「はじまりのみち」「破れ太鼓」――木下惠介のカレーライス

「はじまりのみち」で木下監督らが母をリアカーで引いて疎開させた道のり
「はじまりのみち」で木下監督らが母をリアカーで引いて疎開させた道のり

昨年は日本映画の黄金時代を支えた映画監督の一人である木下惠介監督の生誕100周年ということで、海外の映画祭などで特集上映が行われ、彼の伝記映画である「はじまりのみち」(2013年公開)もクランクインした。今回はこの映画を通して、彼の作品と食べ物の関わりなどについて述べていく。

漬物嫌いの漬物屋の息子

 木下惠介(本名:木下正吉)は1912年12月5日に静岡県浜松市伝馬町で、父・周吉と母・たまの間に8人兄妹の5男として生まれた。家は「尾張屋」という浜松でも有数の漬物屋であったが、生まれつき漬物の匂いが大嫌いで、後の助監督たちはロケ弁に漬物が入っていないかチェックさせられたという。

 1933年に上京し、松竹に入社。島津保次郎監督などの助監督を務めた後、太平洋戦争中の1943年に「花咲く港」で監督デビューした。奇しくも同じ年に「姿三四郎」でデビューした東宝の黒澤明とは、終生のよきライバルとなった。

 戦時中の日本映画界は、政府によって戦意高揚を目的とした国策映画の製作を要求されていた。木下がデビュー翌年の1944年に監督した「陸軍」は、出征していく息子を見送る田中絹代扮する母親の姿を延々と捉えたラストシーンが検閲で軍国の母として女々しいと批判された。木下は当局ににらまれて次の仕事を干されてしまう。嫌気がさした彼は会社に辞表を提出して浜松に帰郷する。「はじまりのみち」はこの時の数日間の実話をもとにした作品である。

カレーライスと白魚のかき揚げ

「はじまりのみち」で木下監督らが母をリアカーで引いて疎開させた道のり
「はじまりのみち」で木下監督らが母をリアカーで引いて疎開させた道のり

「はじまりのみち」で、浜松に戻った惠介(加瀬亮)は空襲時に脳溢血で倒れ寝たきりとなった母・たま(田中裕子)の療養先に向かう。軍施設や軍需工場が数多くあった浜松は数度の大規模な空襲を受けていて生家の漬物屋も焼けてしまい、たまは親戚の家のある気賀に身を寄せていた。

 日増しに戦況は悪化し、そこも安住の地ではなくなったため、彼は家族と相談して母を気賀から50~60㎞離れた山奥の気多村勝坂に疎開させることにする。山道を揺られるバスでの移動は病気に障るため断念し、2台のリアカーに寝たきりの母と身の回りの品を乗せ、兄・敏三(ユースケ・サンタマリア)と、雇った便利屋(濱田岳)との3人で、夜中の12時に気賀を出発する。夕方の5時まで17時間も歩き通しで険しい山坂を引いて行くという、それは、文字通りの難行苦行であった。

 途中、日差しの当たらない木陰にリアカーを停めて休憩するシーンで、雑穀入りの握り飯とサツマイモの朝食をとりながら、便利屋が「何か旨いもん食いたいずら」と言い、好物のカレーライスを想像しながら食べる真似をして見せる。釣られて想像し唾を飲み込む敏三と惠介。兄は弟に「お前はあれだろ、白魚のかき揚げ」と言う。

「うまいもん小路」と呼ばれ料理屋が立ち並んでいた伝馬町の江馬殿小路(えまどのこうじ)に生まれ育った惠介は幼少時から舌が肥えていて、好物は浜松の老舗「桝形」の名物料理である白魚のかき揚げという食通であった。敏三はそれを揶揄してこんなことを言ったのである。

 食糧は配給制で、白魚のかき揚げはおろかカレーライスも食べられなかった時代、人々はいつか戦争が終わりまた好きなものが食べられる日を信じて空腹を紛らわせていたのであろう。

カレーの好きな雷親父

 木下はこの後、母の懇願もあって松竹に戻り、戦後は次々と作品を発表していく。その中で「はじまりのみち」のカレーライスのエピソードの元になったと思われるのが、1949年に製作された「破れ太鼓」である。

 物語は土方から一代で土建屋の社長に上り詰めた津田軍平(阪東妻三郎)の、現代では絶滅した「雷親父」ぶりを描いたコメディである。

 冒頭、彼の誕生日を祝って家族が食卓を囲むシーン、皆がびんビールをコップに注いで飲んでいるところ、彼だけが息子らに大ジョッキに酌をさせて飲むあたりに彼の家庭内でのワンマンぶりがうかがえる。さらに、フルコースのメインディッシュが彼が下積み時代に苦労しながら食べて以来好物になったカレーライスという奇妙さも、それに輪をかける。

 次男で作曲家の平二は、そんな父を鳴り止まぬ太鼓に例えた歌を作って家族の皆に聞かせ、それを契機のようにして長男や長女、そして妻までもが次々に父親に反旗を翻していく。物語の後半、家族が皆家を出ていってしまい一人とり残された彼が、土方時代のつらい日々を思い出し、涙を流しながらカレーライスを食べるシーンがあるが、悲しみの感情が次第に怒りに変わり、カレーの皿をひっくり返すという「逆ギレ」で締めくくられるのも昔気質の頑固一徹な父親像を感じさせ、どこか憎めないものがある。

 この映画で次男を演じた木下忠司は木下監督の実弟で本業は役と同じ作曲家である。木下作品のほとんどの音楽を担当した他、TV時代劇「水戸黄門」をはじめとするドラマや映画の音楽を多数手がけている。

アニメ作家と巨匠の接点

「はじまりのみち」の監督・脚本を担当した原恵一はこれが実写初監督となったが、「河童のクゥと夏休み」(2007)や「カラフル」(2010)などで知られる日本を代表するアニメーション作家である。なかでも「映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」(2012)は大人も楽しめる本格的な時代劇であり、後に「BALLAD 名もなき恋のうた」(2009)で実写映画としてリメイクされた。

 一方の木下監督は「二十四の瞳」(1954)や「喜びも悲しみも幾年月」(1957)などの名作やTVホームドラマ「木下恵介アワー」などのイメージから保守的と思われている向きも多いが、日本初の本格的カラー劇映画となった「カルメン故郷へ帰る」(1951)や回想シーンに楕円形のマスキングを施した「野菊の如き君なりき」(1955)、姥捨伝説を歌舞伎のような様式的なセットで描いた「楢山節考」(1958)、モノクロフィルムをシーンごとに異なる色に着色した時代劇「笛吹川」など、実験的な意欲作も多く手がけている。原監督は木下監督のこうした姿勢を高く評価しており、実写とアニメという表現手段の枠を越え、作品でその精神を受け継いでいると言えるだろう。

※参考文献:木下惠介生誕100年プロジェクト
http://www.shochiku.co.jp/kinoshita/

※「枡形」
http://www.masugata.jp/

作品基本データ

【はじまりのみち】

「はじまりのみち」(2013)

◆公式サイト
http://www.shochiku.co.jp/kinoshita/hajimarinomichi/

製作国 :日本
製作年 :2013年
公開年月日 :2013年6月1日
上映時間 :96分
製作会社 :「はじまりのみち」製作委員会
配給 :松竹
レイティング :一般映画
カラー/モノクロ :カラー
サイズ :デジタル
メディアタイプ :ビデオ 他
アスペクト比 :アメリカンビスタ(1:1.85)
音声 :ドルビーSRD

◆スタッフ
監督、脚本:原恵一
プロデューサー:石塚慶生、新垣弘隆
撮影:池内義浩
美術:西村貴志
装飾:佐原敦史
音楽:富貴晴美
音楽プロデューサー:小野寺重之
録音:鈴木肇
照明:原由巳
編集:橘樹陽児
ライン・プロデューサー:阿部智大
製作担当:田中智明
助監督:石川勝己
スクリプター:小関ひろみ

◆キャスト
木下惠介:加瀬亮
木下たま:田中裕子
便利屋:濱田岳
木下敏三:ユースケ・サンタマリア
木下周吉:斉木しげる
庄平:光石研
こまん:濱田マリ
木下作代:山下リオ
木下芳子:藤村聖子
やゑ子:松岡茉優
義子:相楽樹
城戸四郎:大杉漣
学校の先生(ナレーション):宮崎あおい

【破れ太鼓】

「破れ太鼓」(1949)

製作国 :日本
製作年 :1949年
公開年月日 :1949年12月7日
上映時間 :108分
製作会社 :松竹・京都
配給 :松竹
レイティング :一般映画
カラー/モノクロ :モノクロ
サイズ :35mm
メディアタイプ :フィルム
アスペクト比 :スタンダード(1:1.37)
音声 :モノラル

◆スタッフ
監督:木下惠介
脚本:木下惠介、小林正樹
製作:小倉浩一郎
撮影:楠田浩之
美術:小島基司、桑野春英
音楽:木下忠司
録音:高橋太朗
照明:寺田重雄

◆キャスト
津田軍平:阪東妻三郎
妻邦子:村瀬幸子
長男太郎:森雅之
二男平二:木下忠司
三男又三郎:大泉滉
四男四郎:大塚正義
長女秋子:小林トシ子
次女春子:桂木洋子
女中つゆ:村上記代
叔母素子:沢村貞子
野中茂樹:宇野重吉
父直樹:滝沢修
母伸子:東山千栄子
花田輝夫:永田光男
経理部長木村:小沢栄

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。