大晦日の夕食「松屋」の思い出

「松屋」
「松屋」。当時と看板は変わったけれど、前を通るたびに思い出すことがある

せっかくの年の瀬。ちょっと思い出話にふけらせていただくのをお許しいただきたい。ある年の大晦日に食べた、「松屋」のとあるメニューのお話。おいしいのにほろ苦く、ちょっと塩辛い、忘れられない味。

初めての独りでの年越し

 それは、僕が初めて東京にやってきた1983年のこと。当時、僕は、東京で初めての一人暮らしをしながら、浪人生として予備校に通っていた。

“何者でもない”ことが特徴である青年期にあって、浪人生というのは、高校生でも大学生でも専門学校生でもない、まさに「何者でもない」象徴のようなもの。その無任所の心細さや、知り合いがほとんどいない東京での一人暮らしということも逆にうまく作用したのか、生涯でいちばん真面目に勉強に打ち込んでいた時期だった。標語好きだった僕の部屋には「ガリ勉最高!」という張り紙がしてあったほどだ。

 そんな真面目一本だった浪人の年の瀬、予備校も大晦日や元旦はさすがに休日になる。合格するまでは実家に帰らない! と突っ張って宣言していた真面目な上荻青年(僕のことです)は、31日も近くの図書館で勉強するべく西新宿のアパートを出た。

突然の無一文

 ちなみに、僕の初めての浪人一人暮らしの場所は、何故か西新宿。全く東京のことはわからず、学生専門の不動産業者に勧められるまま、高層ビル群を抜けて中央公園を過ぎたところにある、便利なのか不便なのか微妙な十二社のアパートに住んでいたのだ。

 さて図書館に向かったはいいが、ちょっと気乗りがしない。で、ぷらぷら散歩をすることに。十二社からしばらく歩くと、高層ビル群の脇を這うように青梅街道が通ってる。そこをまたプラプラ歩くと、けっこうすぐに新宿の大ガード近くまで歩いて行けてしまう。そのルートで、なんとな~く、新宿大ガードそばまで歩いて来てしまっていた。

 当時は年末・年始は銀行が閉まってしまったから、あの日はいつもより多く、少ない仕送りの残金1万円を全額引き出して持っていた。それで、気が大きくなっていたのかもしれないが、ちらりとパチンコ屋の派手な看板が目に入った途端! フラフラ~っとパチンコ屋に入って行ってしまったのだ。

 もちろん、それまで、パチンコなんて、満足にしたこともない。

 真面目一本の不器用野郎だったから、逆に熱くなるのも早く、あっという間になけなしの1万円をスッてしまった。最後の玉1個がすべての釘から落ちて穴に吸い込まれた瞬間、血の気が「サーッ」と引く音が聞こえた……。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう。店を出た後、頭の中は、この「どうしよう」でいっぱいになった。まだご飯も食べていない。食材はあの1万円で買おうとしていたから、冷蔵庫には何もない。米も切らしている、パンもない。お金が全くないから、食べられない上に、年末年始どこにも行けないし、何もできない。

 どうしよう、どうしようと、頭が真っ白になりながら、新宿駅までしばらく歩いた。

怖いもの知らずの怖さ

 そこで、ふと頭に浮かんだのが「Sさん」のことだった。

 このSさんというのは母親の古くからの知り合いで、僕も小さいころからよく知ってる、きれいなおばさんだった。その彼女が、数年前に駆け落ちのような形で恋人と上京し、どういうわけか怪しいビジネスに手を染めて、原宿のはずれにある古いマンションに暮らしていたのだ。

 上京する際に、母親から「何かあったらSさんに相談しなさい」とは言われていたものの、彼女の状況がなんとなく胡散臭かったために、一度4月に挨拶に行ったきりで、あとは連絡もせずにいた。

 そのSさんのところだったら、新宿から電車賃を使わず、歩いて行ける。もしかして困っている素振りをしたら、お金を貸してくれるかもしれない!

