東京電力を反面教師として学ぶ広報のあり方

大震災後の東京電力福島第一原子力発電所の事故は、ついに事故の評価として最悪のレベル7とされるに至った。レベル5から突然2段階上がった恰好で、いままでの評価は何だったのかという印象を受ける。これ以外にも、この事故関連の報道では、生じさせずに済んだはずの悪い印象を次々に与えていると考えざるを得ない。広報として何が間違っているのか、どうすべきであったのかを考える。

物理的にも意味的にもトップ不在のまま進展

 請われて日本航空に入り、短期間の内に再建の基盤に載せた稲盛和夫会長が、東京電力を評して、「組織に慢心と弛緩が蔓延し、緊急で最悪の事態に対処する力を失っていたのは大変不幸なことだ」(時事3月28日)と苦言を呈した。

 そんな東京電力の清水正孝社長は、大震災当日東京を離れていた上に、しばらくは理由も明らかにしないまま雲隠れ状態だった。福島第一原子力発電所の事故発生後2週間を経た24日には西岡参議院議長が「姿を見せず非常に不可思議」と不快感を示したが、その3日後の27日になって、16日頃(事故発生後の5日を経ている)から数日間体調不良で職務を離れていたという発表があった。

 かと思えば、30日になって、29日から再び緊急入院したと発表があった。やっと人前に姿を現したのは、12日に福島県のオフサイトセンター(政府設置の対策拠点)訪問。佐藤雄平知事には会わなかった。知事は「来ると聞いてない」と言っている。翌13日には都内本店で記者会見を行ったが、今後について具体的な話は何も話すことができなかった。

 この人は、問題の責任者としてまず最初に公衆の面前に姿を現すこともなく、事故に至る仔細も語らず、説明責任を果たすこともなかったわけで、広報の基本中の基本・原点を実践できていない。正式なお詫びの言葉も自らが述べることもできずに、病気が理由であれ結果的に最高経営責任者としての統治能力が示せず、つまるところ組織全体としての無責任ぶりをさらけ出すばかりだった。

日本広報学会会長の失態

 この東京電力の清水社長が、3月末まで日本広報学会の会長であったということを知って愕然とした次第である。

 清水社長は広報学会の会長としての挨拶の中で、「これからの広報活動に求められるのは『伝える広報』から『伝わる広報』への変化ではないかと思っております」と語っていたという。一連の事故に対する清水社長の行動を見れば、あまりにも空しい言行不一致ではないか。個人の体調不良が事実であったとしても、では企業という組織としての広報活動は万全であったかといえば、あえて言う言葉が見つからない。

 本来ならば、今回の東京電力の危機は、その社長であり日本広報学会会長である人が、最大の指導力を発揮し、最高の広報のあり方を実践して見せる重要な機会だったはずだ。にもかかわらず、指導力のなさを印象づけ、広報活動としても最悪だったと評価するのは、私一人ではないだろう。

 日本広報学会の設立趣旨には、「経営体の広報およびコミュニケーション活動全般について、学術的および実践的な研究を行い、研究成果を発表しつつ、理論としての体系化を目指す」「これからの経営体のコミュニケーション活動のあり方、さらに社会に開かれた経営体のあるべき姿を洞察し、必要とされる施策の内容を検討するとともに、展開の方法および技法の開発につとめる」「国際社会に通用する広報マインドの醸成に貢献する」とある。

 だが、実際に同学会会長とその人が経営する会社がして見せたことは、その趣旨とかけ離れ過ぎている。してみると、私にはこの学会の存在さえ有形無実に見えてしまうのである。であれば、同学会に何かを学ぼうとするよりは、東京電力を反面教師として学習するほうが価値のあることのように思われる。以下に、そのポイントを整理してみたい。

反面教師が教える広報十訓

 すべからく広報活動においては、以下が実践できなくてはならない。

一、真実を語らなければならない。広報活動が提供する情報に嘘・偽りがあってはならない。

二、事実を隠ぺいすることなく、必要なときに、必要な情報をオープンに提供することが必要である。

 まず自ら伝えなければ、伝わらない。伝わらなければ適切な価値の評価、活動の評価のしようがない。したがって、伝わらなければ価値ではない。

三、情報を公開するに当たっては、統一された信頼に足る情報を公開すべきである。

 今回の事故に当たっては、事が重大であることと国のエネルギー戦略にかかわる重要な問題であることから、東京電力一社ですべてを決めることは、能力的にも法的にも不可能であっただろう。そのため、東京電力、内閣、原子力安全・保安院、原子力安全委員会の4者が個別に会見を行い、各々が公式の発表をしたのだろう。しかし、その内容とタイミングの食い違いは目に余る。

