ロシアウォッカの味の決め手

2016年3月17日、東京・小石川のFBOアカデミー東京校において「ロシア・サケ・フェス」と銘打ってウォッカのイベントが開催された。

「アクサコフスカヤ」は譲れない

「アクサコフスカヤ」奥の(62)は韓国のインポーターの要請に応じて現地のメーカーがオタネニンジンのエキスを加えた別物で、筆者が狙っていた(61)はクミス(馬乳酒)が隠し味に加えられた旧版。
「アクサコフスカヤ」奥の(62)は韓国のインポーターの要請に応じて現地のメーカーがオタネニンジンのエキスを加えた別物で、筆者が狙っていた(61)はクミス(馬乳酒)が隠し味に加えられた旧版。

 その4日前に訪ねたテキーラ・フェスの音楽と歓声に包まれた熱狂ぶりとは打って変わって、こちらは真剣な勉強会の雰囲気だ。用意された50人分の席では収まらず、用意した教室の外に急遽席を準備することとなった。

 まず、日本のロシアウォッカ振興の中心人物とも言えるプロムテック・ビズ(東京都杉並区)の遠藤洋子社長が、ロシアウォッカの歴史と有名ブランドの海外への流出状況などを駆け足で説明された。次いで、ロシアビールの代名詞「バルティカ」を輸入する池光エンタープライズとロシアワインを輸入するSTH Earthが、ロシアでの生産状況を説明した。

 今回のイベントの目玉は、日本未入荷の物を中心に遠藤さんが集めた110本のロシアウォッカ・コレクションの試飲と、昼の部の入場者全員に気に入ったウォッカを1本進呈するという太っ腹な企画だった。

 筆者はロシア・バシキール(現バシコルトスタン共和国)産の「アクサコフスカヤ」というウォッカを狙っていたのだが、一人のご婦人と希望がかち合ってしまった。電車の座席であれ狭い道での鉢合わせであれ女性には譲る方なのだが、ことアクサコフスカヤに関してはそうは行かなかった。20年近く前にプロムテック・ビズのオフィスで業務用酒販店の方とたった2人で同社初の試飲会をしたときに、彼と筆者が「いちばんうまい」と一致して以来の思い入れのある代物なので、今回ばかりは譲れない。ジャンケンで勝ってどうにか入手したものの、彼女には申し訳ないことをした。

意中のウォッカをプレゼントされてバーテンダーもご満悦。
意中のウォッカをプレゼントされてバーテンダーもご満悦。

ウォッカを語れないバーテンダー

バルザム(ロシアの薬草酒)とロシア・ウォッカ111本が展示された。
バルザム(ロシアの薬草酒)とロシア・ウォッカ111本が展示された。

 今回のウォッカ・イベントで筆者の告知に応じて来てくれたバーテンダーたちはロシア・ウォッカが100本以上並ぶ様子に目を丸くしていた。「どれがお勧めですか?」と聞かれるままに目ぼしいウォッカの説明をしていく――西瓜を隠し味に加えた「セブン・サムライ」。2000年代にロシアウォッカの代名詞となった「スタンダルト」。かつてはロシアのプレミアム・ウォッカの最高峰とされていたペンギン型の「フラグマン」。牛乳に雑味を吸着させて味を磨いた高級ウォッカの「パーラメント」。ピョートル大帝以来強いリーダーを求める伝統を持つロシア人に人気のあの大統領の名を付けた「プーチンカ」。ロシア陶器から名前を得た庶民派ウォッカの定番「グジェルカ」……まで説明したところで、他の来場者たちがいつの間にか筆者とバーテンダーたちの周囲に集まって来ていることに気が付いた。

 モルトウイスキーやラム、テキーラならば詳しく説明してくれる人は多い。しかし、ウォッカで同様の説明をしてくれる人には、バーテンダーを含めてあまりお会いしたことがない。昨年のウォッカの通関数(税関を通った数。いくらかの差異はあるが、輸入量に近い)が293万ℓ(食品産業新聞のデータをもとに筆者試算)で、テキーラの輸入量は195万ℓ(JUAST、メキシコ大使館商務部提供データ)だから、日本に入っている量で言えばウォッカの方がテキーラより遙かに売れているにもかかわらず、ウォッカに関する知識は、テキーラと比べても決して潤沢とは言えない。見知らぬ人たちがこちらに聞き耳を立てている様子を見て、そんな現状を突きつけられた思いがした。

 ウォッカに関してバーテンダーでさえ情報が少ない理由は、世間のバーテンダーたちがウォッカを「ただのアルコール」と見なしているからではない。「ヴェルベデール」や「クルレフスカ」等のポーランド・ウォッカはバーの棚でもよく見かけたし、フランス産の「グレイグース」や「シロック」を店に常備しているバーも多い。「ただのアルコール」であれば、それらをわざわざ置く必要もあるまい。

