トイレに食事をしまったJAL機。食品衛生だけの問題ではない

日本航空の別な機材。忘れ物に注意
日本航空の別な機材。忘れ物に注意
日本航空の別な機材。忘れ物に注意
日本航空の別な機材。忘れ物に注意

2008年2月6日、日本航空の釜山発成田行きの旅客機が、軽食を積んだギャレーカート1台をトイレに収納して離陸していたことが分かった。釜山で空のカートを降ろし忘れ、所定の位置に収納できないカート1台があるのを、客室乗務員が離陸寸前に発見。咄嗟の判断でそれをトイレに押し込んで離陸した。上空ではカートの中身の軽食を通常通りサーブし、成田に着陸するときは再びそのカートをトイレにしまったという。

 旅客機内のカートは、しっかり固定していなければ重大な事故に直結する。昨年11月にスカイマーク機のカートが客室内を暴走して乗客にけがを負わせた事故も、記憶に新しい。恐らく、この日本航空の客室乗務員も、問題のカートを発見してしまった瞬間に考えたことは、その種の危険をいかに回避するかだったのだろう。しかも、滑走路に向けて走行を始めてしまった飛行機を止めて、自機にも他社機にも空港にも迷惑をかけるわけにいかないとも考えたのだろう。

 機内食を作る会社を取材したことがあるが、そのトップによれば、機内食ビジネスにとって、時間に正確なこと、量(食数)が発注通りに揃うこと、高レベルな衛生管理の3つは絶対だということだ。時間通りに、計画した通りの食数の食事が積み込まれなければ、機長は飛ぶ判断を下さない。空腹は安全の敵なのだろう。また、上空で大勢の人間が食中毒を起こせば、これも生命にかかわる重大なアクシデントになる。従って、機内食ビジネスを行う会社は、この3つを、常に、絶対に失敗することなく完璧に提供できなければならないという。

 この会社の事務所のあるビルのエントランスホールでは、階段の手すりの末端に消毒用アルコールのスプレーが固定されている。そして、ここを通る従業員は、階段から下りて来る人も、上る人も、全員そこでいったん停止し、スプレーを手に吹き付けて、アルコールをすり込むようにしてから歩き始める。普段、工場には入らない事務方の人までそうしているのに驚かされた。もちろん、工場の設計と運営にはHACCPを導入している。

 しかし、作って納品するまではHACCPに添った行動が取られていても、飛行機の中にHACCPが導入されていない、あるいは守られていなければ、すべては台無しとなる。また、問題となった便の客室乗務員が機長に事の次第を報告したのは成田到着後だったという。荷(機内食を積んだカート)の不足は報告されても、過剰は報告される仕組みがなかったと取るべきか、そもそも機内食に関する機長への報告のあり方がお座なりだったと取るべきか。

 今は引退している、日本航空のチーフパーサーだった人に、こんな話を聞いたことがある。十何年か、何十年前かの話だ。ある時、国際線のファーストクラスで、ローストビーフを提供した。ホールのまま飛行機に積んで、乗客の目の前でカットしてサーブしたという。

 ところが、このチーフの手もとが狂ったのか、飛行機が揺れたのか、カートに載せたローストビーフの塊が丸ごと床に落ちてしまった。そこでこの人は機転を利かせた。ギャレー(炊事室)にいる部下に向かって、「悪いけど、もう一つのローストビーフを急いで用意して!」と大声で叫んだのだ。

 だが、もともと飛行機に積んでいたローストビーフは1個。言われた方がポカンとしているのに構う様子もなく、チーフは件のローストビーフを抱えてギャレーに入ると、肉塊の表面に付いたゴミを念入りに取り除き、湯で洗い、オーブンで軽く温め、再び皿に載せると意気揚々と客室に戻り、「たいへんお待たせしました」と涼しい顔で提供を再開したという。

 話を聞き終わって、私は「その話はもう誰にも言わない方がいいでしょう」と言ったのだが、最近のこの人の著書に、このことはしっかり書かれていた。

 トイレに押し込まれたカートも、床を転がったローストビーフも、もちろん衛生面で大いに問題がある。しかし、これらにかかわった二人の乗務員はともに、カートが暴走する、食事を配れずにお客が怒ったりクレームをつけてくるといった、健康被害発生以外の不都合の回避を優先した。そして結果的に、どちらの場合も食中毒などの事故には至らずに済んだ(らしい)。

 ところで、これらの件も、やはり衛生の問題だけで考えていては、ベストな対応はできない。つまり、こういうことだ。もし仮に、どちらの場合も、そのようなことをしても衛生上全く問題がないと、事前に完璧な説明ができるとしたら、この二人は乗客に、こう言えただろうか。「トイレにしまっておいた軽食ですが、安心してお召し上がりください」「床に落としたローストビーフですが、安心してお召し上がりください」。

 友人の一人が、「つぶしたあんパンがうまいんだ」と言って、買ってきたあんパンを袋に入ったまま座布団の下に置き、しばらくその上に座ってから食べるということをやっていた。同好の士は他にもいたらしく、その後、最初からつぶしてあるあんパンが店頭に並んだりもした。それは機械などでつぶしたのだろうが、友人が尻の下から出して「食うか?」とちぎってくれたパンには、私は手を付けなかった。当たり前だが。

 この当たり前の感覚と、衛生の問題は、もちろん切り離して考えなければならないが、なおかつ、同時に考えていなければならない。ところが、衛生面の技術が進めば進むほど、そのように感じられるほど、切り離して考えていた「尻でつぶしたパンは人に勧めるべきではない」という当たり前の感覚が、どうでもいいものとして忘れられることが多い。衛生的に問題ない(と見える)ということは、一つの逃げ道、説得力のある言い訳となってしまいがちなのだ。

 昨今の食品に関する不祥事で、一般の人々が問題にしていることの多くが、「尻でパンをつぶすな」という種類のことなのだが、企業側の釈明は衛生的か否か、食べると生物学的な問題を生じるか否かの話に終始してしまいがちだ。しばしば、そのことがさらに、怒りを増幅させることになる。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

About 齋藤訓之 307 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所客員研究員。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。日本フードサービス学会会員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。東京栄養食糧専門学校非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →