「フィールド・オブ・ドリームス」野球と食事

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今回は、米メジャーリーグ開幕にちなみ、野球を題材にした1989年作品「フィールド・オブ・ドリームス」を通して、アメリカ人と野球と食の関わり合いを見ていこうと思う。

シューレス・ジョーとブラックソックス事件

 本作はウイリアム・パトリック・キンセラの自伝的小説「シューレス・ジョー」を原作としている。シューレス・ジョーとは1910年代に活躍したメジャーリーガー、ジョン・ジャクソンのことである。

 ジョン・ジャクソンは、2001年にイチローに抜かれるまで史上1位だった新人安打数や、史上3位の通算打率の記録を持つ。ベーブ・ルースも彼に学んだという打撃と、アメリカ野球殿堂入り第一号のタイ・カッブをして「彼のグラブの中で三塁打は死ぬ」と言わしめた守備の実力を兼ね備えた名選手であった。ルーキーだった頃の試合でスパイクが足に合わず、6回途中から裸足でプレーしたというエピソードから、シューレス(Shoeless)と呼ばれるようになったという。

 そんな彼が所属したシカゴ・ホワイトソックスの主力選手が、1919年のワールドシリーズで賭博絡みで八百長を働いたという疑惑が発覚し、当時のコミッショナーはジョーを含む8選手(アンラッキー・エイト)を永久追放処分にした。これが世にいう“ブラックソックス事件”である。

 ファンの少年が「嘘だと言ってよ、ジョー!」と叫んだという伝説に象徴されるように、事実上の国技のように野球と慣れ親しんできたアメリカ人の誇りを傷付けたこの事件は、映画「エイトメン・アウト」(1988、ジョン・セイルズ監督)でも描かれている。しかし、「フィールド・オブ・ドリームス」はノンフィクションではなく、事件をモチーフの一つとして、原作者の私小説的な内容を映画化した現代のファンタジーである。

トウモロコシ畑から彼はやってくる

 本作の主人公であるレイ・キンセラ(ケヴィン・コスナー)は、若い頃元マイナーリーガーの父に反発してニューヨークの家を飛び出し、カリフォルニアの大学で知り合ったアニー(エイミー・マディガン)と結婚。彼女の実家のある米中部のアイオワ州の田舎町に農地を買い、小学生の娘カリン(ギャビー・ホフマン)と3人でトウモロコシ農家として静かに暮らしていた。

 ある日彼は、夕暮れのトウモロコシ畑で「それを作れば 彼はやってくる」という謎の声を聞く。その声が耳から離れなくなった彼は、畑を探し回った末に、整備されたグラウンドとシューレス・ジョーの幻を見る。それ以来彼は、不動産ローンが残り、資材・機材等の諸経費もかさんで農業経営が苦しいにもかかわらず、収穫を目前にしたトウモロコシ畑を潰して野球場にするという、周囲からすれば異常とも映る奇行に邁進することになる。ここで注目すべきは妻アニーの反応で、普通夫がそんなことをすれば世間体を気にして反対するとか、カウンセリングの受診を勧めるとかさえしそうなものだが、彼女の場合はむしろ彼を理解し、応援する側に回るのだ。

「野球場を作りたい。バカな考えかな」

「ええ。でも、あなたが本気でそうしたいと思うのなら、するべきよ」

 彼女は今でこそ農家の専業主婦に徹し、レイとカリンに食事を作ったり家事全般を受け持っているが、カリンの学校のPTA集会では、劇中の黒人作家テレンス・マンの小説「船を揺らす人」を有害図書に指定しようとする保守的な父兄に猛然と反論し論破してしまうあたりに、かつて学生運動の闘志だった片鱗がうかがえる。その上で見せる彼女の寛容さは、60年代を共に過ごし価値観を共有している夫への信頼の証とも言えるだろう。そしてついにトウモロコシ畑の野球場でシューレス・ジョー・ジャクソン(レイ・リオッタ)が現れた時、彼女はいう。

「コーヒーをわかしておくわ」

 トウモロコシ畑に面したキンセラ家のキッチンのテーブルで家族3人が摂る食事は、パンとコーヒー、乳製品、シチュー、フライ等、アメリカ家庭のごく一般的なものに映る。朝食のシーン、シリアルらしきものを食べているカリンがテレビで見ている映画は「ハーヴェイ」(1950、ヘンリー・コスタ監督)。ジェームズ・スチュワートが演じるエルウッドという男が、ハーヴェイという彼にしか見えない大ウサギを紹介して回るというコメディで、ドラマの展開の伏線となっている。

ライ麦畑とトウモロコシ畑

 ジョーがトウモロコシ畑の野球場にアンラッキー・エイトの仲間たちを連れてきて練習を始めた頃、レイに第2の声が聞こえてくる。

(彼の苦痛を癒せ……)

