言うことより買うことが、生産を変える

タケヤマの高松求氏。近年はタケの形、表面の色や蝋の状態も格段に良くなり、タケノコの色と味もさらに向上した。品質向上に、消費者の声が影響した部分もあるのかも知れない
タケヤマの高松求氏。近年はタケの形、表面の色や蝋の状態も格段に良くなり、タケノコの色と味もさらに向上した。品質向上に、消費者の声が影響した部分もあるのかも知れない

タケヤマの高松求氏。近年はタケの形、表面の色や蝋の状態も格段に良くなり、タケノコの色と味もさらに向上した。品質向上に、消費者の声が影響した部分もあるのかも知れない
タケヤマの高松求氏。近年はタケの形、表面の色や蝋の状態も格段に良くなり、タケノコの色と味もさらに向上した。品質向上に、消費者の声が影響した部分もあるのかも知れない

毎年4月ごろになると、茨城県牛久市の農家高松求氏のタケヤマ(竹を栽培する圃場)にタケノコを掘りに行く(高松求氏については、2005年8月18日の「『オカルト』を乗り越えて見聞せよと叱責されたものの」でも触れた)。高松氏のお話をうかがい、タケノコを掘るという作業を通じて、植物のこと、農という循環システムのありさま、働くことの意義、仕事の段取りの付け方、地域社会での生き方などなど、教わることが多い。独り占めにしていてはもったいないので、毎年何組か、取材で出会った人たちや友人を誘い、春のひとときを過ごすのが、十年来の年中行事となっている。

 高松氏に最初に会ったのは雑誌「農業経営者」の編集者であった95年。高松氏は同誌の昆吉則編集長が師と仰ぐ人で、取材と勉強を兼ねて編集長に伴われて訪ねたのだった。

 高松氏の経営のメインは稲作だが、タケノコ生産を始めたのには理由がある。米主体の農業なら、収入のある時期は秋に集中する。他に豆や野菜の生産もあるが、春先にだけ、現金収入が途絶える。ところがこの時期には子供の学費などでお金が必要になるもの。そこで春先の売上げを狙ってタケノコ生産を思い立ち、家の裏の圃場にタケを移植したのだ。

 この着想と行動が評価され、林野庁長官賞も受賞した。これをきっかけに、近隣の農家の間でも自宅付近にタケを移植することが流行した。

 ところが、タケノコ生産を始めて間もない昭和40年代ごろから、中国から缶詰のタケノコが大量に輸入されるようになり、価格面で打撃を受け始める。これで意欲を失ってタケヤマの管理をしなくなった例は多く、タケヤマがタケヤブになってしまっている農家はよく見かける。

 しかし高松氏は、「こうして取り組み始めたからには、いつか京都の優秀なタケヤマにも引けを取らない品質のタケノコを生産したい」と栽培を続けてきた。

 タケヤマの地下水位を適性に保つため、圃場の周囲に明渠を掘り、冬季の保湿のために毎年秋に下草としてムギを植え、稲作で出た籾殻を醗酵させてタケヤマ全面に散布するなど、さまざまな工夫を凝らしてきた。

 私が始めて訪ねたころには、ある積年の悩みが、いよいよ生産自体を左右しかねないものとして頭をもたげ始めていた。収穫作業が重労働で、60歳を超えていた高松夫妻にはもう続けられないというのだ。「誰かこのタケヤマのタケノコを全量買い取ってくれて、しかも自分たちで収穫しに来てくれるところはないか」――なかなかそうした奇特な会社はないもので、それが氏の悩みだった。

 その後、「日経レストラン」の記者に転じた後も高松氏のところに通い続けたのだが、ある年、意を決して当時平成フードサービスの副社長だったワタミファーム(東京都大田区)の武内智社長を誘ってみた。

 武内氏は当時から「有機栽培のものでなければ買わない」と明言していた。一方、高松氏は必要なもの、有効なものは使うというように、何事も合理的に考える人で、当時は稲作に農薬も化学肥料も使っていた。コスト高になるので使用したくないという考えは持っていて、実際の使用量は年々減らしていたが、使っていることには変わりがない。そうして生産したコメの籾殻がタケヤマに入るのだから、武内氏から「これはうちの店では使えません」と断られるのは目に見えていた。

 ところが、意外な展開となった。高松氏の説明を聞き、圃場を見学して帰った後、武内氏から「買います」と連絡が入ったという。シーズンの毎日収穫に来るというのは無理だったが、年に何度か、レストランの現場のスタッフたちがタケヤマの管理の手伝いもするのだという。

 ただし、武内氏からは、タケヤマに入れる堆肥等の元になる作物を生産する圃場では、農薬や化学肥料の使用をやめて欲しいという要望が出た。これを受けて、高松氏は水田への農薬の使用をやめた。それを可能にする実力はあったし、買い手の意向に応えて、コストも減らせるということで踏み切ったのだ。いわば、武内氏が、いや武内氏のレストランに「有機栽培のものが食べられるから」と集まる消費者たちが、高松氏の経営を変えたのだ。

 高松氏は、信ずるところを変えない一徹な人なので、これには非常に驚かされた。

 考えてみれば、サラダを食べるというので清浄野菜を求めて化学肥料の普及に拍車をかけたのも、虫食いのない野菜を求めて農薬の普及を促したのも、緑の濃い野菜を求めて多肥栽培を促したのも、黄身の色が鮮やかな鶏卵を求めて養鶏家に着色した飼料の使用を促したのも、マーケットなのだ。常に、消費が生産を左右してきた。

 消費者が、今出回っている食品に納得がいかないというのは、これまでの自分たちの食生活に納得がいかないということに過ぎない。そこで自分以外の誰かを悪者と考えたり、批判することよりも、淡々と自分たちの生活を自分たちが思った通りのものに改めていくことが、最も力強いインパクトを持つのだ。

 責任感を求められるのは、消費者であり、彼らの心を左右し、声を増幅するマーケティング担当者なのだ。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

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About 齋藤訓之 398 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所特任研究員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。日本フードサービス学会、日本マーケティング学会会員。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →