がむしゃらなチャレンジャー農家の方へ(7)農業生産は正業を目指せ

昔は、まん丸な食器というのは少なく、貴重で高価なものでした。それどころか、近代まで家庭に正円の品物など何一つない時代が長かったのです。正円というだけでたいへんな技術と手間を要し、しかもそれは神霊を感じさせ畏怖の対象でさえありました。

値頃な商品が高級品の存在意義も高める

質がよく値頃な価格の食器
質がよく値頃な価格の食器が手に入りやすくなったのは、工業化・品質管理に取り組んだ企業が登場したためだ(記事とは直接関係ありません)

 そんなまん丸な形のよい食器を、今は誰もが手に入れやすく、安心して使え、形や色の異なるものをいろいろ集めて楽しめるというのは、そうした窯業の発展のおかげです。

 そして、こうした工業製品が現れたとき、陶芸家の作品は価値を失ったでしょうか? いいえ。むしろ、さらに価値を増したのです。

 芸術家的なアプローチで最高級品を目指す農業はこれからもあっていいでしょう。いや、むしろさらに歓迎されるでしょう。ただしそれは、みんなが手に入れやすい価格でいつも安心品質の普及品の登場で加速されるものでしょう。そうした、大勢のための野菜や果実の生産者の登場が、消費者からも、流通業者からも、外食産業からも、熱望されています。ところが、まだその人たちがはっきり現れていないということは、岡本信一さんが書いてくれたとおりです。

 なお、その視点で見れば、市場環境とは無関係に十年一日コシヒカリという古い品種を過去から変わらぬ反収レベルで作り続け、それをより高い値で売ることの方に血道を上げる生産者ばかりが目立つ水稲作は、敢えて衰退の道を選んでいるようにも見えます。

「農産物は天候に左右されるものだ」という説明も、もちろん一理あります。ただ、その変動を軽減する栽培技術を推進する道はなくはないということは、第4回でお話しました。

ギャンブルとブランド化の誤り

セリが始まる前の市場
セリが始まる前の市場(記事とは直接関係ありません)

 一方で気になるのは、野菜や果実の生産者が、しばしば過度に投機的に動くことです。豊作を憎み、不作を歓迎するということは、工業でものづくりに当たっている人たちではなかなか持ち得ない発想です。品薄のときにちょっと倉庫から出して売れば、それは儲かるでしょう。それは、設備投資に回せるお金を確保することに役立つかもしれません。また、実はそれが相場を安定させる力として働くということもあるでしょう。

 しかし、農業生産という正業が浮利を追うタイプのビジネスになってしまった場合、そこでの勝者は周囲から敬愛される成功者になるでしょうか。もちろん、それもビジネスの一つの形でしょうけれども、安定して一定量を供給できる道が拓ければ、もっと落ち着いた、リスクの低い仕事もできるようになるのではないですか?

 もう一つ。同じものを高値で売ろうと考えたとき、相場変動を利用するということのほかに、ブランド化するということもあります。ただ、これも実際の品質差という現実から乖離するほどに取り組まれれば、おかしなことになりかねません。

 詳しく説明すると名指しで批判することになりかねないのでぼかしますが、ある作物について、同じ地方の中の生産者同士でありながら、生産者グループごとに作物に別な呼称をつけて販売し、それによって「ブランド化に取り組んでいる」としているところがあります(まあ、きょうび、そういう事例は一つや二つではないでしょう)。そこへ、ある流通業者が買い付けに行ってみたら、必要な数量に達しない。それで隣村のものと一緒に扱おうとしたところ、「あっちと混ぜるなら売らぬ」と断られて、たいへん往生したということです。

 品種としては同じで、圃場条件もさほど変わらず、実際の品質としてもほぼ同じでありながら、生産者が勝手に作ったルールで囲ってしまっているわけです。差別化に必要な要件を満たしていないものを、レッテルによって価格をつり上げようとしている。流通、小売、外食の世界では、こういうものは「売り手の都合」と言います。

 こうしたことが、結局農産物の価格レベルを不当に高め、消費者や流通業者に不便を与え、農産物全体の市場をシュリンクさせている可能性について、考えてみてほしいと思います。

 ブランドには根拠が伴わなければいけません。根拠とは、あるいは品質であり、あるいは社会に共有されているか共有され得る“物語”であり、それらが統合されることによって人々の憧れを呼び、そのモノやコトにまつわるように生じる“かかわり合い”であり、その全体像こそがブランドとなるのです。したがって、ブランド化とは、デザイナーにロゴやキャラクターを作ってもらうことだけで達成できることでは全くありません。

安定供給確保から大きな変化を起こす

高級イチゴ
通常出回る季節に一般的な価格の10倍程度の価格で販売された高級イチゴ(記事とは直接関係ありません)

 農産物を高値で売ることに取り組むということは、あってもいいのです。しかし、日本の農業界の異常さを感じさせるのは、このようなインフレ志向、芸術家志向の考え方が、メジャーになりつつあるということです。

 曰く「いいものなら、どんなに高くても売れるんだ」。その同じ人が「日本農業を守る!」という勇ましい言葉を発することもよくあるわけですが、どの口がそれを言うかと感じています。

 大勢が芸術家を目指しているのでは、農業全体の発展は期待できなかろうということです。瀬戸物のように、高級な美術品もあれば、誰もが手にできるものもある。そのように両者が揃ってうまくいっているというのは、自動車でも、衣料でもそうですし、多くのビジネスがそのように発展しています。

 外食産業も、子供の頃から家族と外食を楽しんだ経験を持つ人が増えて、それがお一人様数万円のお店のお客にも育っていっているわけです。お大尽や若旦那だけが料亭での酒食を楽しみ、庶民は屋台のそばに文句をつけているという大昔の外食シーンと、多彩な店がそろい、多様な人々が折々にさまざまに食事を楽しんでいるという今日の外食シーンとでは、全く意味が違うのです。

 日本の農業も、これから発展させようと考えるならば、消費のベースとなる農産物の安定供給の仕組みを整えた上で、多様化していく方向が必要なはずです。志ある人は、目先の儲け話以外のところに関心を持っていてほしいものです。

 これから日本人の食は、さらに変わっていくでしょう。変化は、昨日と同じく暮らしたい、父母、祖父母と同じことをやって一生を終えたいという人には怖いことのように見えるでしょう。しかし、食べる人は変化を楽しんでいます。作る人も、一緒になって変化を楽しむ、あるいは作る人から変化を起こして楽しませるということがあっていいのではないでしょうか。

 そのほうが仕事として楽しそうに思いませんか。

※BGM:「紅蓮の弓矢」 by Linked Horizon

《この稿おわり》

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About 齋藤訓之 398 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所特任研究員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。日本フードサービス学会、日本マーケティング学会会員。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →