改めて「価格競争からの脱却」を目指して(2)価格競争時代の背景

価格競争からの脱却
価格競争からの脱却を目指す10の作戦
価格競争からの脱却
価格競争からの脱却を目指す10の作戦

先にも触れたが、1960年代は全体的に見れば「よいものを作りさえすれば売れた時代」で、低価格競争に打って出る企業はあっても社会全体の趨勢として定着してはいなかった。現在のような「低価格競争から脱却できない」厳しい状況とは違ったのである。

 私の記憶としては、むしろ「新製品の販売開始は価格の引き上げを意味する」ということが社会的に受け入れられる、インフレ的なムードがあった。恵まれていた時代だったのである。

バブル崩壊

 その後、幾度かの景気後退や二度のオイルショックといった危機はあったものの、景気とはおおむね「循環するもの」と了解されてきた。状況が大きく変わったのは1990年代の始めである。

 1990年の年初は、統計的にも好景気と呼ばれる状況が示されており、世の中では“平成景気”と呼ばれ、未だに好景気時代が継続していると認識されていた。ところが、早くも同年10月には「バブル崩壊」が統計数字に見られるようになった。ここから経済の実態を上回る行きすぎた投機的な要素等がこの時点で突然に臨界点に達したかのように景気は失速する。

 それでも最初の頃は、その異変の衝撃を直接的に受け、ことの重大さを痛感しているのは金融業や不動産業等、一部の業種に限られていた。ところが、遅れて1992年の連休明け頃からは、一般の生活の中でも強烈な景気悪化が体感されるようになり、「バブル崩壊」は社会一般が実感するところとなった。

 以降、「失われた10年」さらに「失われた20年」と呼ばれる期間に突入し、戦後の日本経済の発展の中で深く沈澱していた毒が舞い上がるように、多様で深刻な経済問題が続々と表面化していった。地価・住宅価格の下落、不良債権の拡大、大手の金融機関の破綻、メインバンクの喪失、貸しはがし、貸し渋り、企業の金融評価の引き下げ、海外からの撤退、会社資産の売却、土地評価方法の変更などなど。

賃金・雇用の回復ないままのリーマン・ショック突入

 それまで先進的な優等生であった日本は、一転して未曾有の、行く先の見えない暗黒時代に呑み込まれたのだ。

 そしてこの間に、企業間の競争は価格中心に行われるようになっていった。

 このような経済悪化は、当然に雇用情勢の不安定化をもたらした。リストラすなわち首切り、労働の派遣への切り替え、アウトソーシング化によるコストカットなどにより、雇用は崩壊した。失業率は1992年から上昇に転じ、2002年には史上最高の5.4%に上昇した。一方でベースアップの停止はおろか、賃金カットも一般化した。

 国民所得は減少し、これが消費支出の動向に大きな変動をもたらした。すなわちデフレに陥り、生活者の消費支出は一層縮小していく。

 その後、バブル崩壊後の政策的な金融・財政・経済の諸政策で、極めて低レベルながらかろうじて成長率は維持するようになった。ちなみに、1991年から2010年までの日本の経済成長率は平均で年率僅かに0.9%である。ところが、2008年に至って、バブル崩壊以前の活力をとり戻せないままアメリカ発のリーマン・ショックによってさらに大きな打撃を受けた。

国際市場での敗退

 ところで、バブル崩壊の時期は国際的には、1991年末の旧ソ連邦の崩壊後、世界市場におけるアメリカの影響力が経済分野でも著しく強まり、アメリカ主導による経済のグローバル化が進んだ時期である。日本がそれに対する変化対応に立ち遅れている間に、東南アジア諸国の経済発展は目覚ましく、とくに中国、インド、ブラジル、ロシア、韓国等は質・量ともに飛躍的に経済力を向上させた。

 日本はそれまで“ロボット+低賃金”で国際競争に打ち勝って来たが、発展した新興諸国にコスト・価格ではとても勝てない状況になっていった。そのため、低コスト・低賃金の生産を求め、また市場を求め、日本企業の海外進出は進んだが、同時に日本における産業の空洞化と雇用環境の悪化も一層進んだ。

 国際的に地盤沈下する日本では、内政面でもバブル後一気に多方面で噴き出した社会問題は、日本人の所得を減らしただけでなく、世界に誇ったソーシャルセーフーティネットワークは、制度的にも現実の経済的保証としてもほころびを見せた。加えてバブル崩壊前後から表面化していた「フリーター」「ニート」問題など、若い世代の問題までを浮き彫りにし、委縮し、閉塞感に閉ざされた社会が到来し、市場の購買力を一層低下させた。

 これが今日の価格競争の背景である。

奥井俊史
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アンクル・アウル コンサルティング主宰 おくい・としふみ 1942年大阪府生まれ。65年大阪外国語大学中国語科卒業。同年トヨタ自動車販売(現トヨタ自動車)入社。中国、中近東、アフリカ諸国への輸出に携わる。80年初代北京事務所所長。90年ハーレーダビッドソンジャパン入社。91年~2008年同社社長。2009年アンクルアウルコンサルティングを立ち上げ、経営実績と経験を生かしたコンサルティング活動を展開中。著書に「アメリカ車はなぜ日本で売れないのか」(光文社)、「巨象に勝ったハーレーダビッドソンジャパンの信念」(丸善)、「ハーレーダビッドソン ジャパン実践営業革新」「日本発ハーレダビッドソンがめざした顧客との『絆』づくり」(ともにファーストプレス)などがある。 ●アンクル・アウル コンサルティング http://uncle-owl.jp/