 そして先のPTA集会で、レイは“彼”とはテレンス・マン(ジェームズ・アール・ジョーンズ)のことなのだと確信するのだった。

 テレンス・マンはこの映画の架空の人物だが、原作では1951年に代表作「ライ麦畑でつかまえて」を著した実在の作家、J・D・サリンジャーとして登場する。テレンス・マンはユダヤ系白人のサリンジャーとは異なり黒人だが、作品が社会に与えた反響(「船を揺らす人」が「ライ麦畑でつかまえて」にあたる)や、長期にわたる隠遁生活等は明らかにサリンジャーがモデルである。

 サリンジャーと野球との接点は、1965年の彼の遺作「ハプワース16、一九二四」で、主人公の少年に「野球は四半球で最も悲痛で最も甘美なスポーツである」と言わせていることや、「あなたは作家にならなかったら何になりたかったですか」というインタビューに、「ポロ・グラウンズ(ジャイアンツがサンフランシスコに移転する前のニューヨークで本拠地にしていた球場)で野球をやるのが私の夢だった」と答えていることなどがある。

 また「ライ麦畑でつかまえて」の原題“The Catcher in the Rye”のCatcherとは、崖の上のライ麦畑で遊んでいる子供たちが畑から落ちそうになったらキャッチすることを夢見る主人公の若者ホールデンのことであり、野球と無縁とは言えない。恐らく本作の原作「シューレス・ジョー」のトウモロコシ畑という発想は、穀物つながりでライ麦畑からきていると推察され、映画においてもテレンス・マンのキャラクター造形に役立っている。

レイ・キンセラ(右)は、テレンス・マン(左)とボストン・レッドソックスの本拠地フェンウェイ・パークでホットドックを手に野球を観戦しているときに“第3の声”を聞く
レイ・キンセラ(右)は、テレンス・マン(左)とボストン・レッドソックスの本拠地フェンウェイ・パークでホットドックを手に野球を観戦しているときに“第3の声”を聞く

 レイはテレンス・マンがボストンにいることを突き止め、アニーを説得して彼の地へと旅立つ。その行動を起こす決め手となったのは、レフトにそびえ立つ高さ11.3mのフェンス「グリーンモンスター」が特徴的なレッドソックスの本拠地フェンウェイ・パークの一塁側スタンドで、レイとテレンス・マンがホットドックを食べている夢を2人同時で見たことだった。

 テレンス・マンの家はコーシャ認定の鶏肉屋が立ち並ぶユダヤ人街にあり、レイは最初彼から門前払いを食らうが辛抱強く説得し、ようやくフェンウェイ・パークに連れ出すことに成功する。2人が球場の売店で、腕組みをした青いユニフォームの売り子たちからホットドッグとビールを買うシーンは、不愛想だが野球が好きでたまらないといった売り子たちの雰囲気が出ていて、野球が文化としてアメリカに根付いていることを感じさせる。

 そしてテレンス・マンと一塁側に陣取ったレイは“第3の声”を聞き、電光掲示板に映ったメッセージを見るのである。

 ホットドッグは本作のクライマックスでもう一度重要な役割を果たすのだが、それはこの後の展開と共に実際に映画を御覧いただきたい。

 一つ言えるのは、ホームであるアイオワのトウモロコシ畑を発端に、声に導かれてボストン、ミネソタ州チザムを回ったレイが、ホームに帰還する姿は、野球のベースランニングに似ているということである。

おわりに

 本作の原作者であるウイリアム・パトリック・キンセラは、1997年に交通事故に遭って以来執筆をやめ、サリンジャーのように隠遁生活を送っていたが、昨年の9月19日、カナダで成立した安楽死法の適用を受け、医師の助けを得て希望死という道を選んだという。

 彼は最後に天国を見たのだろうか。


【フィールド・オブ・ドリームス】

「フィールド・オブ・ドリームス」(1989)
作品基本データ
原題:Field of Dreams
製作国:アメリカ
製作年:1989年
公開年月日:1990年3月3日
上映時間:107分
製作会社:ゴードン・カンパニー・プロ
配給:東宝東和
カラー/サイズ:カラー/アメリカンビスタ(1:1.85)
スタッフ
監督・脚本:フィル・アルデン・ロビンソン
原作:ウイリアム・パトリック・キンセラ
製作総指揮:ブライアン・フランキッシュ
製作:チャールズ・ゴードン、ローレンス・ゴードン
撮影:ジョン・リンドレイ
美術:デニス・ガスナー
音楽:ジェームズ・ホーナー
キャスト
レイ・キンセラ:ケヴィン・コスナー
アニー・キンセラ:エイミー・マディガン
カリン・キンセラ:ギャビー・ホフマン
シューレス・ジョー・ジャクソン:レイ・リオッタ
マーク:ティモシー・バスフィールド
テレンス・マン:ジェームズ・アール・ジョーンズ
ドクター“ムーンライト”グラハム:バート・ランカスター
アーチー・グラハム:フランク・ウェイリー
ジョン・キンセラ:ドワイヤー・ブラウン

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。