ジントニック
洋酒文化の歴史的考察

家飲みでうまいジントニックを楽しむ

今年の夏は、本当にジントニックばかり飲んでいた。100円ショップで買ってきた氷から大ぶりのものを選んでパイントグラスに放り込み、顔なじみの八百屋が安くしてくれるライムをたっぷり絞って、タンカレーを目分量で注ぐ。ウィルキンソンのトニックを注いで、アンゴスチュラ・ビタースを数滴垂らせばうまいジントニックが素人でも簡単に出来るから、気が付けば夏の2カ月ほどでジンを4本は空にしていた。
「The World's Drinks And How To Mix Them」(1908=明治41年)
洋酒文化の歴史的考察

VIII 日本人の知らないジャパニーズ・カクテル/ミカド(18)

再現したジャパニーズ・カクテルの香りは醸造酒の持つ複雑な香りを持ち、最初の口当たりも紹興酒のそれに似たものを感じさせた。ただし、近さを感じさせる一方、すれ違う部分もある。そこで筆者が気になったのは、ベースとなるブランデーの質だった。J.トーマスのものは、最高級のブランデーが使われていた可能性が高いのだ。
洋酒文化の歴史的考察
洋酒文化の歴史的考察

VIII 日本人の知らないジャパニーズ・カクテル/ミカド(14)

サンフランシスコに渡った中国南方の人々が、ふるさとで飲み慣れた酒は蒸留酒の白酒(バイチュウ)ではなく醸造酒の紹興酒だ。だから、J.トーマスの時代のサンフランシスコのチャイナ・タウンには紹興酒があったと推測できる。そして、J.トーマスは当地にいたのである。
使節団
洋酒文化の歴史的考察

VIII 日本人の知らないジャパニーズ・カクテル/ミカド(6)

アメリカに上陸した万延元年遣米使節一行は、外国にあなどられまいと尊大にふるまう。迎えるアメリカ政府当局とメディアは、ある思惑から日本を丁重に扱い持ち上げる。集まった群衆の中を、使節団七十余名がこわばった表情のまま厳かに進む。が、その緊張を一気に解いてなごませてしまったのが、16歳の立石斧次郎教之だった。