思いついてしまった人間の覚悟

365 「風のマジム」から

民間企業のOLから立身し、日本で初めて沖縄産のアグリコール・ラムを造った女性の実話をもとにした原田マハの小説「風のマジム」が映画化された。専門知識も資金もない徒手空拳からスタートしたこの“オキナワン・ドリーム”はいかにして成し遂げられたのか。劇中に登場する酒や食べ物とともに見ていこう。

※注意!! 以下はネタバレを含んでいます。

「風の酒」との出会い

 物語の主人公、28歳の伊波まじむ(伊藤沙莉)は、おばあ(祖母)のカマル(高畑淳子)とおかあ(母)のサヨ子(富田靖子)が那覇で営む「伊波豆腐店」の一人娘。まじむという名前はおばあが付けてくれた。沖縄の言葉で「じむ」は「心」。まじむは真心という意味である。

 冒頭のシーンでは、早朝におばあが大鍋の豆乳に塩とにがりを入れてゆっくりとかき混ぜ、おぼろ状のゆし豆腐を造る工程が丁寧に映し出される。おばあの言う「人の口に入るもの」を造る責任と覚悟が感じられるシーンで、これは後のまじむのアグリコール・ラム造りに向き合う姿勢にも関わるものだ。おばあ、おかあ、まじむが食卓を囲む朝食の主役もゆし豆腐である。

 まじむは通信系企業の琉球アイコムの総務部で派遣社員として働いている。仕事の内容は簡単なデータ入力やコピー取りなど雑用ばかり。上司の仲宗根光章(橋本一郎)からは“お菓子コーナーの補充要員”のように扱われ、いま一つやりがいを見出せずにいた。

 そんなまじむの唯一の楽しみは、仕事帰りにおばあと待ち合わせて後藤田吾朗(染谷将太)が店長を務めるバー「Bamboo Hill」で晩酌すること。おばあとまじむは深酒しないようにいろいろな種類の酒を一杯だけ味わう。そこで出会ったお気に入りの酒が、カリブ海に浮かぶフランス領マルティニーク島産のアグリコール・ラムだった。まじむはこのアグリコール・ラムを“風の酒”だと感じた。

 一般に多く造られ流通しているラムはインダストリアル・ラムと呼ばれ、サトウキビの搾り汁から精製糖を製造する際に残る廃糖蜜(モラセス)を原料として発酵、蒸留させるのに対し、アグリコール・ラムはサトウキビの搾り汁をそのまま適度に稀釈して発酵させる。この製法によると、より豊かな香りと深い風味が出るという。

 マルティニーク島がサトウキビ産地の島と聞いたまじむに一つ素朴な疑問がわく。沖縄にもサトウキビの産地があるのに、沖縄産のアグリコール・ラムはなぜないのだろう。もしあるのなら、飲んでみたい。ただしこの時点では、思いつきの願望でしかなかった。

シュレッダー前に現れた冒険の入口

 そんなある日、まじむはシュレッダーにかけていた廃棄書類の中から一枚のパンフレットに目を止める。それにはこう書かれていた。

社内ベンチャーコンクール募集

 コンクールの対象が派遣社員を含む全社員であることを知ったまじむの脳裏に浮かんだのは、アグリコール・ラムのこと。沖縄産のアグリコール・ラムを飲んでみたいという受動的な願望が、造ってみたいという能動的な夢に変換され、まじむの挑戦が始まる。

 それからというもの、まじむは酒造りに関わる諸々について猛勉強を開始。沖縄産アグリコール・ラムの事業化に向けた企画書を作成し、社内ベンチャーコンクールに応募する。一次審査の書類選考、二次審査のプレゼンテーションを通過し、新規事業開発部付のプロジェクトリーダーとなったまじむは、ふたつに絞られた企画の最終プレゼンに勝ち残るため、フィジビリティスタディ(FS。実現可能性の調査、検討)に入る。

 ここで課題となるのは、主に次のようなものである。

①事業予定地の選定

②原料となるサトウキビの確保

③醸造所建設用地の確保

④優れた醸造家の起用

 このうち①について、沖縄では各地でサトウキビを生産しているが、まじむは大きな島から離れたより小さな島であるマルティニーク島のイメージに重なった“サトウキビ畑の島”南大東島に狙いを定め、現状視察のために有休休暇をとって単身南大東島に乗り込む。

八方塞がりを打破する“秘策”は

 南大東空港から街の中心部に向かう道で、迷子になったまじむ。そこに軽トラで通りがかったのが商工会長の東江大順(肥後克広)だった。空腹を抱えたまじむが東江に案内されたのは、高校時代、那覇のまじむの家に下宿していた仲里一平(なかち)と妻の志保(下地萌音)が営む食堂「大東そばまーさんどー」(まーさんどーは沖縄の言葉で「おいしいよ」)。海水と木灰を練り込んだちぢれ太麺と、カツオと鶏、豚からとったあっさりしたダシが特徴の大東そばと、カジキとマグロを甘めのタレに漬け込んだ大東寿司のセットを頼んだまじむ。その大東そばにソーキ(スペアリブ)のトッピングを二つ追加する様子に、まじむの物おじしない性格が表れている。