四、情報の信頼性を損ねてはならない。

 今回、発表を行う組織のいずれもが、事故現場からは遠く離れた、被害の実態を感じるのは困難な場所に本拠を置き、会見を行っている。会見に現れる人はいずれも作業服スタイルで登場するが、清潔なオフィスで糊の利いたユニフォームというのはしらじらしいばかりだ。

 その実、命を賭して苦闘しているのは、現場の社員、パートナー企業、自衛隊、警察、消防隊の方々であり、その人々に依存している在京の人々が、適切な管理部門としての冷静な指揮・管理能力を発揮している印象は与えられていない。

 そして現実に、事態は発表内容を超えて刻々と悪化している。事態を先取りできず、後追いの印象は拭えない。しかも発表する内容すら、誤りであったことが何度かある。

 これではたとえ科学的事実として安全性を説明しても、国民は不安になるばかりだ。これは自分たちを傷つけるだけでなく、風評被害を膨らませる大きな一因となっているはずで、他人まで傷つけることになってしまっている。

五、企業は公器としての責任を自覚し、それを基礎とした広報活動でなければならない。

 産業と生活の根幹たる電力の安定供給を責務とする企業が、自己保身、自己防衛を優先した情報発信をしていると感じさせることは致命的と言える。むしろ、自己を犠牲にすらする自覚をもって行動し、その結果を、社会の不安感を取り除くためにも、適切に、タイムリーに情報として公開する必要があり、そのこと自身が何よりも重要な広報活動のベースとされなくてはならない。

六、情報を発表する人の表情・姿勢にも十分留意する必要がある。

 今回のどの会見でも、発表者の表情から誠意が伝わるケースは少ない。人は言葉で判断するよりも言葉以外のものから感じ取ったもので判断することの方が多い。表現力が乏しい人が広報資料を棒読みするような説明では、単に印象が悪いというだけでなく、内容や組織に対する信頼性も損ねる。

 それらに対して、たとえば最初に原発に放水作業を終えた後の東京消防庁の職員たちの記者会見はどうであったか。彼らの感極まった表情が伝えたものは、言葉以上のものがあった。

七、「想定外」は禁句である。

「想定外の津波」という表現がたびたびあった。これは無責任を強調するだけだ。

 原子力安全委員会の斑目春樹委員長もこれを批判している。同委員会の耐震設計特別委員会委員長を務める入倉次郎京都大学名誉教授も、「津波に対する想定が甘かった」と自戒による告発をしている。世界中の被災地で現地調査を重ねてきた防災システム研究所の山村武所長彦は、「想定外は言い訳」と断言している。

 産業技術総合研究所の岡村行進活断層研究長センター長は、経済産業審議会で、東京電力に対し「津波に関しては、東京電力が想定するものとは比べものにならない非常にでかいものが来る」と2009年6月に指摘していたが、東京電力はこれに応えなかった。

八、的確なタイミングで謝罪すべきことは謝罪しなければならない。

 想定していなければいけないことがあったために、災害が事故につながったのだ。「想定外」が弁解として有効なはずがない。

「想定外」からしか発想しないから、そこからは誠意の感じられるお詫びが出るはずもなく、すべてをひとごとのように印象づけてしまった。

 結局、10日以上を経た後の22日になって初めて、やっと重い腰を上げての社長を含む経営首脳陣の現地訪問の申し出は、地元自治体の首長によって拒否された。12日の福島訪問でも、どのような行き違いであったかはわからないが、知事に会えなかったのはむしろ当然だろう。

 一方で東京電力は、19日からテレビCMによる「お詫び」を流し始めた。これは事故発生後すでに1週間以上を経過した後で時機を逸しているし、役員が実際に人に対して頭を下げるのと違って、形ばかりであり、心理的負担などないものだ。このお詫びCMすら、福島県のテレビ局やラジオ局からは放送を拒否されている。私にはこれも当然の反応と思える。

九、形式主義では真心は通じない。

「伝わる広報」とは「人の心が伝わる広報」ではないか。

 やはり地震・津波の被災地に女川原子力発電所を持ちながら何ら問題を発生させていない東北電力は、4月初めの時点で240人の被災者を自社の設備に受け入れている。中部電力は650世帯分の社宅と保養施設90室の開放を発表している。

