II スパイ・ゾルゲが愛したカクテル(1)

日本に洋酒文化が定着していったプロセスを読み解く第2シリーズ。ソ連のスパイで戦前から日本で諜報活動を展開したリヒァルト・ゾルゲらの活動を追いながら、ゾルゲが訪れたバーと愛飲した酒を検証する。

パリのクロアチア人青年

「我々の仕事はソビエト・ロシアを守ることです。これはすべての善良な共産主義者の義務ですが、われわれの特別な任務は情報を集めることです」

 昭和7(1932)年3月。まだ石畳から体の芯にまで伝わってきそうな厳しい冷え込みに包まれたフランス・パリ。

「オルガ」と名乗る北欧訛りの女性の口から出た言葉は、共産主義への熱から冷めかけていた29歳のクロアチア人青年ブランコ・ド・ブーケリッチにとって衝撃だった。

 各国が保護貿易で自国経済を救おうとする中、昭和4(1929)年に始まった大恐慌の波は昭和6(1931)年、ついに第一次世界大戦の戦勝国フランスにも及び、社会不安と収入の減少が経済に深刻な影を落としていた。翌年になると状況は改善するどころか、さらに暗雲が立ち込めてくる。隣国でフランスへの敵意をあからさまにした国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の勢力が伸長し、大衆から支持されるアドルフ・ヒトラーという人物が大統領選でかなりの票を獲得することは確実だろうと報じられていた。

――ソビエトのための情報の収集? そんな仕事はしたこともないし、自分にはそんな仕事をする資格もない――友人の説得でフランス共産党に入ったばかりの彼が発する質問を彼女は遮った。

「われわれの仕事はオッペンハイムの探偵小説に出てくる軍事探偵のようなものではありません」彼女は自信に満ちた笑顔で、こう続けた。「あなたがどこの国に行っても、あなたを導く経験豊かな同志と、われわれの仕事に協力してくれるシンパがいます」

 数カ月が過ぎ、季節が秋に変わったころ、ようやく説得に応じて諜報活動をすることに同意したブーケリッチの前に現れたオルガは、「あなたは日本へ行くことに決まりました。日本のような美しい国に行くあなたがうらやましいわ」――そう言い残してパリの雑踏へ消えていった。

ロサンゼルスの日本人画家

 ブーケリッチが妻と共に渡航の準備を進めていたころ、アメリカ・ロサンゼルスのリトルトーキョーで「ヤノ」と名乗る男とコーカサス人が、画家として暮らしていた宮城与徳に接触していた。

「君はアメリカ共産党員として1カ月ほど東京に滞在し、警察に弾圧されて壊滅状態にある日本の共産党を再建してほしい」

 そう聞いた宮城は、ブーケリッチほど手間取ることなく党に協力することを承諾する。

 ブーケリッチと宮城は年齢は1つ違いだが、経験も共産主義への思いも違う。二人は、誰の下で、どんな仕事をするのか詳しい説明を受けないまま、フランスとアメリカで、割いた1ドル紙幣の右半分と左半分を渡され、まだ見ぬ「経験豊かな同志」に会うために日本に向かう船に乗船した。

 供述調書を始めとする関係者の証言で再構成すると、後に世界を震撼させたリヒァルト・ゾルゲ率いる国際諜報団の日本での活動の序章はこのような感じで始まっている。スパイとは「007」のように“秘密の場所で特殊な訓練を受けた工作員”というイメージをブーケリッチ同様、我々も持ってしまうが、ゾルゲ率いる国際諜報グループに参加した人々のプロフィールとその後の活動をさまざまな資料から読み解くと、必ずしも我々のイメージにそぐわない実態に驚くことがしばしばある。

東京のウイスキー愛好者

 戦後に発表された幾多のミステリー小説が超えることのできない歴史的事実「ゾルゲ事件」に筆者が注目したのは、本国から彼らに送られてくる潤沢な資金と派手な交友関係が興味をかき立てるのに加え、この事件ではリーダーのゾルゲをはじめとする逮捕者の莫大な量の供述調書と多くの関係者の証言とが残っており、裁判に使う書類という性格上、小説などでは割愛されがちなことが、細大漏らさず語られていることからだった。

 一般にゾルゲ事件に興味を持つ方は「誰と」会っていたかに注目するはずだが、戦前洋酒文化の歴史的考察を検証する本稿では、本来ならば記号の意味しか持たない「どこで」が重要な意味を持ってくる。

 ゾルゲが受け取っていた工作費は時期によって違いがあるが、月額1000円。宮城の下で報告書の英訳に当たっていたシンパでさえ毎月100円が支給されている。彼らが活動を開始した昭和7~8(1932~1933)年の金額をイメージするために当時の資料を見ると、平均的な東京のサラリーマンは朝、妻から渡された50銭で1日を過ごす時代だった。往復の電車賃が14銭、ゴールデンバット(※当時の代表的な煙草銘柄)が7銭、昼のカレーライスが15銭で食後のコーヒー5銭と当時のレポートは伝えている。残った9銭をへそくりにして雑誌の購入や帰宅前の一杯にあてていたと思われる。

 なんのことはない、千円札1枚と少々で1日をやりくりする筆者とさほど変わりがないのだが、ここから当時の50銭≒現在の1500円と換算すると、ゾルゲは現代に換算すると約300万円の報酬を毎月受け取っていたことになる。後世の洋酒ライターにとってさらに有難いのは、彼が酒、それもウイスキーを好む無類の酒好きで、飲むことには惜しみなく金をつぎ込んでいたことが関係者による複数の証言で明らかになっていることだ。

 そこで今回はゾルゲ・グループの活動を時系列に沿ってフォローしつつ、資料には店名と簡潔な説明だけが記載されているバーを、本来ゾルゲとは全く無関係な当時の洋酒関連資料と比較しながら見ていくことで、昭和10(1935)年前後の洋酒と洋酒肆(洋酒酒場=バーの旧称)事情を解明していきたい。

(画・藤原カムイ)

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Absinthe 研究/洋酒ライター いしくら・かずお 1961年北海道生まれ。周囲の誰も興味を持たないものを丹念に調べる楽しさに魅入られ、学生時代はロシアの文物にのめり込む。その後、幻に包まれた戦前の洋酒文化の調査に没頭し、大正、明治、さらに江戸時代と史料をあたり、行動は図書館にバーにと神出鬼没。これまでにダイナースクラブ会員誌「Signature」、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)に誰も知らない洋酒の話を連載。研究は幻の酒アブサン(Absinthe)にも及び、「日経MJ」に寄稿したほか、J-WAVE、FM静岡にも出演。こよなく愛する酒は「Moskovskaya」。