水無月が教える氷のありがたみ

 クールビズの繰り上げでピンと来ないかもしれませんが、今週金曜日6月1日は更衣(ころもがえ)です。梅雨入りを考えると憂鬱な時期でもありますが、しかし新しい装いは夏が近づく楽しみを感じさせてくれるものです。

 かつて宮中では、6月1日に氷室(ひむろ/冬に堀や池に出来た氷を切り出してしまっておく場所)から氷を取り寄せ、これをくだいて口に入れるのがならいだったそうです。「氷の朔日」(ついたち)と呼ばれるこの日、この習慣は涼を取る楽しみでもあったでしょうが、それをすると病気をしないといった呪術的な意味もあったようです。

 6月はまた、1年の半分を終える月でもあります。日本人の土着の時間感覚では、現代の1年の半分を1つの年のように大きな区切りと考えていたようです。旧暦7月に行われるお盆は、その“もう一つのお正月”の行事が仏教行事と結び付いたものとも。

 6月末と12月末に行われる大祓(おおはらえ)は大宝律令(701年)で最初に整備された除災行事ですが、法制化以前にその習慣はあったと考えれば、やはり古来6月は12月と並んで年末のようにとらえられていたと考えられます。この大祓の日には、小麦粉で作る蒸し餅(水無月の餅)を食べることになっていたようです。

 さて、明治4(1871)年、国家神道を推進していた明治政府は、長らくすたれていた大祓を大宝律令当時のように再興するとの布告を発しました。一方、翌明治5(1872)年12月には天保暦を廃してグレゴリオ暦を導入する布告を発しました。ここでマーケティング上おもしろいことが起こります。旧暦6月1日=氷の朔日が、新暦6月30日=大祓に近づいたのです。

 今日、京都の人が大祓に食べる「水無月」という和菓子は、おそらくこの頃に考案され、盛んに売られたものでしょう。水無月の本体は外郎(ういろう)で、三角の形をしていて上に小豆が少々乗っているということになっています。大祓の食べ物である、蒸して作る水無月の餅(ういろうは米粉だけでなく小麦粉を使うものもあります)を三角形に切って氷の朔日のかち割った鋭い氷に見立て、大祓の日にこれを食べれば、無病息災のおまじないになると売り出したと考えられます。

 水無月に乗っている小豆は、氷室から出し立ての少々泥のついた様子を表現したのでしょう。もっとも、この小豆は「魔除けのため」と説明しているお菓子屋さんが多いようですが、私は初めて水無月というお菓子を見たとき、天然氷のニュアンスがよく出ていると感心しました。とすれば、水無月の小豆はあまりおごらないで作ってくれるのがいいなとも思います。

 とは言え、水無月というお菓子の起源についてはいろいろな説があるようです。東京あたりではあまり見掛けないお菓子ですが、関西のお菓子屋さんで見付けたら、そのお店の考えを聞いてみてください。ここでは、かつて6月に天然氷を珍重する行事があったこと、それを一般庶民は氷を模したお菓子で楽しんだこと、この2点だけ押さえておいてください。

 若い方は、「氷が食べたいならお餅ではなくて氷を食べればいいのに」といぶかるかもしれません。しかし、製氷機が発明され商業化されたのは1800年代半ば以降で、この頃の日本に氷を作る機械はほとんどなかったのです。明治時代は、鉄道の発達とともに、寒冷地の各地で冬場に氷を氷室にしまい、夏場に都市向けに出荷することがニュービジネスとして活気づきますが、あくまで高級品であり、用途も限られたものでした。

 昭和に入っても、いいえ戦後になっても、氷はなかなか身近なものにはなりませんでした。昭和40年代の初め、私が3歳ぐらいの頃のことですが、母と歩いていてばったり会った近所のおばさんが、網状の手提げ袋に四角い大きな氷を持っていて、炎天下にそれがきらきら光っていた光景をときどき思い出します。あの人の家にはまだ、大きな氷を収めて使う冷蔵庫があったのかもしれません。

 その後、官舎を出て引っ越した家に置かれた冷蔵庫は冷凍室などはなく、やっとマイナス1~2℃程度になる製氷室があるだけでした。よく兄とミルクセーキを作って製氷皿で凍らせて食べたものですが、アイスクリームを保存することはできませんでした。

 今では業務用製氷機、業務用冷蔵庫と言えば第一に名前の挙がるホシザキ電機が全自動製氷機の販売を開始したのは昭和40(1965)年のことです。

 それ以前の同社の主力商材は、デパートの上層階などに置かれたジュースの自動販売機でした。40代以上の方なら、本体上部に透明なドームを備え、その中でジュースが噴水のように吹き出していたのを見たことがあるでしょう。

 まだそれを売っていた時代、創業者の息子の坂本精志氏(現会長)がアメリカの見本市に出かけました。そこで坂本氏はアメリカ人から重要なアドバイスを受けたのです。「日本人は金持ちになる。金に余裕ができると氷を使うようになる。これからは製氷機が売れるぞ」と。

 帰国後、坂本氏は父の反対を押し切って製氷機開発に取り組みました。そして、本格的な全自動製氷機の発売にこぎつけたその年は、科学技術庁(当時)が、国民の高血圧を抑制するため、低温度輸送網を整備して魚介の塩蔵流通を抑制するとする「コールドチェーン勧告」が出されたまさにその年だったのです。

 冷たいものは冷たいのが当たり前の今日、当たり前のように使っている氷ですが、ほんの50年前まで、それは全く当たり前ではなく、餅菓子を食べて氷のつもりになっていた時代があったのです。

 否応なく節電を考えざるを得ない今日ですが、氷がないとどうなるかや低温をコントロールできないとどうなるかを考えることは、それを恐れるためというだけでなく、今日の食ビジネスの到達点について理解を深めることになるでしょう。

※このコラムはメールマガジンで公開したものです。

齋藤訓之
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Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所客員研究員。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。日本フードサービス学会会員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。東京栄養食糧専門学校非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →