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現地での取材がついにかなう

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2015年9月30日、成田発のアエロフロート261便は定刻通り13:10に成田を飛び立った。広大なロシアのウラル山脈を越えて中継地のモスクワ・シェレメチボ空港に到着するまで10時間と25分、そこからさらにハンガリーのブダペスト空港到着まで合わせれば13時間40分の長旅となる。ブダペストに到着するまでにはたっぷり時間があるから、その間に筆者と今回Food Watch Japanに連載するフルーツブランデーの関わりについて読者にお話ししておきたい。

モノも情報も少ないフルーツブランデー

 今から48年前の1967(昭和42)年に発行された「世界の酒大辞典」(稲保幸著、1967年4月、北海書房)は、スコッチウイスキーに関して有名なブランド77種類の紹介を含めて地図やイラストを交えて3ページを使って説明している。その一方で、東欧のフルーツブランデーに関してはハンガリーの「バラックパーリンカ」とチェコの「スリヴォヴィツェ」に関してそれぞれ数行の記述しかない。「バラックパーリンカ」に関しては「ワイングラスの上にレモンスライスをのせ、その上にコーヒーの粉、さらにとうがらしの赤い粉をのせてからいっきに飲みほす」という、にわかには味も想像しがたい記述もある。

 昭和の洋酒事情に関する碩学・福西英三さんが監修していた「世界の名酒事典」(講談社)ではそれより詳しく書かれているものの、内容は西欧に記述が限定されており、アルザス地方を中心にフランス、スイス、ドイツのフルーツブランデーを100本以上紹介しているものの、同じくフルーツブランデーの文化を有する東欧に関してはたった1本、チェコの「スリヴォヴィツェ」が紹介されるに留まっている(同書1991年版)。「世界の酒大辞典」から20年以上経過しても東欧のフルーツブランデー輸入事情は微動だにしておらず、そして、そこからさらに20年以上経過した現在に至るまで、さほど事情は変わっていない。

 巨大なブドウ粒のような不思議な果実がラベルに書かれたチェコの「スリヴォヴィツェ」を写真で見ながら、「この見慣れない果物で作った酒はどんな味がするんだろう?」と筆者が首をかしげていたのは、もう今から30年くらい前のことになる。

 世界の名酒事典には他にもブドウ以外の果物を使ったブランデーが掲載されていた。洋梨、すもも、あんず、さくらんぼ辺りまでなら当時の筆者でもどうにか想像がついたが、ラズベリーやブラックカーラントにまで来るとお手上げで、味の想像もできない。これらのブランデーはヘタなウイスキーより高価だったし、そもそも筆者が行くような東京の下町にある酒屋では見たこともなかった。

 同じ本に掲載されている「アプリコットの」ブランデーや「チェリーの」ブランデーという名前のリキュールは1500円内外で買えるのに、「アプリコットの」ブランデーや「チェリーの」ブランデーはどうして7000円も8000円もするのだろう。

 好奇心に駆られた筆者はそのなかで比較的安かったカルバドス(りんごのブランデー)を購入して、それまで知っていたブランデーとの味の違いに驚いた。あの頃は東京でも街の酒屋にはいっとう高い棚やガラスケースに箱入りのジョニ黒が飾ってあり、それ以外の商品のほとんどは国産品という時代だった。

 当時から海外の見慣れぬ酒や食べ物に興味があった筆者は、その頃ようやく一般庶民の間に知られ始めたチーズフォンデュを自宅でやってみようと思い立ち、さまざまな料理本を調べたことがある。詳しく書かれた料理書の一冊に「隠し味として使うキルシュヴァッサー(さくらんぼのブランデー)」が必要であると書かれており、当時アジア最大と言われる品揃えを誇っていた有楽町西武デパート地下にあった巨大な酒屋「酒蔵」で生まれて初めて現物を見たものの、余りの高額に目を剥いてとぼとぼと帰ったこともあった。

知りたい・知らせたい想いがハンガリー政府に通じた

 それから15年。縁あって筆者が洋酒関係の記事を雑誌に書くようになり、職業柄フルーツブランデーに関する情報もちらほら入ってくるようになったものの、相変わらず「スリヴォヴィツェ」、パーリンカに関する情報は入ってこない。

 フルーツブランデーを多く生産する国は中欧から東欧圏に集中している。とくに東欧はロシアとプロシア(ドイツ)という軍事強国に挟まれ、何度も戦争という巨大な鋼鉄のローラーで蹂躪されかけながらも民族固有のアイデンテイティを失うことなく高い文化を築いてきた。ショパンやバルトーク、リストやドヴォルザークといった珠玉の作曲家たちや、アルフォンス・ミュシャのようなアールヌーボーの芸術家を輩出した。“東欧”は20年以上前から筆者の秘かな畏敬の対象だった。

 そしてまた、資本主義と社会主義が対峙した東西冷戦の狭間にあって、人間らしさと自由を求めて封殺されたブダペスト蜂起(ハンガリー、1956年)やプラハの春(チェコスロヴァキア、1968年)といった苦難を「地下水道」「君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956」「存在の耐えられない軽さ」といった映画で見たことで、痛みを過去の歴史に秘める国に対する心理的な共感もあった。

 そんな国々の歴史と伝統に根差した国民酒の情報は、今まであまりにも日本では少なかった。日本の外交官と東独の反体制活動家のチェコでの出会いを描いた小説「プラハの春」(春江一也)でも重要な場面で出てくる「スリヴォヴィツェ」を初めて口にしたのは15年ほど前だったろうか。ダイナースクラブの機関誌「シグネチャー」の連載で「スリヴォヴィツェ」を取り上げたことを知る出版社の方から「石倉さん、ブルガリアの『ラキア』って酒を御存知ですか?」と聞かれてあわてて調べ、ブルガリアのラキアの他にルーマニアでは「ツィカ」と呼ばれるフルーツブランデーがあることもそのとき知った。

 調べれば調べるほど、東欧(現在は中欧と呼ばれている)のフルーツブランデーの種類と文化は広いことがわかるが、日本には並行輸入物がスポットで業務用酒販店に入ってくるばかりで、パーリンカに関しても「スリヴォヴィツェ」に関しても洋酒関連の事典ではわずか数行の記載に留まり、業務用酒販店を知らない一般の人々が接する機会はハンガリー料理店やブルガリア料理店しかない。普通の日本人がどれだけこういった料理店に足を運ぶだろう?

 そんなギャップを埋めてみたい。とくに二大産地であるハンガリーかチェコに直接赴き、この目でその製造現場を見てみたい。そんな思いがハンガリー政府観光局に通じた。国際食品見本市FOODEXで知り合った通訳嬢の地道な交渉でようやくハンガリー政府のパーリンカ広報担当者と直接やりとりができたのは、出国の一週間前だった。

ブダペスト

成田から16時間ぶりの一服。

成田から16時間ぶりの一服。

 2時間たっぷりあったはずのトランジットだったが初心者の悲しさで乗り場確認に手間取り、ブダペスト行きの窓口に並んだのは15分前だった。巨大なシェレメチボ空港からブダペスト便が飛び立つと、人生で見たなかでもっとも美しい夕焼けが筆者をまだ見ぬ東欧にいざなってくれる。

 口の中をピリピリと刺す忌々しいニコチンガムを噛み続けて13時間と40分。アエロフロート機はブダペスト空港に到着した。通訳嬢からはバスと地下鉄の乗継でホテルに来ることを勧められていたが、子供が入りそうなほど大きなスーツケースを抱えて初めて訪れた国のホームで右往左往しながら公共の交通機関に乗るのもしんどい。値段はいささか張るものの、ホテルまで直接運んでくれる乗合ワゴンを使うことに決めていた。チケットを買って出発時間を確認し、ベンチと机だけの寒々しい喫煙所で16時間ぶりのハイライトを深々と吸い込んだ。ここはもうブダペストだ。

車中から見たブダペスト最初の景色。

車中から見たブダペスト最初の景色。

執筆者

石倉一雄
石倉一雄
Absinthe 研究/洋酒ライター いしくら・かずお 1961年北海道生まれ。周囲の誰も興味を持たないものを丹念に調べる楽しさに魅入られ、学生時代はロシアの文物にのめり込む。その後、幻に包まれた戦前の洋酒文化の調査に没頭し、大正、明治、さらに江戸時代と史料をあたり、行動は図書館にバーにと神出鬼没。これまでにダイナースクラブ会員誌「Signature」、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)に誰も知らない洋酒の話を連載。研究は幻の酒アブサン(Absinthe)にも及び、「日経MJ」に寄稿したほか、J-WAVE、FM静岡にも出演。こよなく愛する酒は「Moskovskaya」。