 自分のことしか考えていられなかった二十歳前の上荻青年は、ものすごいグッドアイデアを思い付いたとばかり、落ち込んだ気分をやや復活させつつ、原宿方面へ歩いて行ったのだった。

 ああ! なんて、視野の狭くて、情けない、独りよがりのにーちゃんだったのだろう、自分は……。

 歩いて30分ぐらい、夕方前の時間にSさんのマンションに着いた。迂闊というか、怖いもの知らずというか、在宅かどうかも確認せず向かったのだから、若いころの無鉄砲さというのは恐ろしい。

 いそいそとインターホンを押し「上荻です! 年末年始のご挨拶に来ました!」と元気に告げる。幸いなことにSさんは、在宅していた。恋人さんは不在で、ちょっとけげんそうに僕を迎えてくれたSさんの表情を今でも覚えている。

この上なく現金なやつ

 一通り挨拶をして、時節のことや受験勉強のことなど話してしまうと、もう、話すことがない。すんなりお金の件を話するほど社交的ではなかった僕は、困ってしまった。

 Sさんの部屋は、以前訪れたころより生活が荒んでいる感じで、原宿の辺りという派手派手しさは全くなかった。以前母親から、ビジネスに失敗したらしい、と聞いたこともあった。そんな部屋にいて、いたたまれなかった僕は、よりにもよって、彼女の残していった家族の話を持ち出しはじめた。

 彼女がとても気にしていて、そして触れてほしくない話題。いちばんセンシティブな話題だったのに、話の接ぎ穂がわからないから、という理由だけで、話し始めた自分……。今、目の前にいたら、ぶん殴ってやりたいぐらい、何もわかっちゃいない、独りよがりのにーちゃんである。

 家族の話でちょっと涙ぐんだSさんは、それでも僕へ気を使って「ご飯食べて行く?」と言ってくれた。なのに、お金のことしか頭になかった僕は、それにはいらないと答え、しかも話が終わっても黙るばかりで帰ろうとしなかった。

 そこでなんとなく事情を察してくれたSさん、隣の部屋に引っ込んで財布を持ってきて、こう言ってくれたのだった。今でも一言一句忘れない。

「ちょっと早いけど、これ、お年玉。家族にはあげられないから、吾朗ちゃんにあげるね。裸の現金で悪いけど」

 Sさんの手には、しわくちゃの五千円札があった。

どすんと食べたい味

「牛焼き肉定食」
「牛焼き肉定食」。器も変わったけれど、やっぱり思い出しちゃうなぁ

 Sさんから五千円札をもらった僕は、簡単なお礼を言った後、そこからすぐに立ち去った。何か、そこにはいたたまれなかった。原宿の外れから、息を詰め、駆けるようにして、新宿へ戻った。

 新宿に着いた途端お腹が鳴った。頭に上ったのは、牛丼とか、牛丼店にある定食類。がっつり食べたかった。一直線に歌舞伎町へ向かった。今ある店舗とは違うと思うが、歌舞伎町辺りに「松屋」があったのだ。

 頼んだメニューは、しっかり覚えている。「牛焼肉定食、ご飯大盛り」。あのころ、松屋の牛焼肉定食のおろしポン酢味のソースが好きで、何かしっかり食べたくなると、いつも頼んでいたのだった。あのときも、減ったお腹に、どすん、とあの味を入れたかった。

 ほどなく品物が運ばれてくる。

 一口食べる。

 牛焼肉の脂の甘さとおろしポン酢のソースが取り合わせがよくて、そのまま、ご飯をかっこんだ。

どうしてうまいんだバカ野郎

 そうしてご飯を口に入れた途端に、今日のことが現実味を持って一気に思い出された。

 ふらふらとパチンコ屋に入った自分の甘い気まぐれ。全額スってしまったときの血の気が引く音。手前勝手な事情でSさんに甘えてしまったこと。場が持たなくなって触れちゃいけない話題を無神経に話したこと。Sさんのしわくちゃの5千円札……。

 いろいろなものが音を立てて頭の中によみがえって。恥ずかしくて恥ずかしくて、消えてしまいたくなった。なんてバカなことをしたんだろう、なんてバカなオレなんだろう……。何度も何度も思った。

 そのくせ、食いしん坊のサガか、牛焼肉定食がおいしく感じられ、しっかり最後まで食べた。あの味は忘れられない。

 その後、Sさんとの付き合いは、この大晦日のお年玉以降途絶えた。そして数年前、母親から、Sさんが亡くなったと聞いた。あのときのお年玉のお礼もきちんとできないまま。

 何者でもない、無任所のころ。大晦日、小さかった僕の、小さなお話。

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編集者 かみおぎ・ごろう 1964年生まれ。北海道出身。週刊誌記者、漫画編集者を経て、WEB製作会社で勤務。震災後、通勤困難を経験して、メタボ対策のためにも、自転車通勤をするようになる。おいしいものを食べることが何より好きな健康チューネン。いかにも飲めそうなヒゲ面のくせに下戸。