フィロキセラ禍発生はもっと早かったはず

1800年代中頃以前のブドウ品種のことは、文献にほとんど記述がない。それがなぜかと考えると、その頃に起こったワイン業界の大事件フィロキセラ禍のことに気付かされる。ところでそのフィロキセラ禍は、通常言われるよりも早くからヨーロッパに蔓延していたのではないだろうか。

フィロキセラ禍は1800年代中盤からか?

 しかし、ジャンシス・ロビンソン女史がタンテュリエ系のブドウ品種のルーツを曖昧にしていることが解せなかった。ブーシェ父子以前のことが記述されていないのだ。なぜ1800年代中頃以前のヨーロッパ系ブドウ品種ヴィティス・ヴィニフェラ系のルーツに関する資料がないのだろうと悩んだ。

 だが、はたと気が付いた。1800年代中頃に何があったのだろうか――大変なことを忘れていた。フィロキセラ禍があったではないか!

 フィロキセラ(ブドウネアブラムシ)というのはアメリカ大陸に生息していた小さな昆虫で、ブドウの根や葉に寄生する。それでも、アメリカ大陸のブドウは長い間に耐性を獲得していて致命的な被害を与えることはなかった。ところが、旧大陸のブドウは耐性を持っていないため、フィロキセラが寄生すると徐々に弱り、やがて枯死してしまう。

 この寄生虫はいつごろからヨーロッパ侵略を開始していただろうか。「ワールドアトラス・オブ・ワイン」
(ヒュー ジョンソン著、ネスコ)によれば、ブドウの枯死の原因がブドウネアブラムシの寄生によるものと最初に確認できたのは「1863年南イングランドでのこと」と記されている。その対処法としてアメリカ産台木への接木が始まったのは、1870年代後半のフランスにおいてであったらしい。そして、この昆虫が持ち込まれた時期は、ビクトリア王朝時代(1837~1901)に植物標本に紛れてのこととも書かれている。しかし、果たしてそうだろうか?

 私はコロンブスの新大陸発見以来、静かに始まっていたのだろうと考える。1800年代中頃というのは、ブドウの枯死の原因がこの昆虫によると特定された時期ということではないだろうか。

拡散は着々と進んでいたのではないか

 少なくとも、1800年代中頃よりも以前であったのではないかと考えるのは、当時の政治と自然環境からの推理だ。

 1588年にフランシス・ドレイクがアルマダ海戦でスペインの無敵艦隊を撃破して以来、大西洋の制海権を拡大していったイギリスは、新大陸からより多くの富とブドウ根アブラムシを持ち帰っていたはずである。アメリカの旧宗主国であったがために、フランスよりもフィロキセラの蔓延は早かったはずだ。

 そして、自国の在来種で原因不明の枯死が発生していく中で、アメリカ産ブドウ品種が順調な生育を見せるのを見て、イギリスのワイン生産者たちがそれに望みを託したとしても不思議ではない。彼らはさらにアメリカ産ブドウの苗を持ち込み、結局のところこれがフィロキセラ蔓延を加速したに違いない。アメリカ産ブドウに付いていた寄生虫が枯死の原因であったと特定がなされる前に、イギリスのワイン生産は壊滅へと突き進んでいたのではないか。

 さて、1775年4月、そのアメリカ大陸の植民地と宗主国イギリスは交戦状態に突入する。翌1776年7月4日、13の植民地は結束して独立宣言を発してアメリカ合衆国となり、1778年にはフランスと同盟条約を結ぶ。当然、新大陸の交易の主体はイギリスからフランスへと移った。

 このときの合衆国の駐仏公使が、無類のワイン好きトマス・ジェファーソンである。彼が大量のアメリカ産ブドウ品種をフランスへ持ち込んでいたとしたらどうか。

 一方、1783年9月3日のアメリカ独立戦争休戦の3カ月前の6月8日から1785年まで、アイスランドのラキ火山とグリムスヴォトン火山が噴火し、大気中に800万tのフッ化水素ガスと1億2000万tもの二酸化硫黄ガスを噴出し、その後何年もの間ヨーロッパに異常気象をもたらした。この影響で、イギリスでもフランスでも呼吸障害などで多数の死者を出し、数年間連続して食糧不足が発生した。これによって生じた社会不安は、フランス革命の大きな要因ともなったらしい。

 もし、この時期にイギリスやフランスでブドウの生育不良、病変、枯死があった場合、人々はその原因がどこからかやって来た未知の昆虫であると考える前に、この噴火とそれによる大気汚染や土壌汚染によるものと考えるのが順当というものだ。したがって、すでにフィロキセラがヨーロッパに入り込んでいたとしても、発見と適切な対応は遅れたはずである。むしろこの噴火による有毒ガスは、人間にだけでなくフィロキセラにも打撃を与え、一時的にはその拡散を押し止めていたかもしれない。

ブドウの障害は早くから問題になっていた

 そして1789年7月14日、バスティーユが襲撃されフランス革命が起きる。1799年11月9日にはナポレオン・ボナパルトがクーデターを起こし、彼は1804年に皇帝に即位する(フランス第一帝政)。革命の混乱を収めた後は戦争だ。1805年10月21日、トラファルガー海戦でイギリスに敗北。さらに大陸各方面で戦いに明け暮れ、1812年にはロシア遠征に失敗すると、周辺国のフランス包囲網に苦しめられた。

 このように長年にわたって自然災害と相次ぐ戦争でフランス経済が疲弊する中では、ブドウの生育不良や枯死があったとしても、その原因解明は遅々として進まなかったはずである。しかし、この頃すでに、フランスの国家的財源の根幹とも言うべきワイン産業を失う事態が迫っていると自覚されていたことをうかがわせる人事がある。皇帝に即位ばかりのナポレオン・ボナパルトが、ある薬学・化学・醸造学に秀でた人物を内務大臣に抜擢しているのだ。

About 大久保順朗 82 Articles
酒類品質管理アドバイザー おおくぼ・よりあき 1949年生まれ。22歳で家業の菊屋大久保酒店(東京都小金井市)を継ぎ、ワインに特化した経営に舵を切る。「酒販ニュース」(醸造産業新聞社)に寄稿した「酒屋生かさぬように殺さぬように」で注目を浴びる。また、ワインの品質劣化の多くが物流段階で発生していることに気付き、その改善の第一歩として同紙上でワインのリーファー輸送の提案を行った。その後も、輸送、保管、テイスティングなどについても革新的な提案を続けている。