの名作を生み出してきたMGMの製作である。当初は「巴里のアメリカ人」(1951)や「雨に唄えば」(1952)のジーン・ケリーが主演する予定だったが、けがのため降板。「ブルー・スカイ」(1946)で映画界引退を宣言していたフレッド・アステアが復帰して代役を務め、「オズの魔法使い」(1939)のジュディ・ガーランドと共演している。

 1912年のイースターから翌年のイースターにかけてのニューヨークが舞台。ニューヨークでは現在に至るまで、イースターの日曜日に派手な帽子や仮装で着飾った人々が、マンハッタン5番街の目抜き通りを練り歩くイースター・パレードが恒例行事となっていて、この時代にはブロードウェイのスターがファンやメディアに晴れ姿を披露するレッドカーペット的な役割を果たしていたという。それがこの映画のタイトルとモチーフになっている。

無駄になったぬいぐるみと注文されなかったサラダ

身振り手振りで“サラダ・フランソワ”のレシピを説明するフランソワ
身振り手振りで“サラダ・フランソワ”のレシピを説明するフランソワ

 本作では、登場人物の行動が徒労に終わることがストーリーを動かしたり、コメディ的要素を加える原動力となっている。

 たとえばイースターの前日、アステア演じるブロードウェイ・ミュージカルのトップダンサー、ドン・ヒューズが、場末のコーラス・ガールから彼とパートナーを組むダンサーに育て上げ、現在では弟子以上の感情を抱いているナディーン(アン・ミラー)に、イースターにちなんでウサギのぬいぐるみをプレゼントしようと玩具店に行くシーン。先に来ていた男の子にお目当ての品を取られ譲ってくれそうもない状況で、彼はその子一人のためだけに見事なタップダンスを、その場にある商品を使って即興で披露する。男の子の関心がウサギのぬいぐるみから逸れた隙に奪還しようという、彼の大人げない作戦はまんまと成功するが、その足で会いに行ったナディーンには、ペアを解消して移籍し、ソロダンサーになると通告されてしまう。

 結局イースターバニーは無駄になってしまい、ドンはバーでやけ酒をあおり、酔った勢いでその店の歌手兼ショーの踊り子で、本格的なダンスに関しては素人のハンナ・ブラウン(ジュディ・ガーランド)を“第2のナディーン”にすべくスカウトしてしまったことから、彼が彼女をパートナーに育てるという物語が動き出すのである。

 また、本作でいちばんかわいそうなウェイター、フランソワ(ジュールス・マンシン)が登場する二度のレストランのシーン。一度目はドンとナディーン、ドンの親友でナディーンが好意を寄せるセレブ育ちの教授、ジョニー・ハロー(ピーター・ローフォード)が相次いで訪れるが、高級レストランにふさわしいフランソワの給仕にもかかわらず、結局誰も何も注文せずに帰ってしまう。そして二度目。ハンナとジョニーを迎えたフランソワは、ビーフストロガノフの注文を取った後、サラダのおすすめとして彼の父祖伝来の“サラダ・フランソワ”のレシピを、身振り手振りを交えて事細かく説明する。

スパイスはインドから

ハーブはアフリカから

グルメにはガーリックをボウルの中でこする

パテはフランスから

卵はニワトリから

レモンは冷酷無情に絞る

チーズはイタリア産をぶっかける

バミューダ産のタマネギを薄切りに。これがサラダに香りと輝きと爽やかさを添える

混ぜては投げ上げ、投げ上げては混ぜ……

 食材の産地ごとにその国の言語を口真似し、タマネギのくだりでは涙を流してまで熱演するフランソワに、ハンナは、ハンナというより“素”のジュディともとれる反応で笑い転げるが、ジョニーはあっさり一言。

“I don’t think so.”(やめとく)

 そしてハンナとの会話が終わると、注文をキャンセルして帰ってしまうのだ。いかにもセレブらしいKYな反応だが、そんなことは慣れっことばかりに最高の“おもてなし”に努めるフランソワのプロフェッショナルな給仕ぶりは、本筋とは関係なく印象に残る。

 フランソワを演じたジュールス・マンシンは本作が映画デビューだが、このピン芸が評価されたのか、翌年の「踊る大紐育」では、ジーン・ケリーとフランク・シナトラと共に主演の水兵3人組の1人に抜擢され、コメディリリーフを務めている。役柄とはいえ、フランソワの苦労も少しは報われたといったところだろうか。

 ところで、ジョニーが雨宿りでハンナと出会い、一目ぼれする食堂の店先のシーンの直前、ハンナがこの店で食べていたのは、パイとローストビーフとミルク。会計は15セント(現在のレートで約16円!)で、当時の物価に照らしても破格であり、お財布にやさしいランチである。

人生相談バー

 本作に登場する飲食店で、フランソワのレストランと双璧をなすのが、ドンとハンナの出会いの場となったバーである。そこには客の悩み事に応じて酒の調合を変えることができる“アテネ詩人”ことバーテンダーのマイク(クリントン・サンドバーグ)がいる。彼は言う。

「ここで人生を勉強した バーは悩み事相談所だ」

「話を聞いて15年 人の悩みは2つに分かれる 女と母親だ」

「孤立無縁の人はいない 人は皆、島ではない 大陸の一部だ」

 そんなマイクの“格言”が、悩む人々の心を和ませている。

 そして1年後のイースターの前日、苦労の末にドンのパートナーとしてブロードウェイの舞台で成功を収め、ドンとの恋愛も成就したハンナだったが、その後、嫉妬したナディーンにドンを取られてしまい、傷心を抱いて訪れたのが古巣のこの店だった。

 彼女がスターになったことを祝福するマイクに、ハンナは今の気持ちを隠そうとするが、彼女のそんな心情を察したマイクは、彼女にそっとシャンパンを差し出し、一篇の詩を捧げる。

「しおれるバラに花咲くバラ 消える愛の後に花開く愛がある」

 これに対しハンナは、“Better Luck Next Time”(2度目の幸運はない)という歌で返すのだ。

 この後、すれ違うドンとハンナの想いが“復活”するイースター・パレードがフィナーレの舞台となるのだが、ラストの展開については実際に映画をご覧いただきたい。


【イースター・パレード】

「イースター・パレード」(1950)

作品基本データ
原題:Easter Parade
製作国:アメリカ
製作年:1948年
公開年月日:1950年2月14日
上映時間:103分
製作会社:メトロ・ゴールドウイン・メイヤー映画
配給:セントラル
カラー/サイズ:カラー/スタンダード(1:1.37)
スタッフ
監督:チャールズ・ウォルターズ
脚色:シドニー・シェルダン、フランセス・グッドリッチ、アルバート・ハケット
原作:フランセス・グッドリッチ、アルバート・ハケット
製作:アーサー・フリード
撮影:ハリー・ストラドリング
作詞・作曲:アーヴィング・バーリン
振り付け:ロバート・アルトン
キャスト
ハンナ・ブラウン:ジュディ・ガーランド
ドン・ヒューズ:フレッド・アステア
ジョニー・ハロー:ピーター・ローフォード
ナディーン・ヘイル:アン・ミラー
フランソワ(ウェイター):ジュールス・マンシン
マイク(バーテンダー):クリントン・サンドバーグ
エシー(ナディーンの付き人):ジェニー・ルゴン

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。