シシリアンルージュが提案する新しい食事

シシリアンルージュ鍋。水分はトマトからのみで、出汁などは加えない
シシリアンルージュ鍋。水分はトマトからのみで、出汁などは加えない

シシリアンルージュは手のひらに収まる中玉サイズのトマト
シシリアンルージュは手のひらに収まる中玉サイズのトマト
シシリアンルージュ鍋。水分はトマトからのみで、出汁などは加えない
シシリアンルージュ鍋。水分はトマトからのみで、出汁などは加えない

東京・虎ノ門のそば店「さ和長」で、「シシリアンルージュ鍋」(2500円)というものを提供している。「シシリアンルージュ」というのは中玉のトマトの名前だ。

 注文すると、湯むきしたシシリアンルージュが鉄鍋にたっぷり盛り込まれて出て来る。

 これに塩を振って火に掛け、トマトがとろけたところでカキと薄切りの豚バラ肉を入れて、グツグツと煮込む。

 タレなどは付けず、湯気の立つカキや豚肉をトマトといっしょにせっせと口に運ぶ。トマト、カキ、豚肉のうま味が引き立て合って濃厚な味を感じるが、さっぱりとして後味がよい。こういうものにはワインが合うかと思ったが、暮れに食べに行った折には、同行の全員が日本酒を飲みながら箸が止まらなくなり、トマトのおかわりを重ねて、男性4人で合計3kgものシシリアンルージュを平らげてしまった。

「トマトでも他の野菜でも、1食で750gも食べるということはなかなかない」と互いに驚きながら(店の人がいちばん驚いていた)、シシリアンルージュというトマトの可能性を改めて考えさせられた。

 シシリアンルージュは、2005年に日本で売り出された新しい品種だ。

 パイオニアエコサイエンス株式会社(東京都港区、竹下達夫社長)という種苗ベンチャーが、イタリア・シチリアの天才的なトマト育種家マウロ氏に依頼して開発した調理用トマトで、グルタミン酸を100g当たり27mg含むという濃厚なうま味を特徴とする。しかも、加熱調理すると、このグルタミン酸が同32mgに増える。これは、一般的な国産赤色ミニトマトの2倍を超える量だ。

 また、この品種にほれ込んでいる、イタリアン「カ・アンジェリ」(東京・表参道)の佐竹弘シェフによれば、ただうま味が強いだけではないという。

「固形分が多く繊維がしっかりしているため、加熱しても水分が分離しにくい。湯むきしてソテーパンで温めると30秒ほどで軟らかくなるが、水が出ることなくペースト状になるため、パスタなどにもよくからみやすい。湯むきも、手の中に握るようにすれば1回の動作でツルリとむけて、作業がしやすい」。

 佐竹シェフは、このシシリアンルージュの特徴を生かした料理の試作を重ねた結果、「“シシリアンルージュ”のフルコース」(5040円)をヒット商品に育てている。

 そして、この味と使い勝手のよさは、もちろん家庭でも生きる。簡単にスパゲティを作るなら、シシリアンルージュを湯むきせずに半割にカットしてソテーすればいい。このスピードは、レトルトのスパゲティ・ソースを湯煎するよりも速い。

 冒頭で紹介した「シシリアンルージュ鍋」も、味だけでなく、準備のしやすさが特徴だ。家庭で一般的な寄せ鍋を作るなら、さまざまな野菜や魚介類をそれぞれにカットしなければならないが、「シシリアンルージュ鍋」の下ごしらえは、トマトを湯むきするだけだ。後は加熱調理用のカキをパックから出して水洗いし、豚バラ肉はスライスを買ってくれば鍋に放り込めばいい。これだけ簡単で、味がよく、しかも大量の野菜が摂れるヘルシーメニューとなれば、日露戦争の前後に、当時中国で開発されたばかりのハクサイがもたらされて鍋料理に不可欠な食材となって以来の、“鍋革命”になるかもしれない。

