フィロキセラ禍との闘い

ブドウ栽培に関する著書があり、補糖(シャプタリザシオン)の提唱者であるシャプタル。ナポレオンが彼を登用したのは、後にフィロキセラ禍と判明するブドウの障害があったからではないだろうか。そして、ブーシェ父子の事績も、フィロキセラ禍の中での抗いだったのではないだろうか。

シャプタルとブーシェを駆り立てたもの

 ナポレオンが内務大臣に抜擢した化学者――彼こそは、シャプタリザシオン(補糖)の提唱者ジャン・アントワーヌ・シャプタル(Jean Antoine Chaptal/1756―1831)である。シャプタルは1801年にブドウ栽培に関する著書を出版し、1804年にフランス内務大臣に就任後の1807年、正常なアルコール醗酵を促すためにブドウ果汁への補糖を提案したのである。

 なぜその提案をしたのか。栽培するブドウの糖度が上がらないという問題があったからこその提案だったのではないか。その問題とは、やはりこの頃すでにフィロキセラによる障害が広がりつつあり、原因不明のまま健全な生育をしなくなってしまったブドウに頭を抱えるワイン生産者たちがいたのではないか。

 私は、シャプタルがワイン産業存続ために必死の思いで補糖を提案したことを想像する。

 だとすれば、生育不良のブドウは、糖度が上がらないだけでなく、ワインの仕上がりの色にも悪い影響を与えていたのではないか。それに対して、ヨーロッパ系ブドウ品種の中で何とかまともな赤ワインを再生し、ワイン産業の消滅を食い止めようという情熱が、ブーシェ父子を駆り立てていたのではないだろうか?

 事実、1874年にアラモン種にアメリカ系台木の接木に成功し有効性を実証したのは、発案者でこそないらしいがアンリ・ブーシェである。

 私はそこまで思い当たったとき、彼らに申し訳ない勘違いをしていたと気付いた。つい数日前までの私は、ブーシェ父子とシャプタルを、“イカサマ行為に加担した不届き者”のようにみなしていたのだ。

 ヴィティス・ヴィニフェラは「ワイン用ブドウ」を表す言葉だ。フィロキセラ禍を生き延びて現在も欧州に繁茂しているこの系統のブドウは、アメリカ系台木を接木されたものだけである。そう。現在あるヴィティス・ヴィニフェラは、ワイン醸造のために守られた栽培用品種だけなのだ。

 つまり、現在残っている以外のヴィティス・ヴィニフェラ系ブドウやそれ以前からあった他の系統、あるいはそれらの交雑種の多くは、フィロキセラ禍以降に放棄され、アメリカ系台木を接木などされることもなく、そのほとんどが絶滅しているわけだ。これでは、今日の研究家がそれらについて書こうとしても、サンプルもなければデータもない。書きようがなかったのだ。

 ジャンシス・ロビンソンの著書に「不自然と感じる分散した記述」があるのも道理で、一時なりとも彼女のスタンスに何かを隠しているかのような疑念を抱いたことが恥ずかしい。

フィロキセラ禍は終わっていない

 しかし、こうして考えてみると、フィロキセラ禍を生き延びたヴィティス・ヴィニフェラ系ブドウが、改めて愛おしく思えてならない。

 というのは、フィロキセラ禍以降のヴィティス・ヴィニフェラ系は実生(種子から発芽して育つこと、育ったもの)ではない。アメリカ系台木に蔓を接木したもの、つまりクローンである。つまり、この方法が始まった頃の品種そのものというわけだ。もしもフィロキセラ禍がなかった場合に行われていたはずの、多年にわたる交雑では失われたかもしれない形質を、彼らは持っているに違いない。ならば、フィロキセラから隔離した施設内で実生育成による世代交代を重ねれば、失われた品種の復元の可能性もあるのではないか。

 私は20代前半から趣味で渓流釣りをやっていたが、それで思い出すことがある。かつては渓流づたいに歩いていると、差し掛かる野ブドウの葉に出合ったものだ。そういうときは決まって蔓に足を取られるのだが、それも心和む思い出だ。

 思い出だと言うのは、年を経るごとにその出合いは激減していったのだ。今では同じ渓流でもあの野ブドウを見かけることはまずない。フィロキセラの日本への上陸は明治期と言われている。以来、彼らは着々と侵略を続けてきたのに違いない。

 もはや日本の野ブドウや、野生化した甲州種にもお目にかかることはかなわないのだろうか? そして、いずれはユーラシア大陸系野生ブドウが絶滅してしまう日が来るのだろうか?

 それどころか「バイオタイプB」と名付けられた新種のフィロキセラも出現しているらしい。この新種は1960年代から1970年代にカリフォルニアで一部のアメリカ系台木を枯死させたという。新種にも耐性のある他の台木に交換してしのいでいるようだが、台木以外の治療法を見つけ出すことは焦眉の急である。

「フィロキセラ」は水に弱く溺死するらしい。では、「ノアの箱舟」のような洪水に見舞われでもしない限り、彼らを完全に駆逐する手立てはないのだろうか?

※参考:「病害虫データベース」(島根県農業技術センター)ブドウネアブラムシ
http://www.pref.shimane.lg.jp/industry/norin/gijutsu/nougyo_tech/byougaityuu/byougaityuu-index/budou/gr146.html

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酒類品質管理アドバイザー おおくぼ・よりあき 1949年生まれ。22歳で家業の菊屋大久保酒店(東京都小金井市)を継ぎ、ワインに特化した経営に舵を切る。「酒販ニュース」(醸造産業新聞社)に寄稿した「酒屋生かさぬように殺さぬように」で注目を浴びる。また、ワインの品質劣化の多くが物流段階で発生していることに気付き、その改善の第一歩として同紙上でワインのリーファー輸送の提案を行った。その後も、輸送、保管、テイスティングなどについても革新的な提案を続けている。