世界の土 ii/ミャンマーでイネとラッカッセイの可能性

圃場のミャンマー女性(シャン州)
圃場のミャンマー女性(シャン州)"Burmese women working on the fields in Shan State, Myanmar. Photo was taken in February 2005, dry season." See also Wikimedia commons

圃場のミャンマー女性(シャン州)
圃場のミャンマー女性(シャン州)”Burmese women working on the fields in Shan State, Myanmar. Photo was taken in February 2005, dry season.” See also Wikimedia commons

このところミャンマーのことがマスコミでもよく取り上げられています。政治情勢の変化とともに、国際社会のこの国のとらえ方や交流の様子が変わりつつあります。

 筆者は10年ほど前に数回、ある企業の依頼でミャンマーの農業技術改善の仕事を請負い、土壌調査を行ったことがあります。その経験から、当地での農業の可能性を話してみます。

清潔で整った暮らしぶりが光る農村

 私が訪れたのは軍事政権下の時代でしたから、普通の国で仕事をするのとはちょっと様子が違いました。

 一緒に同行するはずであったカメラマンは、ビザ取得に際して、正直に職業をカメラマンと記載してしまったためにビザが下りませんでした。

 ヤンゴン国際空港では、荷物はリヤカーでターミナルまで運ばれているようでした。入国に際しては20ドルの強制両替があり、これにシブシブ応じて空港ターミナルを出ると、その先50mぐらいのところに畑があり、やはりアジアの極貧国に来たと実感しました。

 現地では、ホテルの部屋も、持ち物も、すべてチェックされていました。それぞれの農地の調査データーがどういうものかを調べていたようです。

 そして、農業技術についての会議の内容はもちろんのこと、そうした会議の開始と終了はその都度国家情報局への連絡が義務付られました。

 そういう時代がつい最近まで実際にあった国なのです。

 しかし、中心地での会議の後、地方廻りになると、また別な意味の印象深さがあります。

 最も皆さんにお伝えしたいことは、農村は貧しい暮らしではありますが、ゴミ一つ落ちていなかったことです。ミャンマー国民の清潔で整った暮らしぶりは素晴らしいと感じました。人々は親切で礼儀正しく、農村の雰囲気は、来訪者に安心感を与えるものです。

 また、それぞれの村には必ずと言ってよいほど仏教寺院パゴダがあります。そしてそれらは旧跡といったものではなく人々の現役のコミュニティの場として機能していて、関心させられました。

 食事は、味付けが日本人になじみやすいものです。納豆も昔から作られていたようです。

 また、それより驚いたのは緑茶です。緑茶と言っても“食べる緑茶”です。これは生葉をムシロに拡げて、太陽光で酵素の働きを止め、竹筒に入れた保存食です。

既存農業には改良の余地がある

 さて、ミャンマーでの農業についてお話しましょう。

 地図を見て、緑色に塗られたところ、つまり平地のほとんどはほぼ水田と考えていいでしょう。

 ここの水稲の作り方は、苗を作っての移植です。苗は苗床にまき、かなり大きくしてから手植えをします。苗の全長は20cmぐらいあります。そして、几帳面な田植えです。

 特筆すべきは、無肥料栽培かそれに近いものだということです。そのため、植え付けられた苗は黄色の葉色で、しばらくはゆっくりした生育を示します。その後は、徐々に葉色が黄緑色から緑色になってきます。私はこれを、おそらく土壌中の窒素固定菌が働くためだろうと推測しています。

 しかし日本の水田で見られるような、濃い緑色のイネにはなりません。品種も吸肥性が強くはないことも原因ですが、おとなしい感じのイネで一生を終えます。ですから収量も少ないのです。

 あれから10年を経た現在はどのようになっているのかわかりませんが、少なくとも当時は施肥の概念はまだ出来ていなかったことが彼の地の水稲作の特徴でした。

インレー湖のトマト栽培
インレー湖のトマト水耕栽培。”Floating gardens on Inle Lake” by Ralf-André Lettau See also Wikimedia commons

 では畑の方はどうでしょうか。

 畑はまずマンダレーの空港より南のヤンゴンまでのエリアで標高の低い場所では乾燥地が多く、ゴマやキマメといった乾燥に強い作物を作っています。

 一方、インレー湖が特徴的ですが、水上生活の少数民族がいて、彼らは水上に浮かんだ水草を栽培床にして、トマト園芸をやっています。無肥料の水耕栽培というわけです。ここのトマトは有名で、専門の集荷場にもいきましたが、なかなかの集荷量でした。小ぶりで硬いトマトで味は甘味はありません。

地形のバラエティと国民性が生きる農業を

 このように、ミャンマーは南の水田地帯から、北の山岳地帯まで標高差によってさまざまな農産物を生み出す可能性を持った国です。そして、農村にはまじめで勤勉な農家がそろっています。

 こうしたところに日本の緻密な農業技術が入り込んで、新しいASEANの食材を創出できる時代が来たと、確信します。

 では、ミャンマーでの農業を考えた場合、日本に魅力ある作物や栽培する場所はどこかということを具体的に想定してみましょう。

 まず畑ですが、中央部に乾燥した砂質土壌地帯があり、ここで特徴ある作物を作れます。その作物の候補はたとえばラッカセイです。ラッカセイは砂質のようなやせた土壌でも生育可能であり、また管理の手間も多くを要しません。

 ラッカセイは現在は中国からの輸入品がありますが、味がよくありません。この点、ミャンマーの乾燥砂地でのラッカセイはお勧めです。

 次にこのマンダレーからさらに山間地に上って行った標高1000mあたりには傾斜した畑がありますが、ここで日本のトマトの品種を栽培すれば、高糖度のものが出来るでしょう。それは今後の都市部での需要に応えられると思います。もちろん、他の畑での可能性もたいへん大きいです。

 では田んぼではどうでしょうか。もちろん、日本のイネの品種が活躍できること間違いありません。栽培法は日本式で行います。肥料も十分に施用する体系です。

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About 関祐二 101 Articles
農業コンサルタント せき・ゆうじ 1953年静岡県生まれ。東京農業大学在学中に実践的な土壌学に触れる。75年に就農し、営農と他の農家との交流を続ける中、実際の農業現場に土壌・肥料の知識が不足していることを痛感。民間発で実践的な農業技術を伝えるため、84年から農業コンサルタントを始める。現在、国内と海外の農家、食品メーカー、資材メーカー等に技術指導を行い、世界中の土壌と栽培の現場に精通している。