“いのち”をつぐマスカット

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現在公開中の「しあわせのマスカット」は岡山県が舞台。前々回の本連載第251回で取り上げた「種まく旅人 夢のつぎ木」(2016)も舞台は岡山県で桃が題材の話だったが、今回の題材は岡山県が全国一の生産量を誇る高級ぶどう「マスカット・オブ・アレキサンドリア」である。そのマスカットを包んだ和菓子に魅せられた少女が、岡山の和菓子メーカーに就職して奮闘しながら成長していくドラマで、実在の和菓子メーカーの株式会社源吉兆庵が撮影に協力している。詳細は後述するが、テーマは「種まく旅人 夢のつぎ木」と同じ“つぎ木”である。

運命を変えた「陸乃宝珠」

春奈が源吉兆庵に入社するきっかけとなった和菓子「陸乃宝珠」。岡山県産マスカット・オブ・アレキサンドリアをまるごとひと粒求肥で包んだ季節限定(5月上旬~9月下旬)、数量限定(予約販売)の一品である。
春奈が源吉兆庵に入社するきっかけとなった和菓子「陸乃宝珠」。岡山県産マスカット・オブ・アレキサンドリアをまるごとひと粒求肥で包んだ季節限定(5月上旬~9月下旬)、数量限定(予約販売)の一品である。

 北海道の女子高生、相馬春奈(福本莉子)は、修学旅行で訪れる岡山産のマスカット・オブ・アレキサンドリアをお土産に買って帰ると入院中の祖母に約束していたが、宿泊先のホテルで財布を失くしてしまう。手元に残った小銭で一万円もするマスカットが買えるわけもなく意気消沈していたところ、通りがかった株式会社宗家源吉兆庵(源吉兆庵の販売会社)岡山本店でマスカット・オブ・アレキサンドリアをまるごとひと粒使った和菓子「陸乃宝珠」を見つける。1個303円(税込)の「陸乃宝珠」を2個買って病床の祖母に届けた春奈は、一緒に食べながら祖母の最後の笑顔を見ることができ、この出来事が彼女の運命を変えることになる。

 春奈は姉の雪絵(本仮屋ユイカ)とカーリングの選手として活躍していたが、怪我で競技継続を断念し、別の進路を模索していたところだったのだ。“人を笑顔にするお菓子“と出会ったことで、自分がデザインした和菓子で人を幸せにするという目標ができ、岡山に本社を置く株式会社源吉兆庵への就職を目指すことにしたのである。

 面接当日、人助けのせいで遅刻してしまった春奈の就活は絶望かと思われたが、面接で志望動機に挙げた祖母のエピソードが田岡社長(長谷川初範)の胸を打ち、春奈は間一髪採用になる。

失敗が人を動かす

 面接で遅刻しながら採用された春奈を同期の新入社員たちは“大物ちゃん”と揶揄する。修学旅行での財布紛失といい、春奈にはどこか抜けているところがあった。そのため研修で配属された部署でも失敗を繰り返してしまうのだが、各部署で培った“危なっかしくて放っておけない”春奈のイメージが、後に社員一同を巻き込む原動力になっていくのである。

 社内の各部署をたらい回しにされた末に配属された商品部で、春奈は「陸乃宝珠」の原料であるマスカット・オブ・アレキサンドリアを生産する契約農家、秋吉伸介(竹中直人)が営むハウスへの出向を命じられる。「手伝いはいらん、帰れ」といきなり追い返そうとする伸介の偏屈ぶりに度肝を抜かれる春奈。それでもめげずについていくが、果皮表面に付いて果実を保護しているブルームをカビと間違えてとろうとして怒られる。さらに、生食用の房を理想的な逆三角形になるように摘果(粒の間引き)をする伸介に対し、「うちにとっては粒が揃っていればOKです」と言って、「あんたのところのためだけに作ってるんじゃない」とまた怒られてしまう。

 実は、源吉兆庵では「陸乃宝珠」を5月上旬〜9月下旬のシーズン中に安定供給するために、2013年に農業生産法人源吉兆庵農園を立ち上げ、マスカット・オブ・アレキサンドリアの生産を自前で行っている。同農園では根域制限栽培(苗木を1本ずつプランターで栽培し、根の成長を制限することで、水や肥料を的確に与え、風味の強い締まった粒を作る栽培法)等の先進的な農法を採用し、「陸乃宝珠」の規格に合った大きさの粒ごとに収穫している。その一方で、慣行的な棚栽培で、生食用・加工用両方のマスカットを作っている地元農家を登場させているのは、単なる和菓子メーカーとのタイアップ企画ではないという、作り手側のメッセージであろう。

“太郎さんのマスカット”をさがして

※注意!! 以下はネタバレを含んでいます。

 後継者について尋ねる春奈に口をつぐむ伸介。春奈は伸介の妻、みよし(土居裕子)から、伸介が後継ぎとして期待していた息子の太郎が、10年前に交通事故で亡くなったことを聞かされる。伸介は太郎の死後も息子のハウスでマスカットの手入れを続けてきたが、ぶどうの木が寿命を迎える今年でやめるという。

 近所でシャインマスカットを生産する若手農家、屋敷達也(中河内雅貴)の案内で太郎のハウスを訪れた春奈は、不思議な音を聞く。この辺りは春奈の“不思議ちゃん”なところであるが、それを太郎の“いのち”の声と感じた春奈は、伸介のぶどうの木に太郎の枝をつぎ木することで太郎のハウスを続けることを訴える。しかし伸介に拒否され、明日から来なくていいと言い渡されてしまう。

 会社に戻って同期社員の活躍を目の当たりにし、岡山を訪ねてきた姉からカーリング復帰の誘いを受け、春奈は退職を決意するのだが……。

 本作は2018年7月の西日本豪雨による水害で大きな被害を受けた岡山県を元気にしようと企画されたもので、この災害が後半の重要なモチーフとなっている。

 また、太郎のハウスでインスピレーションを得た春奈が咄嗟にデザインした和菓子「太郎さんのマスカット」は、宗家源吉兆庵が「しあわせのマスカット」として商品化している。春奈のスケッチブックのメモの通り、岡山県産マスカット・オブ・アレキサンドリアの果汁を使用した寒天ゼリーを、スポンジケーキと求肥でくるみ、ブルームをイメージしたシュガーパウダーをあしらい、マスカットの粒のような姿に仕立てた一品である(3個入、税込756円)。6月中旬までの限定商品とのこと。


【しあわせのマスカット】

公式サイト
https://shiawasenomuscat.com/
作品基本データ
製作国:日本
製作年:2020年
公開年月日:2021年5月14日
上映時間:93分
製作会社:BS-TBS(制作プロダクション:ビデオプランニング)
配給:BS-TBS(配給協力:トリプルアップ)
カラー/サイズ:カラー/アメリカンビスタ(1:1.85)
スタッフ
監督:吉田秋生
脚本:清水有生
プロデューサー:丹羽多聞アンドリウ
音楽:遠藤浩二
エンディング曲:横山幸雄
キャスト
相馬春奈:福本莉子
秋吉伸介:竹中直人
屋敷達也:中河内雅貴
緑川祐二:ヨシダ朝
川本百合恵:宝積有香
板橋政恵:大島蓉子
今西大輔:佐野泰臣
工場長:ボブ鈴木
相馬雪絵:本仮屋ユイカ
秋山守:田中要次
太田綾子:長内美那子
尾崎奈緒:大久保聡美
矢島祐美子:森日菜美
金澤こころ:村瀬美穂
秋吉みよし:土居裕子
田岡社長:長谷川初範

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。