栄養週期がたどってきた道

栄養週期栽培のために育てた“赤苗”
栄養週期栽培のために育てた“赤苗”

栄養週期栽培のために育てた“赤苗”
栄養週期栽培のために育てた“赤苗”

イネに肥料を与えるやり方として、独特の体系を持っているのが、「栄養週期」という農法を実践する人たちです。独特の体系といいますが、これはマジックではなく、植物の生理を研究した上でたどり着いた基本中の基本というのが、彼らの考え方です。

 栄養週期では、イネだけでなく、どんな作物でも、発芽からある程度の大きさまで生長するまでの間には、肥料成分は一切与えません。イネの場合は、「赤苗を育てる」と言って、肥料を与えずに細く弱々しい苗を作ります。

 赤苗は、見た目ははかないほど頼りない苗ですが、栄養を求めて、猛烈な勢いで根を張る力を持ちます。そして、水田に移植し、これから体を大きくしていくという段階で初めて窒素肥料を与えます。すると、待っていましたとでも言うように、メキメキと力強く育ち始めるのです。

 作物は、移植初期に早く育つことは非常に重要なことです。これは、太陽エネルギーを十分生かすことができる体を早く作るということだけでなく、雑草よりも早く背を伸ばし、雑草への太陽光を遮り、競合に勝つというためにも重要なことです。

 生長した稲は、やがて穂を付けます。この、花芽分化始めるという段階を見逃さずに、与える肥料の種類を変えるのが、栄養週期実践の重要な手順の一つです。この段階では、窒素成分はピシリとカットし、代わってリン酸、次いでカリを与えます。体を大きくする段階では窒素成分が必要ですが、生殖(受粉)に向けて必要になるのはリン酸とカリだというのです。

 特にこの切り替えはタイミングが重要で、この時期、栄養週期を実践する農家は、毎日圃場を詳しくチェックし続けます。

 イネが受粉を終え、稲穂を充実する段階になったら、その終盤にはカルシウムを与えます。すると、稔りがよくなるのですが、ただ実が大きくなるだけでなく、中身が詰まったものになるということです。乾物重量といって、作物を乾燥させた後の重さを計ると、一般的な栽培に比べて、栄養週期による栽培の方が、はるかに重量があるということです。

 このように充実した実は、イネだけでなく、イモ類や果実でも、味が濃く、しかも日持ちがよいものとなります。

 栄養週期という栽培方法は、イネやさまざまな作物について実践されていますが、もともとは「石原センテ」という品種のブドウについて始められたものです。

 石原センテは、農学博士の大井上康という人が戦前に開発した品種で、大粒で味が良い優れた品種です。ところが、その栽培は簡単とは言えず、上手に管理しなければなかなか良い収穫が得られないものだといいます。

 そこで、その栽培の手引きとして大井上氏が普及に努めたのが、栄養週期という考え方だったのです。この方法で育てた石原センテは確かに高品質で、農家に高収入をもたらしました。

 しかし、一般の農家(以前書きましたが、一般の農家とは、アマチュア農家のことです)には栽培が難しいということで、政府は石原センテの品種登録を認めなかったそうです。そこで、大井上氏は、やむなく品種登録をあきらめ、商標登録でこの品種の権利、持続可能な種苗供給と栽培の体制を守りました。その登録商標が、「巨峰」(日本巨峰会)です。

 しかし、ビジネスパーソンとしての遵法感覚に欠ける農家や農協が多いため、登録商標「巨峰」は毎年日本全国のスーパーの店頭で権利が侵害されている有様です。多くの小売業の人たちも、この権利侵害の共犯者であることは自覚すべきでしょう。

 話がそれましたが、栄養週期は、大戦中から戦後の物資不足の中、肥料が手に入りにくい中でも、効率よくしっかり収穫できる栽培法として、この方法を知った農家からはずいぶんありがたがられたということです。

 ただ、戦後の重化学工業重視、農協中心の農業政策の中、少ない肥料で高品質多収穫が可能という栄養週期は、政府、工業界、そして農協にとっては邪魔者でした。化学肥料が売れなくては化学工業の振興に反するし、農協は日本最大の肥料販売店ですから、こんな話は許せないのです。

 また、植物の生長を詳細に観察してタイミングを過たずに肥料を切り替えるというのは、栽培にだけ時間を当てられる人、つまり専業農家、プロ農家にしかできない芸当です。このような栽培法は、兼業農家を増やして工業での働き手を増やそうとする高度成長期の産業政策にも反するものでした。

 結局、大井上氏ら栄養週期実践者は、農業界から無視・黙殺され、栽培データをもって反論しようとすると、栽培の妨害や資料の改竄などの工作に悩まされたと言います。事実であれば、本当に嘆かわしいことです。

 現在、コメは単なるカロリー源としてではなく、国産の安全でおいしい、付加価値の高い商品として見直されて来ています。世界的な穀物需給逼迫の流れの中、国内のコメの生産量も、今後盛り返していくでしょう。

 量が増えるということは、高品質のものからその対極のものまで、質が多様化するということです。つまり、高品質なコメは、さらに高級品としての磨きをかけていく流れになっていくでしょう。それは、プロ農家の仕事です。この流れの中で、国内に埋もれているいろいろな栽培法が見直されていくはずです。高品質、プロの技、そして資材を使う量を減らす環境に対する負荷の小ささから言って、栄養週期はその急先鋒の一つとなるはずです。

※このコラムは柴田書店のWebサイト「レストランニュース」(2009年3月31日をもって休止)で公開したものです。

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About 齋藤訓之 398 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所特任研究員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。日本フードサービス学会、日本マーケティング学会会員。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →