畑の土 i/黒ボク(1)

火山灰土地帯
火山灰土地帯はススキなどの野草は生えるが、そのままでは作物栽培には向かない
栽培現場を7つに分類して説明する
(1) 育苗培土(野菜苗を中心に)
(2) 固形培地によるハウス栽培
(3) ハウスでの地床栽培
(4) 露地畑
(5) 水田での水稲
(6) 水田からの転作
(7) 海外での農業

黒ボクは世界でも稀な不良土です。ここでは何をやってもうまく育たず、長らく荒れ地のまま放置されてきました。例外は人糞尿を集めて下肥として施用できた大都市近郊の圃場と、水田として利用した場合です。とは言え、生育さえ改善すれば、非常に使いやすい土でもあります。

GHQも驚いたナゾの“穫れない土”

 農家と土の話していて「クロボク」という言葉を聞いたことのある人は多いでしょう。日本の畑の黒土と言えばまずこれと言ってもいいほど有名な土です。

 語源は「黒くてボクボクしているから」という、実に素直な呼び方です。

 この土は、日本人よりも海外の研究者たちが興味を持って研究を進めたようです。とくに、太平洋戦争の後、GHQはわが国の調査項目の中でも土壌調査を重視して取り組みました。

 そこで日本の土を調べ始めた研究者たちは不思議がります。この、黒くて軟らかな、いかにも肥えていそうな土が、なぜ作物をうまく育てることができないのかと。

火山灰土地帯
火山灰土地帯はススキなどの野草は生えるが、そのままでは作物栽培には向かない

 しかし、第21回以降でも述べたように、日本の農民の間では、この真っ黒な一見肥えていそうな火山灰土が“穫れない土”だというのは常識でした。黒ボクを含むこれら火山灰土は、かつては地方によって、ノハイ、ノップイ、ノッペ、ノッポ、ボク、ボンコなどという名で呼ばれていたものです。わざわざ名前を付けていたというのは、農民が他の土とは区別して考えていた証拠です。

 こうした火山灰土は、ちょっとやそっとのことではムギもダイズも全く穫れません。そのため、たいていはススキが繁茂する放置された土地で、仮にそこを開墾して畑を作っても、植えられるのはオカボぐらいであったはずです。

 日本の火山灰土は世界でも稀な不良土なのです。

下肥がなければ何も出来なかった

黒ボク土の圃場断面標本(モノリス)
黒ボク土の圃場断面標本(モノリス)左右ともに北海道の畑地のもの/世界のプラウと土の博物館土の館(北海道・上富良野)所蔵

 とは言え、日本の農民の大変な努力で、一部では取れる土に改良されていた例もあります。それは都市近郊の畑です。

 代表的な地域は、江戸・東京とその周辺です。この地域は江戸・東京の人口密集地帯から苦労して人糞尿を集めて運び、下肥として畑に入れることで生産を確保してきた歴史があります。逆に言えば、下肥を入れなければ何も取れない土だったということです。

 余談ですが、私が開発途上国の農業開発の仕事で現地に入った経験では、経済的に肥料が買えず、付近では肥料の原料となるものも手に入らないという地域では、下肥を使う案を出したこともあります。しかし、その場合必ず抵抗に遭います。この理由は簡単で、やったことがないからです。

 過去にこの下肥を積極的に利用した歴史を持つ日本の私が、その歴史を持たない地域の人たちにいくら説明しても受け入れられません。

 ともかく、かつての日本で都市に十分な野菜を供給するには、そこまでの努力が必要だったということです。

 また、黒ボクでも作物が穫れる例はもう一つあります。水を張って水田に変え、イネを植えれば出来るのです。

 この理由は、水田にすると土壌中で還元反応が起こり、リン酸が有効化するからです(第37回参照)。

 日本で水田作が発達したのは、水が豊富だからということの他に、火山灰土が多かったからとも言えるのです。

軽く作業性がよい点は黒ボクのメリット

 さて話を畑に戻します。

 実は、このようにダメな土でありながら、黒ボクにも取り柄というものがあります。

 黒ボクの圃場へ行って土を手に取ってみると、この真っ黒な土は確かに大変に軽くてボコボコしていて、風が吹くと表土が舞ってしまいます。その様子を見るにつけ、「やはり灰からできた土だな」という印象を持つわけですが、長所とはこの軽さです。

 土が軽く、粘りがなければ、畑を耕したり、土寄せしたりといった扱いはラクなものです。しかも、こうした土を持つ圃場は、かつて大量に降灰した歴史から、圃場は下層まで均一で礫も出て来ません。このため、耕うんや管理(栽培期間中に作物の周囲を耕したり土寄せをしたりすること)が容易なことはもとより、ゴボウ、ダイコン、ニンジンなどの根のものの収穫もスイスイと掘り取ることができます。

 作物の生育さえよければ、この作業性のよさと、下層までの均一性は大きなメリットを発揮します。

 そして、生育に資する改善策は昭和30(1955)年頃までに見出され、普及していくことになります。

関祐二
About 関祐二 101 Articles
農業コンサルタント せき・ゆうじ 1953年静岡県生まれ。東京農業大学在学中に実践的な土壌学に触れる。75年に就農し、営農と他の農家との交流を続ける中、実際の農業現場に土壌・肥料の知識が不足していることを痛感。民間発で実践的な農業技術を伝えるため、84年から農業コンサルタントを始める。現在、国内と海外の農家、食品メーカー、資材メーカー等に技術指導を行い、世界中の土壌と栽培の現場に精通している。