 とは言え、それらのウォッカはあくまでも“別格”扱いで、昭和時代に珍重されたアメリカ産のコーン・ウォッカ「スミノフ・ド・ツアー」とポジション的に変わらない。それ以外のウォッカについて、多くの人々が「どれを飲んでも同じ」と思っていることは否めないだろう。

 だが、そうした思い込みへの反論として、たとえば「ウォッカと日本酒には共通点がある」、と言ったら驚くだろうか。おとぎ話の金太郎が力任せに振り回す鉞(まさかり)のごときアルコールと、人間国宝の刀鍛冶が鍛えた日本刀のような酒の芸術品を比較するのか、と読者が怒り出しそうな話だが、ネタを明かすとポイントは「水」にある。

ウォッカの味は水で決まる

ウォッカの歴史を説明するプロムテック・ビズの遠藤洋子社長。
ウォッカの歴史を説明するプロムテック・ビズの遠藤洋子社長。

 日本酒が各地方の名水を味わいの骨格としており、それゆえに各地方の郷土料理と相性がいいという話を聞いたことがある人は多いだろう。ウォッカはどうか。ロシアではもっぱら小麦やライ麦を原料(ジャガイモもないわけではないが、ロシアでの使用例は少ない)として蒸溜した、60〜80度のアルコールがウォッカのベースとなる。この段階まで、ピートの燻香ともボタニカルの浸漬とも無縁に、ひたすら個性をそぎ落としてきたズィズネニヤ・ワダ(生命の水)に、世界一の透明度を誇るバイカル湖やシベリアのタイガ(針葉樹林)から滴り落ちて地中でゆっくりと濾過された水が、飲用に適した40〜50度になるよう注ぎ込まれる。ウォッカに生命と個性が吹き込まれる瞬間だ。

 これはロシアの話ではないが、プレミアム・ウォッカとして日本でも有名なスウェーデンの「アブソルート」は、瓶を「アブソルート」で洗浄するのが瓶詰前の最終工程だ。通常の洗浄に使われる、フィルターを通した水や煮沸した水がウォッカのバランスを壊すことを避けるための措置だという。これはわずかな水の味に対するウォッカのこだわりの、ほんの一例に過ぎない。

 濁り水に薄い青インクをいくら注いでもよく見えないが、透明な水に垂らした数滴の薄い青インクは瓶を淡いブルーに染めていく、とたとえれば、水がウォッカに与える影響もご読者にご理解いただけることだろうか。

 蒸留後に、さらに白樺の活性炭と石英砂を大量に使って個性をそぎ落としていくウォッカにとって、最後に加える水こそは、口当たりやのど越しを決める重要なファクターなのだ。日本では入手困難な「アルタイ」や「シビルスカヤ」というロシアウォッカが世界のウォッカ好きの間で高評価を得ているのは、原料や濾過の工程のレベルの高さもさることながら、「水」がカギとなっていることはもっと知られていい。

 そんなことを説明できるバーテンダーが何年か後に登場してきて、「無味無臭のお手軽なカクテルベース」という従来のイメージを払拭してくれるかどうかが、今後のウォッカの課題だろう。

現在日本国内で入手可能な主なロシア・ウォッカとロシア系ウォッカ(プレーン)

種別銘柄生産国輸入者
ロシア産グリーンマークロシアサントリー(2015年終売)
ロシア産ストロワヤロシアプロムテック・ビズ
クバンスカヤロシアプロムテック・ビズ
フラグマンロシアプロムテック・ビズ
ベルーガロシアスミルノヴァ・プランニング
ホワイトバーチロシアスミルノヴァ・プランニング
モスコフスカヤロシア(輸入総代理店なし)
ルースキー・スタンダルトロシア(輸入総代理店なし)
ロシア系ストリチナヤラトビアアサヒビール
モスコフスカヤ・クリスタルラトビア(輸入総代理店なし)
スミノフ(赤/青)韓国キリンビール
スミノフ(黒)イギリスキリンビール
エリストフフランスバカルディ・ジャパン
石倉調べ。2016年3月現在

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About 石倉一雄 129 Articles
Absinthe 研究/洋酒ライター いしくら・かずお 1961年北海道生まれ。周囲の誰も興味を持たないものを丹念に調べる楽しさに魅入られ、学生時代はロシアの文物にのめり込む。その後、幻に包まれた戦前の洋酒文化の調査に没頭し、大正、明治、さらに江戸時代と史料をあたり、行動は図書館にバーにと神出鬼没。これまでにダイナースクラブ会員誌「Signature」、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)に誰も知らない洋酒の話を連載。研究は幻の酒アブサン(Absinthe)にも及び、「日経MJ」に寄稿したほか、J-WAVE、FM静岡にも出演。こよなく愛する酒は「Moskovskaya」。