 これに対して、12の都道府県の21カ所に社宅を持ち、461の独身寮や厚生施設を持つと言われる東京電力は、わずかに新潟県柏崎市にある24世帯分の社宅を開放して受け入れただけである。

 筆者の住む千葉県浦安市では、TDR来場者を主な対象とする高級ホテル群の多くが、液状化で上下水道のマヒに直面した浦安市民に対して、自発的にシャワーのために個室を開放し、無料の入浴や極めて低料金な宿泊プランを打ち出している。

 その浦安市などとは比較にならない厳しさの被災状況を原発周辺に居住・勤務する人々に強いておきながら、東京電力のグループ企業が経営するリゾートホテル「当間高原リゾート ベルナティオ」(新潟県十日町市)の被災者受け入れは、154室に約520人の収容力対し、市役所を通じた受け入れはわずかに36人でだという。直接宿泊を申し込むと大人1人1泊3食で6000円を取っていたという。

 一方、自らの社員を守ると称して、自社の社員寮や社宅の表示板をテープで覆う等の噴飯ものの行動をとっている。さらにバッシング行為を一方的に犯罪として取り締まるように、警察に保護を求めた。

 彼らが迷惑行為や犯罪行為にさらされていいわけではもちろんない。しかし、社員の身の安全も図りがたい状況を招来した原因に思いを致している役員はどれだけいるのだろうか。しかるべき広報活動があれば、社員に対するバッシングがむしろ卑劣であるとの思潮は自然に生まれたはずなのである。

 仮に、東北電力や中部電力のような行動、社員のボランティア活動はじめ被災地への積極的な貢献などを行い、広報できていたら、社会の反応はもっと違ったはずである。

 また、現場作業員が被曝する事故があったが、東京電力はその危険性をどの程度知っていたのか、どのような真剣さで彼らにそれを伝えていたのかいなかったのか、彼らにどの様なお詫びと見舞いをしたのか、それも全く伝わって来ない。

 真心はあるはずである。なぜそれを実践し、広報しないのか。理解に苦しむ。

そうありたいことから発想する

十、理想を見失うなかれ。

 今や米国の追悼集会などでも読まれるという、岩手県出身の詩人宮沢賢治の、有名な「雨ニモマケズ」の一節。

  東ニ病気ノコドモアレバ
  行ッテ看病シテヤリ
  西ニツカレタ母アレバ
  行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
  南ニ死ニサウナ人アレバ
  行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
  北ニケンクヮヤソショウガアレバ
  ツマラナイカラヤメロトイヒ

 宮沢賢治の高い宗教的理想像が表れた詩とは言え、誰もが本当はそうありたいと思える行動が書かれている。

 広報とは言い訳をすることではない。理想を求める集団の、理想との距離を正確に伝え、なお理想に向かっていることを伝えることではないか。

 東京電力の広報担当者だけでなく、広報に携わる人には、ぜひそこを忘れないでいてもらいたい。

 東京電力は本来、賢い頭脳を集めた集団であるはずだ。だが、実践がなければ、訓練がなければ、やがて言行一致が求められない弛緩した組織になり、たいへんな事態を引き起こし、恐るべき印象も生んでしまうと言うことであろうか。全く残念な話だ。

 ともかくも、この忌まわしい原発事故の収束が実現し、一日も早く自然災害の復興に専念できることを祈るばかりである。

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アンクル・アウル コンサルティング主宰 おくい・としふみ 1942年大阪府生まれ。65年大阪外国語大学中国語科卒業。同年トヨタ自動車販売(現トヨタ自動車)入社。中国、中近東、アフリカ諸国への輸出に携わる。80年初代北京事務所所長。90年ハーレーダビッドソンジャパン入社。91年~2008年同社社長。2009年アンクルアウルコンサルティングを立ち上げ、経営実績と経験を生かしたコンサルティング活動を展開中。著書に「アメリカ車はなぜ日本で売れないのか」(光文社)、「巨象に勝ったハーレーダビッドソンジャパンの信念」(丸善)、「ハーレーダビッドソン ジャパン実践営業革新」「日本発ハーレダビッドソンがめざした顧客との『絆』づくり」(ともにファーストプレス)などがある。 ●アンクル・アウル コンサルティング http://uncle-owl.jp/