記憶の中のパスタ――「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」

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冷たい雨に撃て、約束の銃弾を(2009、フランス=香港)

映画の中の食を鑑賞するコラムの第1回。香港ノワールの快作から、ストーリー展開のカギとなっている食事シーンを紹介する。

香港ノワールの魅力

 1930年代以降にワーナー・ブラザースが量産した「暗黒街の顔役」(1932、ハワード・ホークス監督)、「マルタの鷹」(1940、ジョン・ヒューストン監督)等を起源とするフィルム・ノワール(暗黒映画)の歴史は、1950年代の「現金に手を出すな」(1954、ジャック・ベッケル監督)、「男の争い」(1950、ジュールズ・ダッシン監督)等のフレンチ・フィルム・ノワールを経て、1986年の「男たちの挽歌」(ジョン・ウー監督)をはじめとする香港ノワールへと継承されている。

 日本では昨年公開された「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」(2009、ジョニー・トー監督)は、その香港ノワールの魅力を堪能できる一本である。

 ジョニー・トー監督の撮る香港ノワールは、触るとけがをしそうな鋭い刃のようだ。男たちの放つ殺気が画面に緊張感をもたらし、静寂が一気に破られる時のカタルシスは、良質な東映やくざ映画を思わせるものがある。個人的には「男たちの挽歌」「レッドクリフ」(2008)のジョン・ウーより百倍重要な映画作家だと思っている。

 丹念な情景描写や男たちの友情と裏切りの構図など、かねてからフレンチ・フィルム・ノワールの趣を濃くしていたトー作品に、今回はジョニー・アリディとシルヴィー・テステューという2人のフランス人俳優が父娘役で出演している。

銃撃戦の間の食事シーン

 この作品の特徴として、緊迫した銃撃戦のシーンの合間に食事のシーンを挿入することで、静と動の転調が見事に表現されていることが挙げられる。

 冒頭、マカオの高級住宅街で会計士の中国人の夫と子供2人と幸せに暮らすフランス人の妻アイリーン(シルヴィー・テステュー)が夕食のパスタをゆでているところに突如として3人の殺し屋が現れ、容赦なく夫を撃ち殺す。妻は子供を守ろうと必死の抵抗を試みるがあえなく倒され、顔を見られたという理由で子供2人も殺されてしまう。

 娘の身に起こった悲劇を知った父コステロ(ジョニー・アリディ)がフランスからやって来て変わり果てたアイリーンと対面する。娘の無念を晴らすことを誓った彼は仇を探すため、偶然出会った別の3人の殺し屋を全財産を投げ打って雇い入れる。

 コステロは手がかりを得るために、3人と犯行現場を訪れる。本国でレストランを経営する彼は、アイリーンが残した食材を使ってパスタを作り、もてなしながら銃を要求する。食卓を囲みながら渡された銃を手際よく分解し組み立てるコステロ。彼も元は闇社会の人間だったのだ。その手際の良さに3人のリーダー格のクワイ(アンソニー・ウォン)は感心し「何物だ?」と問いかける。「シェフだよ」。「ウソつけ!」とパスタの皿を放り投げ撃ち落とすクワイ。雇用関係の枠を越えた友情が誕生するいい場面である。

 香港に渡った4人が仇3人の行方をつきとめ尾行すると、そこはキャンプ場で仇3人は家族とバーベキューを囲んでいた。対峙する男たち。にわかに緊張感が漂うが、それは子供たちの父への呼びかけで中断される。しばしの開戦猶予となり、クワイたちは子供たちにバーベキューを勧められたりするが、コステロは娘殺しのメシが食えるかと拒否する。

 家族を帰した後、バーベキューの火が消えるのを合図に銃撃戦が開始される。この戦いでコステロは深手を負って手当を受けるが、以前抗争で撃たれたときの銃弾が頭に残っており、いつ記憶を失うかわからない状況にあることを告白する。彼がやたらとクワイたちの写真を撮ってその名前を書き入れていたのは彼らを忘れないためだったのだ。

記憶を失った主人公は……

 逃亡した仇3人の行方は、意外にもクワイたちのボスであるファンからもたらされる。彼らもまたファンの手下で、今回の殺しは彼の指図だったのだ。クワイたちは逃亡先の闇病院で仇3人を倒すが、ファンとその組織を敵に回すことになる。

 組織の襲撃を受け逃亡する過程で、ついにコステロの記憶は失われてしまう。記憶がない雇い主の依頼に意味はあるのかとクワイたちは自問する……。

 ストーリーをかなり紹介してしまったが、これで鑑賞の価値が下がるような作品ではない。見るべき出色の場面は多数ある。その一つが、ウォンのいとこが武器密売を営む廃品置場で、男たちが銃の試し撃ちをするシーンだ。銃撃によって動き始めた自転車がシークエンスの終わりまで停止することなく運動し続け、男たちの絆の成立を印象付けている。

◆公式サイト

http://judan-movie.com/

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。