〆アジがすたれたのはコールドチェーンのせいではなかろうという話

レストランを経営している友人に誘われて、すしを食べに行った。私はグルメではないので、高価な食事をすることなど年に何回もないのだけれど、「魯山人にもすしをにぎった80過ぎのSさんが現役で握ってくれる店。1万円程度でお願いしますって言ってあるから」と誘ってくれたので、同道することにした。贅沢な食事は不得手ながら、人生のベテランの話を聞くのは大好きだからだ。

 事前に聞いた評判通り、Sさんも奥さんもとにかく話し好き。つまみから握りの一つひとつまで、すべてについて「今はこんなことするのはうちぐらい」などと講釈がつく。静かに食べたい人は逃げ出したくなるらしいが、私はそういうのが小さなお店の醍醐味だと思っているので、楽しく過ごさせてもらった。魯山人には一向に興味が湧かないけれど、吉田茂や白洲次郎の話が出て、俄然わくわくとしてあれこれ話をうかがった。

 晩年の吉田茂は食が細くなり、そのためにすし1カンごとのシャリを減らして出したものだと言う。「減らしていますよ」と当人にわかるように、いったん手にとったシャリをおひつに戻して見せるようにした。すると、後年やってきた秘書が、自分のも吉田茂に握ったのと同じにしてくれないじゃ困ると言ってねだり、この動作が定着してしまった。これがSさんの“捨てシャリ”の解説で、自分はその手つきを勧めないと言う。動作が余計だし、魚の臭いがおひつに入ってしまうからと。

 そんな話が次から次へポンポン飛び出し、他の名店の作法もカラカラと笑い飛ばしてしまうのが、なんとも楽しい。いや、私は数万円支払うようなすしは食べたことがないので、Sさんの話でバッサリやられている名店の言い分はわからない。Sさんが正しいかどうかという話ではなく、その話しぶりが楽しい。

 握りについては、友人と私が道産子と聞いて、「刺身で食べるものはあなたがたのほうがおいしいものを知っているだろうから、今日は出しませんからね」と一言。酢でしめたものやヅケで押し通してくれると言う。もちろん、それは望むところとよだれを流しそうになりながらお願いする。

 そうして幾種類ものヒカリモノを出してくれながら、少し寂しそうな感じで話してくれたことで、今さらながら戦後の食の大変革にリアリティを抱くことができた。「最近はね、生のまま料理をしないでごはんに乗せたものがおすしになっちゃいましたがね。元々はどれも料理したものを握ったもの。それがおすしだったんです」。

 うまい、うまいと食べながら、「どうしてそうなっちゃったんでしょうね?」と尋ねた。Sさんの答え。「今は、高校や大学を出てきちゃうでしょう」というのが一つ。すし職人を志すスタートが遅くなり、一人前とされるまでの時間が短くなった。込み入った調理を教えていては、それには追いつかない。

 また、有名店で1店当たりの職人の数が増えたり、店自体が増えた。そうなると、ヒカリモノを酢でしめるなどの仕事は仕上がりに差が出やすいため、不合格としてロスになるものが増えた。

「アジをね、今は生で出すでしょう。で、なぜかあれだけショウガと小ネギが載っている。ほかはワサビなのにね。あれは酢でしめて出すものだった。しかし、魚や人によって差が出やすいから、それなら生で出してしまえと考えた結果があれ」というのが、Sさんの見方だ。これを大きな店で始めたところ、「天下の○○がやるなら、うちもやらねば」と、職人の数が少ない小さな店も追随してしまった。「やり方を変えるのはいいとしたって、まねした連中は意味が分かってないんだ」。そうして大手に追随した結果、小規模店ならではの技術として残せた技術も捨ててしまったという。

 もちろん、これらの背景には1965年のコールドチェーン勧告と、それ以後水産物が実際に低温で流通するようになり、刺身を扱いやすくなったという大変革がある。

 Sさんの口からは、そのように流通が変わったことに対する批判は出て来ない。刺身ですしを握ること自体が悪いという言い方をするわけでもない。おそらく、刺身が載ったすしの新しい味も、それはそれとして認めているに違いない。なにしろ、「外人は食べながらおしゃべりしたいので、ほおばるのが苦手。だから、すしを半分に切ってあげるんですよ」という合理主義者で、アボガドを巻いた「カリホルニア巻」考案者を自称するチャレンジャーでもある。ただ、すし店がこぞって捨てずに済んだ技術も捨ててしまったことがもったいないことだと考えている。

 この手のことは、他の外食業で現在も見られる。さまざまな技術革新が起こる中、小規模店が大型店やチェーンの商品をまねて、小規模店であれば提供できる種類の特徴を捨ててしまう。その結果、チェーンと同じ土俵に載ることになり、「大手には勝てない」とこぼすことになる。

 ある業種全体にかかわる基幹技術や流行としての技術はどんどん変わる。ただ、そのとき、新しい技術のよさを最大限生かす以外の商品や調理法が突然無効になるわけではない。むしろ、古いやり方のものも品質が上がるということはいくらでもある。にもかかわらず、時代遅れとして葬り去られるものは少なくない。

 恐らく、自分の技術に自信のある人は何が来ても揺るがないはずだし、それだけに新しい大きな流れに異を唱えることもなく、たんたんと我が道を行くだろう。一方、右往左往する人は、新しい大きな波が来ればそれに乗らなければならないと思い込んでいる人に違いない。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

齋藤訓之
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Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所客員研究員。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。日本フードサービス学会会員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。東京栄養食糧専門学校非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →