I モダン・ガールは何を飲んでいたのか(7)

日本に洋酒文化が定着していったプロセスを追う本シリーズ。その手がかりとして最初にスポットを当てたのが、大正期から現れたモダン・ガールたちだ。今回は、日本でのカクテル普及の夜明けについて、重大な報告をしなければならない。

店でカクテルを飲んだ最初の日本人

 日本で初めてカクテルを製法と共に紹介したのは、明治39年の雑誌だった。翌年に発行されたカクテル製法の指南書には84ページにわたってカクテルの製法と分量が紹介されており、同書には明治32年にアメリカで開催されたカクテル競技会で優勝した「コモドーア」のレシピ等も掲載されている。

 奥田が同書を持っていたかどうかは推測するしかないが、少なくとも明治39年以降はバーテンダーとしての修業をした人でなくても、日本でカクテルの詳細を知ることが可能だったことになる。

 本稿はモダン・ガールが何を飲んでいたのかをテーマとして連載を続けてきた。モダン・ガールの走りとも言える、酒場で洋酒を口にする女性の一人が尾竹紅吉という名前であり、彼女が飲んだのが後にプース・カフェと呼ばれるカクテルだ、というところまではあちこち寄り道をしながらも、どうにか説明が終わった。

 ここで筆者は重大なことを読者に伝えねばならない。それは、彼女が「五色酒」を飲んだ記述以前の文献に、日本人が外国との接遇以外の場でカクテルを飲んだという記述が見当たらないこと、つまり彼女が、文献に残る、日本の酒場でカクテルを口にした初めての日本人だった可能性があるということだ。

大正元年のカクテル・プロモーション

 古い資料を足掛かりに原稿を起こしていくアプローチをとる場合、どれほど精緻に既存の資料を検証しても、こつ然と現れた、たった一冊の書籍、たった一行の記述がそれまで築いてきた仮説を一挙に覆す「破壊力」を持つことは十分承知している。

 実際、洋酒の世界の常識では、日本で確認できる最も古い洋酒は明治3年にカルノー商会が輸入したジン、明治4年にエフ・レッツ商会が輸入したヘネシーなどであり、最も古いカクテル文献は大正13年の宮内省大膳厨司長秋山徳蔵の「カクテル(混合酒調合法)」とされてきた。そこに江戸時代の輸入実績と明治40年のカクテル話を持ち出した張本人が言うのもどうかとは思うが、筆者がここで記述しているエピソードも現段階で証明できているに過ぎず、新たな資料の発掘で引っ繰り返される危険が発表の翌日から発生していることも承知している。

 しかし、そのリスクをおいてなお、19歳の血気盛んな女性、モダン・ガールの走りである尾竹紅吉が日本にカクテルを紹介した先駆けであることを伝える誘惑には抗えない。

 勉強熱心なバーテンダー諸兄が知る通り、カクテル先進国アメリカでは文久2(1862)年にJ.トーマスが世界初のカクテルブックを著わしており(前回参照)、モダン・ガールの稿では詳述を避けるが明治8年にはすでに横浜居留地で外国人向けにカクテルを出すバーも存在していた。

 しかし、その後30年以上に渡って日本におけるカクテルの普及は居留地を出ることがなかったのである。

 ところが明治40年にカクテルの指南書が世に出て4年が経過したとき、突如カクテルを好奇心旺盛な文人たちが記録に残し始める。「青鞜」の7月号で五色酒を伝えた尾竹紅吉に続いて10月には永井荷風が「メイゾン鴻之巣」を評した文章に「コックテールの調合も申し分なし」としたためているし、同年5月の雑誌に掲載された「鴻之巣」の広告にも「カクテルやポンチ酒の盃~」というくだりもある。

 つまり、明治45(大正元)年、「鴻之巣」の店主である奥田にはカクテルを積極的に日本に広めようとする明白な動きが認められ、これに触発された尾竹を始めとした文人が相次いでカクテルに触れ始めたのが大正元年で、それ以前にはカクテルという酒を認識して世に伝えた日本人の手になる文献が見つかっていないのだ。

 このことから暫定的ではあるものの、筆者は「青鞜」の尾竹紅吉を「メイゾン鴻之巣」の奥田駒蔵と並んで日本にカクテルを普及させた功労者として挙げておきたい。

明治後期にサントリーの五色酒の記述はあるが

 ……ここまででも十分に奥歯に物が挟まった語り口になっているのだが、ここに「我こそは五色酒の先駆者なり」という声が全然別の側から出てくるのだ。

 ここまで読者を資料や文献の迷路に引きずり込んだついでに声の主の名前を出してしまうと、鳥井商店(後の壽屋、現サントリー)である。同社の70年史「やってみなはれ みとくんなはれ サントリーの70年」(1969)に「豆瓶利休酒(五色酒)」を明治42年に出していると同書巻末の「製品販売一覧」の年表で明記しているのだ。これを知って頭を抱えた筆者の、胃薬を一瓶飲み下したような表情をお察しいただきたい。

 そこらの新興メーカーの社史なら反証資料を掲げて「笑止千万」で切り捨てられるのだが、今回ばかりはそうはいかない。それは日本の洋酒界をリードするトップメーカー、サントリーだからではなく、この70年史の成立過程にある。

 同社の70年史は、未整理の資料を押し付けて素人ライターに書かせた、表紙だけ立派な巷間よくある社史とは力の入れ方が違う。総務課に専属のプロジェクト・チームを作り、ピーク時には20人のスタッフをフル稼働させて佐治敬三会長(当時)をはじめとする50人の生き証人から直接聞き取り調査を行い、10年の歳月をかけて作った渾身の作で、掲載されている写真と共に、戦前の洋酒事情を調べる者にとっては帝国ホテルの社史を超える第一級資料なのだ。

 筆者としてはさまざまな資料を検証した結果として、日本人へのカクテル紹介=大正元年説を信じているものの、鳥井商店がそれに先駆けて五色酒を世に出していた可能性も十分にあることを新資料発掘への期待と共にここに記しておくこととする。

(画・藤原カムイ)

About 石倉一雄 129 Articles
Absinthe 研究/洋酒ライター いしくら・かずお 1961年北海道生まれ。周囲の誰も興味を持たないものを丹念に調べる楽しさに魅入られ、学生時代はロシアの文物にのめり込む。その後、幻に包まれた戦前の洋酒文化の調査に没頭し、大正、明治、さらに江戸時代と史料をあたり、行動は図書館にバーにと神出鬼没。これまでにダイナースクラブ会員誌「Signature」、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)に誰も知らない洋酒の話を連載。研究は幻の酒アブサン(Absinthe)にも及び、「日経MJ」に寄稿したほか、J-WAVE、FM静岡にも出演。こよなく愛する酒は「Moskovskaya」。