伝えるべき「おいしい」は生理学的な味覚とは違う

ロウソクの火を消して、そのまま食べたらどんな味?
ロウソクの火を消して、そのまま食べたらどんな味?
ロウソクの火を消して、そのまま食べたらどんな味?
ロウソクの火を消して、そのまま食べたらどんな味?

先日、テレビを観ていたら、都内のある寺で「暗闇ごはん」というイベントを行っている様子が流れ、興味をそそられた。真っ暗な部屋でしかも目隠しをして、運ばれてくる料理を食べる。志願者たちは、一皿一皿の中身が何であるのか首をひねりながら、恐る恐る箸を進める。

 数品が出たあと、照明を点けて種明かしとなる。変わった食感の食べ物と思った一つはナスのヘタの部分を焼いたものであったりという結果を知って、一同驚いたりくすくす笑ったり。

 若い僧侶が米国で知った Blind Dining というプログラムをアレンジして実践しているのだという。視覚以外の感覚を総動員する体験に意義があるらしい。志願者たちは、きっと日頃の食事がいかに視覚に頼ったものであるかを知るのだろう。同時に、明るくなった部屋で我が生物学的な味覚と嗅覚の頼りなさに笑ってしまうに違いない。

 視覚を失った人と会食して食べ物談義をすれば、きっと多くの人が気付かないでいる食事の楽しみ方や、視覚以外の感覚その他の情報の知られざる力などを教わることになるのではないかとも考えた。

「美味礼賛」で、ブリア・サバランは、美味は生物学的な味覚以外の要素に多く影響されるものであると、相当な紙幅を割いて説明している。五感だけではない。美味学(ガストロノミー)は、博物学(自然史。著者は分類に着目しているので、今日的には自然科学一般ととらえていいだろう)、物理学、化学につながり、料理術にも関係があると書いている。料理術が筆頭ではなく、しかも「にも」とあるのが面白い。

 そして、商業と国民経済にも関係があり、「人間の一生を支配する」とまで書く。一言そのように書いてあるだけでなく、「美味礼賛」全編は、その趣旨に基づいて編まれている。訳書の味わい深いタイトルから“好事家が酔狂で書いた”とも感じさせるが、原題は「PHYSIOLOGIE DU GOUT」(GOUTのUはaccent circonflexe)で、直訳は「味覚の生理学」とものものしい。

 その中に、「味覚は聴覚ほど豊富な内容を持たない」という記述がある。耳は和音を聴くが、「味覚は同時に二つの味わいに印象されることができない」と言う。同時ではなく、順次に印象されるのだと言う。

 ブリア・サバランがそこで言わんとしたこととは違うが、生物学的な味覚の単純さは分かる。何しろ、基本味は鹹味、酸味、苦味、甘味、うま味の5つしかない。

 たとえ基本味がたった5つでも、それぞれのボリュームを変えて作る組み合わせは理論上は無限だ。しかし、恐らく人間が噛み分けることができ、しかも「食べられる」と感じて許容できる組み合わせには限界があるのではないだろうか。

 余談ながら、「ネクタイの数学」(トマス・フィンク、ヨン・マオ)という変わった本がある。それによれば、ネクタイを結ぶ方法はトポロジーで考えて理論上85通りあり、そのうち名前のあるノットすなわち実際に行われてきたノットは15種類ということだ。

 それと似たことで、さまざまな料理も、基本味に限って分析すれば、バラエティは驚くほど少ないのに違いない。私たちがよく「複雑な味わい」などと言っているものの多くは、嗅覚と口中の触覚(テクスチャー)に由来すると言っていいだろう。

 一方、その「複雑な味わい」となると、離乳した人間にとって、絶対的にうまいものはない。食べ物のうまいか、まずいか、好きか、嫌いかは、文化や流行によって決まる。それは、旅行したり、外国を含む他の地域出身の友人を持てばすぐに分かることだ。つまり、食べ物の価値に生物学的な味覚が寄与できる部分は少なく、多くは文化に左右される。

 コメで、スペック上コシヒカリと同等かそれを上回る味であるはずの品種はいくつかある。栽培の難易度もさほど変わらないか、むしろ作りやすいものもある。それでも今日、30を超える都府県でコシヒカリ生産量がベスト3に入っているというのは、人気がスペックよりも文化に左右されているのだと言える。

 コシヒカリだけの話ではなく、消費者が食べ物の“味”について関心を寄せているのは、生理学的事実としての味覚ではなく、伝説としての「おいしい」なのだ。信頼を寄せる人からのクチコミで「おいしい」と聞いて、実際に購入して食べてみたときに評判を裏切るほどまずいようなことがなければ、それは「おいしい」ということになる。

 BtoCの食品を扱うメーカー、小売業、外食業の人たちは、このあたりの妙を知っているものだ。農家も、農産物を消費者に直接売る仕事で成功している人たちは、その秘密に気付いている。

 よい品種、よい食品を作ったという自身があるのなら、売れないのは、それを選ばない“悪い消費者”のせいだと考えても世の中は変わりようがない。その品種、食品のよい点が伝わって、はじめてモノは動く。

 よい点とは、生物学的な味覚では伝えられない。視覚と聴覚で伝わる情報がなければ、口に入れてもらえない。その順番に気付かないと、いつまでも「よいのに売れない」と愚痴をこぼすことになる。

 なお、よい点とは、食べ物なら「おいしい」が第一だ。「安全」「安心」「健康」が求められていると言っても、それらは食欲につながらない。なぜか。これはほかの分野で考えたほうが分かりやすいかもしれない。

 今、あなたが着ている服は、「安全」「安心」「健康」だから選んだものだろうか。「かっこいい」「かわいい」が先にあったはずだ。消費者がいちばんに求めるベネフィットはまず官能面や感情などが先に立つ。

 理屈で理解するレベルの「安全」「安心」「健康」は、どうも欲求につながりにくい。「美味礼賛」はあっても、「安全礼賛」という本は、なかなか成り立つものではない。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

About 齋藤訓之 305 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所客員研究員。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。日本フードサービス学会会員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。東京栄養食糧専門学校非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →