「石松三十石船」のすしは何ずしだったのか?

石松は三十石船で乗り合わせた江戸っ子に酒とすしを勧める
石松は三十石船で乗り合わせた江戸っ子に酒とすしを勧める
石松は三十石船で乗り合わせた江戸っ子に酒とすしを勧める
石松は三十石船で乗り合わせた江戸っ子に酒とすしを勧める

ずっと気になっていることがある。森の石松が三十石船で江戸っ子に勧めたすしとはどんなものだったのか?

食いねぇ食いねぇすし食いねぇ

 幕末から明治にかけて活躍した実在の侠客の親分、清水次郎長(本名・山本長五郎、1820~1893)とその子分たちの物語は、講談や浪花節の題材として明治から昭和にかけて大衆に親しまれ、とくに二代目広沢虎造の謡う浪曲は彼独特のダミ声の節回しが人気を博した。彼の数多い演目の中でも、喧嘩っ早くて少々頭は足りないが、お人好しで憎めない隻眼の侠客、森の石松の金毘羅代参を描いた「石松三十石船」のエピソードは「江戸っ子だってねえ」「神田の生れよ」「すしを食いねぇ」のセリフと共によく知られている。

 物語は、文久2年(1862年)の3月半ば、仇である保下田の久六を討ち果たした次郎長(第23回参照)が、子分の石松に命じて讃岐(現在の香川県)の金刀比羅宮(金毘羅宮)に刀を納めに行かせるところから始まる。当時の庶民にとって金毘羅様はお伊勢様(伊勢神宮)と並ぶ信仰の対象であった。

 代参の大任を果たした石松が、帰途大阪の八軒家から淀川を遡上して京都の伏見へ渡す三十石船(米を三十石積める大きさの旅客船)に乗り込み、すしを肴に酒を飲んでいると、乗合衆の噂話が聞こえてくる。海道一の親分は誰かという話題に神田生まれの江戸っ子が次郎長の名を挙げたのがうれしくて石松は彼に酒とすしを勧め、前述のやり取りになる。

 次郎長が海道一の親分でいられるのはいい子分が揃っているからだという江戸っ子に石松は子分の中で誰が一番強いのか尋ねる。一番は大政、二番は小政ときて、大瀬の半五郎、増川の仙右ヱ門、法印の大五郎となかなか自分の名前が出てこないのに石松はだんだん不機嫌になっていく。しつこく尋ねる彼に「下足番じゃあるまいし」と素っ気なく答える江戸っ子にとうとう堪忍袋の緒が切れた石松は振る舞った酒とすしを取り上げて「誰か一人忘れちゃいませんか」と大騒ぎ。江戸っ子が再度暗誦すると「大政、小政、遠州森の……」。やっと自分の名前が出てきて大喜びの石松に江戸っ子が「強いにゃ強いがあいつは馬鹿だからなぁ」というのがオチである。

「石松三十石船」の場面がある主な作品(参考文献:KINENOTE、日本映画データベース)
タイトル 製作年 製作会社 監督 石松役 江戸っ子役 すしの種類
金毘羅代参 森の石松 1939 新興キネマ 押本七乃輔、竹久新 羅門光三郎 伴淳三郎 未見のため不明
エノケンの森の石松 1939 東宝 中川信夫 榎本健一 柳家金語楼 海苔の太巻
森の石松 1949 松竹 吉村公三郎 藤田進 河村黎吉 画面に映らず
森の石松 1957 大映 田坂勝彦 勝新太郎 潮万太郎 画面に映らず
次郎長富士 1959 大映 森一生 勝新太郎 船越英二 握りずし
暴れん坊森の石松 1959 東宝 佐伯幸三 フランキー堺 柳家金語楼 画面に映らず
ひばりの森の石松 1960 東映 沢島忠 美空ひばり 堺駿二 画面に映らず

海苔巻き?握りずし?押しずし?

 この名場面は古今東西の次郎長映画で何度も取り上げられ、中には江戸っ子が石松であることを知っていてからかったような演出になっているものもある。気になるすしはと言うと、石松と江戸っ子の掛け合いがメインのためか手元のすしまでが画面に収められた作品は意外と少ない。そして、それが画面に映る場合も「エノケンの森の石松」(1939)では海苔の太巻、「次郎長富士」(1959)では江戸前の握りずしとばらばらで、一体どれが本当なのかと疑問に思っていた(表参照)。

 もちろんフィクションなので真実など最初からあるわけがないのだが、時代考証として合わないものがないか調べてみると、江戸前握りずしの誕生は文政10年(1827)に詠まれた川柳に記述があるためそれ以前、海苔巻きも同じ頃に描かれた歌川広重の浮世絵が存在し、どちらも矛盾はない。ちなみに稲荷ずしは天保の大飢饉があった1844年頃、油揚げにおからを詰めて食されたのが最初と言われている。

 答えは虎造の浪曲の中にあった。今回改めて聴いてみたところ、石松が三十石船に乗る前に立ち寄った大阪本町橋で名物の押しずしを買ったと言っているではないか。押しずしの誕生は握りずしよりも古い江戸時代中期で、石松の足跡を考えれば最も妥当な結論といえる。

馬鹿は死ななきゃ治らない

 些細なことと思われるかも知れないが、あらかじめ結末がわかっている“ご存知もの”はディティールが自分のイメージとぴったり一致したり、想像を超えるものを提示されることでより楽しめるものである。

 ちなみに石松はこの後、都田の吉兵衛というやくざのだまし討ちに遭って非業の死を遂げる。「次郎長三国志 第八部 海道一の暴れん坊」(1954)は件の三十石船の場面はないものの、「馬鹿は死ななきゃ治らない」と謡う虎造の浪花節に乗せて石松の最後をユーモアとペーソスを交えて描き、シリーズ最高傑作との呼び声の高い作品となっている。

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。