最も求められていることは量と質の安定である

農産物需用者が求めるのは量と質の安定
農産物需用者が求めるのは量と質の安定である(イメージ。記事とは直接関係ありません)

前回は、消費者が農産物に求め、生産者や流通業者がそれに応えているらしく振る舞っている「おいしい」「栄養価の高い」「安全」とは何かを検証した。このそれぞれは、曖昧、実現不可能、不用意な言葉である。

「いいもの」が通用するのは農業界だけ

 つまるところ、消費者、流通業者、生産者それぞれが、勝手にイメージしている不確かなものを「よい」と言っている状況である。日本の農業はこのようなものを目標として掲げているから、栽培技術は方向を見失い、進歩が見られないのである。

 もう一つ、商品の特徴で「よい」を規定することにそもそも無理があるということも押さえておきたい。

 たとえば、電気店に行って、「どのテレビがいいですか?」と質問したら、どのような答えが返ってくるだろう。おそらく店員は「これです」と1つの商品を示すことはしないだろう。安ければ安いほどいいという人もいるだろうし、ある機能を求める人もいるだろうし、画面の大きさにこだわる人もいるだろう。それらを複合していろいろに悩む人もいるはずだ。

 そして、どの特徴も、価格との兼ね合いで考えられるのである。単純に安いものをいいという人もいれば、自分の望む機能が含まれていれば、少々価格高くてもそれがいいという人もいるということだ。

 自動車でも同じだろう。軽自動車がいいという人がいれば、スポーツカーがいいという人もいるし、業務にトラックが必要な人もいる。要するに人による、ということになる。

 そのように、いいものとは、お客によって異なるにもかかわらず、農業生産の現場には、何か一つの形に行き着いて、それを万人に押しつけようという心があるようだ。しかも、その目指す一つの形というものが、よくわからないものである。

 農業現場には、なぜか、この「いいもの」という非常に曖昧な言葉がよく使われる。他の業界ではあり得ない商品価値である。

 農業の産業化を図っていくためには、この曖昧な言葉遣いをやめ、何をもって「よい」とし、何をもって「悪い」とするのかを明確にする必要があるのである。当然、この場合の「よい」とは、あるお客(流通業者)が望んでいるものである。それには、お客ごとに望むスペックというものがあるはずである。どんなお客が来ても「このテレビはいいものですから買ってください」しか言えない電気店の店員は1台も売ることができないだろう。まずすべきは、お客のニーズを聞き取り、確認することだ。

お客が望まないものは商品ではない

 とくに「高品質な農産物」というような曖昧な言葉は、栽培技術の観点からも、商品としての品質という観点からも、非常によくない。どのようなことを根拠に高品質と言っているのか不明な場合がほとんどであるし、お客のニーズを聞く前から「よい」と断定しているところも商業としての誤りがある。このようないい加減な言葉の使い方が、日本の農業の本当の意味での産業化を阻んでいるように思う。

 生産サイドでは自ら勝手に規定した“よい農産物”を追求していると言えるのである。どんなにかっこいいスポーツカーでも、落ち着いたセダンを探している人には無価値である。どんなに精巧なネジでも、お客が作る機械の図面に合わなければただの鉄の破片である。農産物も、お客に買ってもらう商品である以上、同じことのはずだ。

 なお、これから書いていくのは、ごく一部の特別に高品質・高額な農産物についてではなく、一般の消費者が常識的な価格で購入して利用できる農産物についての話である。特別に高品質で高価格な農産物を作って販売する仕事というのは、高品質な農産物を作る技術のほかに細やかで特殊なマーティングが必要であり、個々の特別な事情もからんでくる。したがってそういうものを単純に「こうすれば成功する」と一般化することはとうてい無理であるから、この連載では扱わない。

 なお、多くの生産者と消費者は、このような特殊な農業と多くの農業生産者が取り組む大きなマーケットを対象とした農業との違いを理解していない。そのために、一部の特別に高品質・高額な、特殊な農産物に対する要求をそのまま農産物一般に対するニーズだと勘違いしている場合が多い。メディアも特殊な農産物の成功事例を好んで取り上げているが、そうしたものは農産物の全流通量の中で見れば、ごく希な、流通量としても少ないものの話だということを忘れると、取り組むべき方向を誤ることになる。

天候リスクを被る卸、仲卸、青果市場

農産物需用者が求めるのは量と質の安定
農産物需用者が求めるのは量と質の安定である(イメージ。記事とは直接関係ありません)

 流通業が農産物に求めるものとは、「おいしい」「栄養価の高い」「安全」とは次元の異なるものである。つまり、彼らがまず第一に求めることは、「量および質の安定」である。とりわけ「量の安定」である。量が安定的に確保されて初めて、品質に言及することが可能になる。まず、量の確保が必要なのだ。どのように素晴らしい品質のものがあろうと、現物が今日はあったり明日はなかったりということでは販売を継続できない。

 裏を返せば、現在の流通業も生産者も「うまくいかない」「儲からない」というように困っている原因は、この点がまっすぐに理解されていない点にある。つまり、現在の日本の農産物流通が抱えている問題の本質は、量の安定が満足されていないという点にある。

 とは言え、多くの流通業者、生産者は、「農産物の量が安定しないのは当たり前だ」と言うだろう。だが、このような古くからの“常識”にとらわれているがために、本当に必要な技術革新への挑戦が行われないのである。

 仮に、天候などの影響によって農産物がそろう量の増減や品質のばらつきをこれまで以上に抑えることができれば、流通業は非常に助かるのである。助かるというのは、言い換えればニーズがあるということだ。このニーズは本来強く、大きい。ところが、生産者も流通業者も、はなから「それは技術的に不可能である」と考えてしまっているために、この重要なニーズに目をつぶってしまっているのである。

 まず、量を安定させるという意味、その意義の大きさを、今一度考えていただきたい。

 現状の農産物流通では、天気が悪いとモノがなくなり、天気がいいとモノが氾濫する。流通業が困るのは、このうちモノがないときである。農産物流通が払底したときには、どんなに高値でもものの確保を図る必要がある。その場合、供給を請け負っている会社は、莫大な損失を被る。供給価格は一定か大幅な値上げはできないのにもかかわらず、価格が数倍となった農産物でも確保して顧客に供給する必要があるからだ。

 しかし、小売業や外食業のチェーンストア、いわゆる大口顧客の多くは、このような危険な流通には手を出さず、農産物が不足しているというニュースが流れるようなときでも、店を閉めるということは希だ。だが、このリスクを取り、損を引き受けているところはある。すなわち、昔から農産物流通を担ってきた卸、仲卸、青果市場である。彼らが、流通量が多いときに得た利益を流通量が少ないときに放出するという形で緩衝役を果たしているために、農産物流通が何とか維持できているというのが現状である。

About 岡本信一 41 Articles
農業コンサルタント おかもと・しんいち 1961年生まれ。日本大学文理学部心理学科卒業後、埼玉県、北海道の農家にて研修。派米農業研修生として2年間アメリカにて農業研修。種苗メーカー勤務後、1995年農業コンサルタントとして独立。1998年有限会社アグセスを設立し、代表取締役に就任。農業法人、農業関連メーカー、農産物流通業、商社などのコンサルティングを国内外で行っている。「農業経営者」(農業技術通信社)で「科学する農業」を連載中。ブログ:【あなたも農業コンサルタントになれるわけではない】