シシリアンルージュの育種は「消費」側の観点から

 種苗を販売するパイオニアエコサイエンスの竹下社長によれば、シシリアンルージュの開発の狙いは、まさにその味と手軽さにあったという。「加熱してうまいトマトは、イタリアには他にもたくさんの品種がある。しかし、下ごしらえや調理に時間がかかるのでは、忙しい日本の消費者には受け容れられない。だから、マウロに依頼したのは、日本人向けにうま味が特に濃厚で、しかも調理時間が早い品種を作って欲しいということだった。彼は自分で持っているたくさんのトマトの品種と、長年培った知識と勘で、その要望に応えてくれた」。

 実は、野菜について言えば、このような品種開発の仕方は、極めて今日的なものだ。

 というのは、従来の日本の農産物の育種では、消費の視点は重視されて来なかったのだ。種苗メーカーが第一に考えることは、栽培しやすいことだった。これは成育期間が短いとか、病気に強いといったことだ。そして第二に重視されたのは、流通のしやすさだ。これは、丸いものはまん丸に、長いものはまっすぐになど、形状が揃っていて箱詰めがしやすいこと。そして、収穫してからできるだけ長い間、色や形状を保つといった棚持ちのよさも含まれる。

 育種がそのような狙いを重視して行われた結果、味は悪いとまでは言わなくとも、ベストではないものが一般的だった。一方、皮が厚い、実が硬い、そのため調理がしづらいといったものも多かった。

 それは、かつては食品は安定的に量が揃うことが重要だったからだ。行政と農業関係者は、戦後の物不足、東京や大阪などの急拡大による、大都市での野菜欠乏といった問題の解決に知恵を絞ってきた。また、流通業は、海外産地の開発を推し進めてきた。

 その結果、現代は、特別な天候不順でもなければ、幸いなことに農産物の量そのものが不足するということはほとんどなくなった。ものが豊富になれば、当然「選ばれる」ための競争が起こる。そこで問われるのは、もちろん栽培や流通のしやすさではなく、消費の段階での性能、すなわち、味と使いやすさだ。

 また、今日ヒット商品となるためには、新しい生活の提案が不可欠でもある。かつて「ウォークマン」は、外出先でも自分だけの音楽を楽しむという新しい提案でヒットを飛ばし、オーディオ製品の市場を拡大した。今日では、「iPod」が、好きな音楽を自由自在に集めて楽しむという提案をして、オーディオ製品とパソコンの垣根を取り払い、ハードウエアとソフト(音楽、映像)の垣根さえ取り払って新しい市場を作った。そもそも外食でも、ファストフードやファミリーレストランは、単に味だけで売ったのではなく、新しい食事の提案だった。

 シシリアンルージュは、味と使いやすさの他に、従来生で食べるものだったトマトを、調理して食べる食品として提案し、日本になかった市場を作ろうとしている。その意味で、現代の消費社会の商品らしい作物だ。

 ただし、野菜に求められているこの種の変化に対して、生産者の動きは決して機敏ではない。「調理用トマト=特殊なもの=売れない」という固定観念がまだまだ支配的で、しかもギリギリの採算で経営している農家が多いため、リスクを取って新しい商品に挑戦するという空気は、農村には希薄だ。

 都内に「シシリアンルージュは知っているし使いたいが、手に入らない」というシェフたちは多いし、「ブログでシシリアンルージュというトマトを知って、買おうと思ったら一部のデパ地下でしか手に入らなかった」と不平をもらす消費者もこれまた多い。生産者が未だに「量の欠乏」を心配し続けているために、都市では「質の欠乏」が起こっているわけだ。

●「さ和長」
東京都港区赤坂1-4-8
Tel.03-3584-9968
営業時間:11:30~14:00、17:00~21:00
定休日/土日

※「カ・アンジェリ」は閉店しました。佐竹シェフは現在こちらを運営しています。
●「Renea」
東京都千代田区東神田1-14-2 パレットビル
Tel.03-5809-1927
営業時間:11:30~22:00

※このコラムは柴田書店のWebサイト「レストランニュース」(2009年3月31日をもって休止)で公開したものです。

齋藤訓之
About 齋藤訓之 289 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。「FoodScience」(日経BP社)では「食の損得感情」を連載。公益財団法人流通経済研究所客員研究員。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。日本フードサービス学会会員。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ → ※齋藤訓之のブログ →