問答無用のドーピング禁止規定

今年は冬季オリンピックがある。これに関することをあれこれ読んでいたら、スキーウエアにも競技によって禁止される素材や形状があるということが分かった。以前、競泳で新しい素材や形状の水着について話題になったことと同様の動きや議論があるらしい。

 ウエアは人体ではない。そこに最新の技術を持ち込むことに問題はなさそうにも思うが、例えば野球やゴルフのボール、バット、クラブなどに用具規則があるのと同じことと考えるべきなのだろう。それらの素材や形状の規定に合理的な説明がなくはないだろうが、理由の有無や内容は必ずしも重要なことではない。

 そのことを踏まえてドーピングについて考えると、ドーピング禁止というアイデアを受け容れやすく感じる。

 日本アンチ・ドーピング機構は、ドーピングを禁止する理由を次の4点に整理して説明している。(1)選手自身の健康を害する。(2)不誠実(アンフェア)。(3)社会悪。(4)スポーツ固有の価値を損ねる。しかしながら、ドーピングを考えるときに最も重要なのは、これら理由の説明がいかに筋が通ったものであるかどうかではなく、それがルールだということに違いない。

 私は最近、好きなコーヒーでは足りなくて、ついにカフェインの錠剤に手を出して眠らずに原稿を書いている。その空き箱を見つけたつれあいが「私はこれがなかったら大学に入れなかった」などとなつかしそうにしている。酸素ボンベを傍らに置いて書いている人もいると聞く。同業の仲間とは、こういうことを「ドーピング」と言って笑っている。

 笑うのは、本当は笑い事ではなくて「選手の健康を害する」ことだと思っているからだ。ところが、畑違いで使用方法も違う話とは言え、現在のスポーツ界の規定では、カフェイン、酸素(酸素自体の吸入)ともドーピングではない。用法を誤らなければ健康を害するものではないという判断なのだろう。

 では、例えば今後、仮に健康を害さない筋肉増強剤や興奮剤の類が開発されたらどうなるだろうか。「それは『酔わない酒』のように不可能だ」と一笑に付す人もいるかもしれないが、さて人間の英知とはなかなか計り知れないものだ。まず、仮にということで考えてみたい。

 これは時代とともに考え方は変わっていくだろうが、少なくとも最初の段階ではスポーツ界はNOと判断するだろう。

 速く滑走できるスキーウエア、速く泳げる水着は別に人力や位置エネルギー以外のエネルギーを供給するものではなく、摩擦を減らすためだけのものであるとするならば、禁止する必要はないように思われる。それでも禁止するというのは、記録に対する寄与の度合い(またはその見かけの度合い)が、選手の努力よりも、技術者など選手以外の人の努力のほうが大きくなる恐れがあったからに違いない。こういうものは、いずれ素人の世界で利用が常識化してしまえば、アスリートの世界のルールも変わらざるを得なくなるだろう。

 健康を害さない筋肉増強剤や興奮剤の類がもしも登場した場合も、スポーツ界の考えとその変遷は同様になると思われる。

 そう考えると、ドーピング禁止の理由というのは必ずしも盤石なものではなく、うつろいやすいものの部類に思われる。健康、誠実さ、スポーツ固有の価値といった説明も、このルールを納得しやすくする役割を持ってはいるが、この説明が通らなければこのルールが無効になるというものではない。

 実際に日本アンチ・ドーピング機構のWebサイトで「ドーピングを禁止する理由」の説明を読めば、ドーピングを禁止する効果として有効とは分かる。しかし、健康を損ねない方法はあるかもしれないし(今日の私はあるとは言わない。そして推奨しない)、ドーピングをすることが不誠実、社会悪、スポーツ固有の価値を損ねるというのは、これがルールとして定まっているから言えることであって、ルールとすべき理由だと言うのではものの順序が逆だ。

 ただし、ドーピングの規定には、明かに選手の健康の説明が有効と考えられる項目がある。アルコールだ。これは以下の競技では競技中に限って禁止ということだ。すなわち、航空スポーツ、アーチェリー、自動車、空手、近代五種の射撃、モーターサイクル、ボウリング、パワーボート。人体への直接的な影響で言えば、これらも用法を誤らなければ健康を害するものではないはずだが、これらの競技中であれば、明らかに健康と言うよりも人命にかかわる(これで記録が伸びる人がいるならば、別な問題を抱えているようにも思われるが)。

 自動車や機械の運転など危険を伴う行為に際してアルコールを摂取すべきでない事情は、もちろん一般社会でも同じだ。だが、スポーツ界とは違って一般社会でのアルコールに関するルールは、健康云々安全云々にわざわざ言及していないものだ。

 この正月、中学生のわが子の前に屠蘇として猪口に数滴の日本酒を注いで差し出してみた。すると「だめだよ。飲んじゃいけないって決まりだもの」と言って手を付けない。出来の悪い私の子ながら、よく出来ている。

 未成年者がアルコールを飲まないほうがいい理由はいくらでも挙げることはできるだろう。しかし、現在の日本で子供に酒を飲ませない理由は、そのこととあまり関係がない。日本には未成年者飲酒禁止法、ついでに言えば未成年者喫煙禁止法という古い法律がある。これらの第一条はそれぞれ「満二十年ニ至ラサル者ハ酒類ヲ飲用スルコトヲ得ス」「満二十年ニ至ラサル者ハ煙草ヲ喫スルコトヲ得ス」となっている。ともに、法律の目的を説明する条文はない。

 小学校に上がる前、私の子は「子供はどうしてお酒を飲んじゃいけないの?」と聞いてきたことがある。私はそのとき「みんなでそういうことにしようって決めたからだよ」とだけ答えた。これでよかったのだ。

 参考までに、高校時代の私の非行に関して告白しておきたい。紫煙を充満させた部屋に入ってきた母親が狼狽しながらやっと言ったひと言は「火事になるからやめなさい」。後でそれを聞いた父は「体に悪いからやめなさい」。私が言っては盗人猛々しいことこの上ないが、どちらも教育的に誤りだ。問答無用のビンタの一撃、というのが模範解答の一つだったに違いない。

 翻って近年の立法。目的規定が異様に長く、一方、罰則規定が見当たらないという法律が目につくのはなぜなのか。理由が分かることは悪いことではないし、すべて一律に善し悪しを言える事柄ではない。しかしそれでも、現代の私たちが抱える多様な問題がそれぞれに潜んでいるように思われる。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

齋藤訓之
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Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所客員研究員。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。日本フードサービス学会会員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。東京栄養食糧専門学校非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →