VIII 日本人の知らないジャパニーズ・カクテル/ミカド(15)

洋酒文化の歴史的考察
洋酒文化の歴史的考察

J.トーマスによる「ジャパニーズ・カクテル」のオリジナルのレシピには、今日手に入らないリキュールがある。サヴォイ版「ミカド・カクテル」はその失われたものを補う形で作られたレシピだ。横浜中華街での発見は、このレシピあればこそであった。

サヴォイ版「ミカド・カクテル」

 J.トーマスが、どのような背景でどのような思いから「ジャパニーズ・カクテル」を作り出したのか、その説明は前回でやっと結論にたどり付いた。

 明示的な資料が残されていないために、筆者が横浜中華街で味の共通点に気付いてから、これまで7年以上にわたって傍証を集め、積み上げねばならなかった。

 ここまで3カ月にわたって、カクテルブックにさえほとんど記載されていない「ジャパニーズ・カクテル」を追い続けてきた拙稿を辛抱強く読み続けて来てくれた読者に改めてお礼を述べたい。

 さて、前回の末尾で述べた“忘れ物”の話だ。筆者がシアトル系カフェで手に入れたオルゲート・シロップで再現してもらった「ミカド・カクテル」のレシピがサヴォイ版だったことが、なぜ「幸いだったかもしれない」(第52回参照)のか。

失われたオリジナルに必要なビタース

 カクテルがまだ広く普及していなかった1860年代、カクテルで使うことを前提として作られたリキュールはまだ存在しなかった。カクテルとは「種々の酒に砂糖とビタースを加えたもの」という定義で規定されていた黎明期に、限られた素材の中でJ.トーマスが苦労して紹興酒の味に近づけて作ったのが1862年の「The Bartender’s Guide / How to Mix Drinks / THE Bon Vivant’s Companion」に掲載された「ジャパニーズ・カクテル」のレシピである。このレシピでは、Boker’s Bitter(1862年版では「Bogart’s」と記載されているが、1876年版で「Boker’s」に変わっているため、誤植とされている)を使用しているが、これはその後の禁酒法時代(1919~1933年)に販売中止のやむなきに至った。

 これが失われた代わりに、その後入手が容易になったリキュール(アンゴスチュラ・ビタース、コアントロー、クレーム・ド・ノワイヨー)を駆使した結果、よりオリジナルの紹興酒に近づいたのが、ハリー・クラドックの「The Savoy Cocktail Book」(1930年)の「ミカド・カクテル」だ、というのが筆者がたどり着いた結論だ。

サヴォイ版しか知らなかった不思議な巡り合わせ

 Boker’s Bitterの製法(配合)はすでに解明されているから、このビタースを作ることは可能だ。しかし、筆者はそれをまだ試していない。ただ、少なくとも現行のアンゴスチュラ・ビタースとオルゲートを使ってトーマス版を再現したものは、サヴォイ版より紹興酒との味のベクトルの差は広がってしまう。

 筆者が最初から1862年の「元祖」ジャパニーズ・カクテルを知っていればサヴォイ版を再現しようとは思わなかったし、サヴォイ版を再現していなければ、横浜開港資料館の帰りに立ち寄った中華街の店で紹興酒との味の類似に気付くことができなかった可能性が高い。まして、サヴォイ版からさらに味のベクトルが離れてしまうJ.トーマスのジャパニーズ・カクテルの味を知っていたら、なおのこと気付かなかっただろう。

「J.トーマス版ジャパニーズ・カクテルと日本のかかわり」という、世界中の誰も解けなかった難問を解くためのヒントを与えてくれたのが、サヴォイ版だったと言ってもいい。

「スパイ・ゾルゲが愛したカクテル」を書くために、筆者は足しげく国会図書館に通っていた。そのリサーチを終える頃になって、かつてゾルゲの活躍の場であったドイツ大使館は、その国会図書館の場所にあったと知った。サヴォイ版を再現したあの巡り合わせを想うとき、国会図書館で感じたのと同様の感慨が湧いてくる。

About 石倉一雄 129 Articles
Absinthe 研究/洋酒ライター いしくら・かずお 1961年北海道生まれ。周囲の誰も興味を持たないものを丹念に調べる楽しさに魅入られ、学生時代はロシアの文物にのめり込む。その後、幻に包まれた戦前の洋酒文化の調査に没頭し、大正、明治、さらに江戸時代と史料をあたり、行動は図書館にバーにと神出鬼没。これまでにダイナースクラブ会員誌「Signature」、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)に誰も知らない洋酒の話を連載。研究は幻の酒アブサン(Absinthe)にも及び、「日経MJ」に寄稿したほか、J-WAVE、FM静岡にも出演。こよなく愛する酒は「Moskovskaya」。