 東江や仲里夫妻などの味方を得たまじむだが、村長をはじめとする島民の大多数は、まじむの提案に良い顔をしなかった。島で獲れるサトウキビのすべてを引き受ける精糖工場があるので、新たな事業で島を発展させようという発想を持つ者はいなかったのだ。

②③の課題を残したまま那覇に戻ったまじむを待ち受けていたのは更なる難題、④の醸造家探しであった。上司の糸数啓子(シシド・カフカ)は、ビジネス的な観点から東京の有名醸造家、朱鷺岡明彦(眞島秀和)を推すが、朱鷺岡と面談したまじむは、沖縄や酒造りへの向き合い方に疑問を感じる。沖縄の人と、沖縄のサトウキビでアグリコール・ラムを造りたい。悩めるまじむに吾朗が差し出したのは、辛口だけどコクがある波照間島の泡盛「波陽はよう」と、強い酸味の中にほのかな甘みがある糸満のアセロラワイン「太陽てぃーだ」。沖縄県内の違う場所で違う酒造会社が作った違う特徴を持つ酒なのに、共通する豊かさを感じたまじむは、吾郎から二つの酒が同じ醸造家、瀬名覇仁裕(滝藤賢一)によるものと聞く。

 まじむは、瀬名覇なら沖縄産のアグリコール・ラムを造るという夢を託せると確信し、瀬名覇が働いているイトマン酒造を訪ね、自分の思いを伝える。だが、こだわりの強い瀬名覇は自分の手を離れるまでは「太陽」に付き合わなければならないと、まじむの依頼を断る。

 八方塞がりの状況に陥ったまじむだが、彼女には南大東島の人々や瀬名覇を説得し、社内ベンチャーの最終プレゼンを勝ち残る“ある秘策”があった。それが何なのかは、実際に映画をご覧いただきたい。

実在した“まじむ”

 まじむのモデルとなった金城祐子さんは、2004年3月に沖縄電力の社内ベンチャー制度(MOVE2000プログラム)を活用して株式会社グレイス・ラムを設立。南大東島で「COR COR」(コルコル)ブランドのアグリコール・ラムを現在も造り続けている。

 今回の上映に合わせて、作中で実際に使われたボトルデザインの「COR COR」も限定販売された(完売)。

アグリコール・ラム「風のマジム」が完成する。
アグリコール・ラム「風のマジム」が完成する。

風のマジム(小説)
Amazonサイトへ→
株式会社グレイス・ラム
https://rum.co.jp/

【風のマジム】

公式サイト
https://majimu-eiga.com/
作品基本データ
製作国:日本
製作年:2025年
公開年月日:2025年9月12日
上映時間:105分
製作会社:オーロレガルト、コギトワークス(制作プロダクション:ポトフ)
配給:コギトワークス(共同配給:S・D・P)
カラー/サイズ:カラー/シネマ・スコープ(1:2.35)
スタッフ
監督:芳賀薫
脚本:黒川麻衣
原作:原田マハ
エグゼクティブプロデューサー:笹岡三千雄
企画プロデューサー:関友彦
プロデューサー:佐藤幹也
撮影監督:矢崎よしかつ
撮影:安岡洋史
美術:寒河江陽子
装飾:徳田あゆみ
音楽:高田漣
主題歌:森山直太朗
録音:古谷正志
整音:古谷正志
音響効果:安藤友章
編集:齋藤任左
スタイリスト:荒木里江
ヘアメイク:岡澤愛子
カラーグレーダー:三浦徹
音楽制作:メロディ・パンチ
選曲:安藤友章
アソシエイトプロデューサー:菅野和佳奈
アシスタントプロデューサー:安斎みき子
制作担当:尾形卓朗
助監督:岡部哲也
スチール:伊藤奨
VFX:中江俊幸
VFXプロデューサー:仲潔
宣伝デザイン:師岡とおる
沖縄コーディネート:鳥越一枝
フードスタイリスト:中村真琴
キャスト
伊波まじむ:伊藤沙莉
後藤田吾郎:染谷将太
儀間鋭一:尚玄
糸数啓子:シシド・カフカ
仲宗根光章:橋本一郎
知念冨美枝:小野寺ずる
仲里一平:なかち
仲里志保:下地萌音
友利:川田広樹
朱鷺岡明彦:眞島秀和
東江大順:肥後克広
瀬名覇仁裕:滝藤賢一
伊波サヨ子:富田靖子
伊波カマル:高畑淳子

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。