洋酒文化の歴史的考察 IX ジントニックの現在・過去・未来(1) 2012年11月21日 石倉一雄 ジントニックについて、これが生まれてからの歴史と、現在そしてこれからについて書いていく。まずはジンの発祥からご紹介するのだが、国内にその資料が少ないことからお伝えしなければならない。
洋酒文化の歴史的考察 家飲みでうまいジントニックを楽しむ 2012年11月14日 石倉一雄 今年の夏は、本当にジントニックばかり飲んでいた。100円ショップで買ってきた氷から大ぶりのものを選んでパイントグラスに放り込み、顔なじみの八百屋が安くしてくれるライムをたっぷり絞って、タンカレーを目分量で注ぐ。ウィルキンソンのトニックを注いで、アンゴスチュラ・ビタースを数滴垂らせばうまいジントニックが素人でも簡単に出来るから、気が付けば夏の2カ月ほどでジンを4本は空にしていた。
洋酒文化の歴史的考察 VIII 日本人の知らないジャパニーズ・カクテル/ミカド(18) 2012年11月7日 石倉一雄 再現したジャパニーズ・カクテルの香りは醸造酒の持つ複雑な香りを持ち、最初の口当たりも紹興酒のそれに似たものを感じさせた。ただし、近さを感じさせる一方、すれ違う部分もある。そこで筆者が気になったのは、ベースとなるブランデーの質だった。J.トーマスのものは、最高級のブランデーが使われていた可能性が高いのだ。
洋酒文化の歴史的考察 VIII 日本人の知らないジャパニーズ・カクテル/ミカド(17) 2012年10月31日 石倉一雄 出来上がったジャパニーズ・カクテルの色は、やや赤みが強かった。アンゴスチュラ・ビタースではなく、オリジナルどおりにボガーツがあればと思う。生産中止となったそれを再現する方法は伝わっているが、それを試そうと思えない事情がある。
洋酒文化の歴史的考察 VIII 日本人の知らないジャパニーズ・カクテル/ミカド(16) 2012年10月24日 石倉一雄 注文していたオルゲートが届いたので、改めてジャパニーズ・カクテルが紹興酒と共通の味を持つ飲み物であることを確かめてみる。ところで、筆者の自宅にはジガーがない。なぜないのか、この機会にお話しておきたい。
洋酒文化の歴史的考察 VIII 日本人の知らないジャパニーズ・カクテル/ミカド(15) 2012年10月17日 石倉一雄 J.トーマスによる「ジャパニーズ・カクテル」のオリジナルのレシピには、今日手に入らないリキュールがある。サヴォイ版「ミカド・カクテル」はその失われたものを補う形で作られたレシピだ。横浜中華街での発見は、このレシピあればこそであった。
洋酒文化の歴史的考察 VIII 日本人の知らないジャパニーズ・カクテル/ミカド(14) 2012年10月10日 石倉一雄 サンフランシスコに渡った中国南方の人々が、ふるさとで飲み慣れた酒は蒸留酒の白酒(バイチュウ)ではなく醸造酒の紹興酒だ。だから、J.トーマスの時代のサンフランシスコのチャイナ・タウンには紹興酒があったと推測できる。そして、J.トーマスは当地にいたのである。
洋酒文化の歴史的考察 VIII 日本人の知らないジャパニーズ・カクテル/ミカド(13) 2012年10月3日 石倉一雄 「ジャパニーズ・カクテル」の味は紹興酒がヒントになっていると違いないと気付いたものの、その結び付きが物理的・歴史的に可能なことだったのかを検証する必要がある。最も重要な問題は、紹興酒がJ.トーマスの時代にアメリカに渡っていたかどうかだ。
洋酒文化の歴史的考察 VIII 日本人の知らないジャパニーズ・カクテル/ミカド(12) 2012年9月26日 石倉一雄 サヴォイ版「ミカド・カクテル」の再現の後、筆者はたまたま立ち寄った横浜中華街の店で、あっと驚く発見をした。サヴォイ版「ミカド・カクテル」の味と類似する酒を見つけたのだ。
洋酒文化の歴史的考察 VIII 日本人の知らないジャパニーズ・カクテル/ミカド(11) 2012年9月19日 石倉一雄 90年代後半にシアトル系コーヒーが相次いで上陸したことが、思わぬ形で「ジャパニーズ・カクテル」の味の秘密に迫るきっかけをもたらした。その味の決め手の一つとなるオルゲート・シロップが国内で入手可能になったためだ。
洋酒文化の歴史的考察 VIII 日本人の知らないジャパニーズ・カクテル/ミカド(10) 2012年9月12日 石倉一雄 日本から万延元年遣米使節を迎えたニューヨークも、やはりサムライたちの話でもちきりだった。そのさなかに、J.トーマスは「ジャパニーズ・カクテル」を創出したはずだ。しかし、なぜその味になったのかの解明には、別な検証が必要だ。
洋酒文化の歴史的考察 VIII 日本人の知らないジャパニーズ・カクテル/ミカド(9) 2012年9月5日 石倉一雄 J.トーマスの事績をたどると、彼がサンフランシスコにいたこと、バーテンダーの仕事を欧米に広めたことなどがわかる。そして、万延元年遣米使節がニューヨークに到達したとき、彼のバーはサムライたちの宿泊先の目と鼻の先にあった。
洋酒文化の歴史的考察 VIII 日本人の知らないジャパニーズ・カクテル/ミカド(8) 2012年8月29日 石倉一雄 万延元年遣米使節団は、予想外の“立石斧次郎(トミー)人気”を巻き起こしながら、ついにニューヨークにたどり着く。その空前の日本ブームの中心とも言える、使節団宿泊地のすぐそばに、実はJ.トーマスのバーはあったのだ。
洋酒文化の歴史的考察 VIII 日本人の知らないジャパニーズ・カクテル/ミカド(7) 2012年8月22日 石倉一雄 立石斧次郎はトミーと呼ばれて一躍人気者になった。新聞は彼のお茶目な様子を書き立て、人々は正使も副使もそっちのけで一目彼を見ようと集まった。この“トミー旋風”が、「ジャパニーズ・カクテル」が創案される下地となるのである。
洋酒文化の歴史的考察 VIII 日本人の知らないジャパニーズ・カクテル/ミカド(6) 2012年8月15日 石倉一雄 アメリカに上陸した万延元年遣米使節一行は、外国にあなどられまいと尊大にふるまう。迎えるアメリカ政府当局とメディアは、ある思惑から日本を丁重に扱い持ち上げる。集まった群衆の中を、使節団七十余名がこわばった表情のまま厳かに進む。が、その緊張を一気に解いてなごませてしまったのが、16歳の立石斧次郎教之だった。