I モダン・ガールは何を飲んでいたのか(3)

日本に洋酒文化が定着していったプロセスを追う本シリーズ。その手がかりとして最初にスポットを当てたのが、大正期から現れたモダン・ガールたちだ。そもそもモダン・ガールというものは“舶来思想”であり、日本では独特の奔放さを持つスタイルに変容していった。

労働が変わり、男女が変わった

 モダン・ガールが息をする人間として実在していたのか、それともSF映画のように作られた虚像だったのかを知るために、少しお酒から離れよう。

「VOGUE」※から飛び出てきたようなモダン・ガールという人種が、黒船来航からわずか50年少々の日本に忽然と姿を現した、その時代背景を説明するため、「産業革命」という、高校教科書以外ではお目にかからない堅苦しい単語にお出ましいただくこととする。

 それまで自分の家族とコミュニティでほとんどの必需品を自給自足でまかなっていた近世は、蒸気機関とガソリン機関の実用化で激変した。とくに蒸気機関はカクテルに不可欠な「氷」の普及に多大の貢献を果たしているのだが、その詳細については別の機会に譲る。

 つまりコミュニティに必要な分だけをつつましく作っていた時代が、燃料さえ与えれば文句も言わずに働き続ける機械の登場で大量生産が可能な時代に代わり、今まで多くを人力、限られた部分を牛馬に頼っていた部分から人間が解放された。そこで人間が行う作業の“質”が大きく変化した。それまで労働の大半を占めていた継続的な単純作業が徐々に人の手から機械に取って代わられ、そのかわり人間には発注や管理/検査という軽作業の需要が大量に発生したのだ。

 このことは、相対的に男性より非力ながら細かい手作業や緻密な連続作業を得意とする女性の大幅な社会進出を実現することを意味していた。

男っぽさ/女の魅力

 確かに19世紀末から20世紀初頭にかけては作業の多くの部分を女性が担う、たとえば紡績のような仕事があったために「女工哀史」のような世界はあったものの、貴族の家にでも生まれなければ、一生家事と育児に明け暮れることが生まれた時から規定されていた女性が、多寡はともかく現金収入を得るようになり、その中でも才能や努力に秀でた女性は社会で頭角を現していく。

 この傾向はとくにアメリカで顕著で、彼女たちは家でアップルパイを焼いて友人を招く生活から、スーツに身を包んで激務をこなし、夜になるとバーでカクテルを口にする、男性型のライフスタイルを好んだ。

 その一方で彼女たちは「イット」(昭和初期のモダン文学に見られる表現。直訳すると「それ」だが、女性の性的魅力を言う)のアピールも同時に求めるようになった。足を露わにしたスカート、そして発達した繊維技術の賜物であるストッキング。女性の男性化と、そこに軸足を置いた上での女性としての性的アピールというアンビヴァレント(対立する両面価値)な、全く新たな女性像は世界に大きなインパクトをもたらし、伝統を重んじるフランスにさえ「ギャルソンヌ」(男のような短髪女性)が登場するようになった。

フラッパァ、毛断、解放

 つまり、日本に登場したモダン・ガールという概念はパリパリの舶来思想であり、当初は女性の社会進出を土壌として、一見男性的でありながら女性としての魅力を積極的にアピールするセクシュアリティという香りを放つ外来種の花として輸入されたことになる。

“純血種”としてのモダン・ガールは、男性の独壇場であった仕事における女性の社会進出という土壌に咲いた花であり、あくまで香りは付随的なものに過ぎなかった。これはアメリカで社会進出を果たした女性たちの貞操観念がしっかりしていたから……ということではなく、そもそもビクトリア時代と呼ばれる19世紀のアメリカが性的にかなり奔放な時代であり、性の解放をわざわざ女性の社会進出にかこつける必要がなかったからといってもいい。

 ところが、日本に輸入されたモダン・ガールという花は香りを強く放つ亜種として品種改良されていった。なかでも「フラッパァ」(洋装を身にまとった、性的に奔放な女)と呼ばれる特異種がモダン・ガールの代表格として男性の好奇心を大いに惹きつけたことは、日本のモダン・ガールの大きな特徴と言えるだろう。

 だからモダン・ガールに「毛断」の字を宛てて書いた文献が当時から存在していたのは、ただの当て字ではない。「みどりの黒髪」として女性の美の象徴とされた髪をすっぱり切り去ることで、従来の枠にはめられた女性観と決別することを意味していたからだ。

奔放なモダン・ガール

 こうして、大正末期から昭和初期、「新青年」や「文藝春秋」「モダン日本」に登場したり、考古学に対立する概念として考現学を提唱した早稲田大学教授の今和次郎が描いたモダン・ガールを食い入るように見つめていた90年前の男性諸氏は、断髪(ショートカット)で洋装の女性が颯爽と歩く姿を、夏雲のようにモクモクと膨らむ妄想と共に見ていたことになる。

 それでは、当時メディアに登場していた女性たちはこういう多分に妄想、もとい知識先行で両目にハートマークを浮かべて見られていたモダン・ガール像をどう見ていたのか。これが「けがらわしい!」と蔑(さげす)むどころか、これをおおいに是としていたというのだから歴史というのは面白い。

 平塚らいてうが同人と共に創刊した雑誌「青鞜」には、女一人で酒場に出かけたり売笑窟をみんなで見学に行った様子が描かれているし、らいてうと同人の女性については、間接表現ながら、ビジネス系のWebサイトに書くことが憚られるような熱い一夜の出来事までしたためられている。

 倒錯文学の大家である谷崎純一郎と、作中人物ナオミのモデルになった小林せい子――当時モダン・ガールの典型とされた女性で谷崎の妻の妹に当たる――の関係に至っては、筆者の筆力では説明することさえ不可能に近いので、興味がある方に谷崎純一郎の「痴人の愛」を薦めるにとどめておく。彼女の言動(彼女に対する谷崎の妄想というべきか)がモダン・ガールの一つの典型として当時の男性のイメージを掻き立てていたことは間違いないので、寝付けない夜に紐解いてみるのも一興かもしれない……寝付けなくなる方もおられそうだが。

では何を飲んでいたのか

 さて、こうして当時の人々がモダン・ガールをどのような目で見ていたか、についてはあらかたご理解いただけたかと思う。もっとも彼女たちは好色だったからこのようなアプローチをとっていたわけではなく、そういったものをタブー視する風潮に反駁することが主目的だったわけで、彼女たちを見る世間と、彼女たちとで、「性に関してタブーを持たない」という概念が全く異なった視点から語られていたことは押さえておきたい。

 モダン・ガールの実像には近付いたものの、いささか話が艶っぽくなりすぎた。ここでコースを戻して、次回は大正時代の洋酒事情について説明していくこととしたい。

※「VOGUE」:1892年イギリスで創刊したファッション雑誌。その後アメリカに拠点を移し、現在に至るまでファッションの最先端を紹介する。

(画・藤原カムイ)

About 石倉一雄 129 Articles
Absinthe 研究/洋酒ライター いしくら・かずお 1961年北海道生まれ。周囲の誰も興味を持たないものを丹念に調べる楽しさに魅入られ、学生時代はロシアの文物にのめり込む。その後、幻に包まれた戦前の洋酒文化の調査に没頭し、大正、明治、さらに江戸時代と史料をあたり、行動は図書館にバーにと神出鬼没。これまでにダイナースクラブ会員誌「Signature」、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)に誰も知らない洋酒の話を連載。研究は幻の酒アブサン(Absinthe)にも及び、「日経MJ」に寄稿したほか、J-WAVE、FM静岡にも出演。こよなく愛する酒は「Moskovskaya」。