IX ジントニックの現在・過去・未来(9)

洋酒文化の歴史的考察
洋酒文化の歴史的考察

戦後になっても日本ではほとんど知られることのなかったジントニックを、若者が口にするスタイリッシュなカクテルに持ち上げた二人の作家とは、片岡義男と山田詠美である。

1980年代の若者文化に含まれたジントニック

 さまざまなカクテルを若い男女の会話の小道具にした片岡義男の「湾岸道路」(1982年)、山田詠美の「放課後の音符」(1989年)に、ジントニックはオシャレなカクテルとして描かれた。片岡の場合、他の作品でもジントニックはしばしば顔を出している。

 これらを読んだ若者たちが、バーに行くとジントニックを注文し始める。1970年代から、ようやくフレッシュライムが日本でも入手できるようになっていたことも功を奏した。

 すでに1980年代にはジンフィズで日本人はジュニパー香への抵抗がなくなっており、トリスバーでジンフィズを飲んで成長した父親の子供たちが、カフェバーの時代に行くようになる。その世代交代の過程で、旧来のカクテルにはない新しいものを求めていた若者たちにとって、バーで背の高いコリンズグラスに入って出てくるジントニックとライムの鮮やかなグリーンは鮮烈だった。

 こうして、イギリス人がジンをインドに持ち込み、南米由来のキナがスペインによって発見された後、オランダによってジャワ(インドネシア)に持ち込まれ、それをマラリア予防に使っていたインドで誕生する……という稀に見る歴史的エピソードと地域的広がりを経て誕生したジントニックは、ジンとトニックという別々の飲料として日本に幕末から入っていたものの、これがジントニックとしてバーの定番カクテルに収まったのは1980年代の若者文化がきっかけだった……今までの話を簡単にまとめるとこういう形になる。

ジントニックの進化へ

 それでは、これからジントニックはどこへ行こうとしているのだろう。

 2012年11月、浅草のアサヒビール本社で新しいジンの試飲会が行われた。集まったのは、都内でも酒にうるさいお客が集まるバーの研究熱心なバーテンダーたちが二十数名。メディアの出入りも制限付きの会場で新たに発売された「ジントニック用に開発されたジン」の製造工程が説明された。

 このジン「シップスミス VJOP ロンドンドライジン」の特徴はまずはその値段で、3840円と通常のジンの倍以上することだったが、さらに驚いたのは10種類の使用ボタニカルを産地と共に明らかにしていることだった。1987年に発売された新興ブランドながら、同じく10種類のボタニカルを公表して驚く世間を尻目にゴードンやビフィーター、タンカレーといった重鎮を相手に販売量を伸ばし、現在では筆者の地元のスーパーの酒売り場にまで進出してきたボンベイ・サファイアと併せて考えるとき、原材料の公開は新しい時代のトレンドなのかもしれない。

 この席で、「シップスミス VJOP ロンドンドライジン」を輸入するウィスク・イー CEOのデービッド・クロール氏に話をうかがったのだが、特徴的だったのは味を変えることを前提に日本の輸入代理店が企画立案したジンだということだった。同社は同じブランドですでに41.6度のロンドンドライジンを販売しているが、日本で圧倒的に消費量が多いジントニック向けに新たな商品を彼が製造元に提案してこの商品が誕生したと言う。

 そして、この商品の最大の特徴は、その日集まったバーテンダーから上がった意見をロンドンのシップスミス社にフィードバックすることによって度数やボタニカルの種類とスティープ(浸漬)の量や時間を見直していくという新たな試みだった。1回の蒸溜で300本という小ロット生産の強みを生かして、メジャーブランドに対抗していくと言う。

 ミキシングを念頭に置いて作りながら、通常のジンを遙かに超える価格設定が可能なのか。需要者からのフィードバックという新しい試みははたして市場の評価を勝ち取ることができるのか。2012年に発進したジントニックの未来に向けた彼らの問いかけを結びに、本シリーズを締めくくることとしよう。

ロンドンドライ・ジンのボタニカル

ボンベイ・サファイア シップスミスVJOP
ジュニパーベリー イタリア マケドニア
アンジェリカ ザクセン(ドイツ) フランス
アーモンド スペイン スペイン
レモンピール スペイン スペイン
オレンジピール スペイン
オリス イタリア イタリア
コリアンダー モロッコ ブルガリア
リコリス 中国 スペイン
カシア(桂皮) インドシナ 中国
クペバ(※1) ジャワ
シナモン マダガスカル
ギニア・グレインズ(※2) 西アフリカ

※1 ボンベイ・サファイアの資料では「クペバ」と表記されるが、通常は「クベバ」。香りはコショウよりもオールスパイスに近い。エッジの立った辛さが特徴で、日本でも入手可能なエストニアのウォッカ「VIRU VALGE」(ヴィル・ヴァルゲ)のラインナップであるペッパー&ソーダにもインドネシア産のクベバが使用されている。

※2 ギニア・グレインズはメルグエッパ/ギニア・ショウガ/グレインズ・オブ・パラダイスといった別名がある。「アマンダの恋のお料理ノート」(アマンダ・ヘッサー著、渡辺葉訳、集英社)というアメリカの料理本で多用されており、単体での入手は日本では難しいが、「エレメンツ・オブ・スパイス」シリーズのミックス香辛料「グレインズ・オブ・デザイアー」に含まれており、こちらは日本でも入手可能だ。(石倉調べ)

About 石倉一雄 129 Articles
Absinthe 研究/洋酒ライター いしくら・かずお 1961年北海道生まれ。周囲の誰も興味を持たないものを丹念に調べる楽しさに魅入られ、学生時代はロシアの文物にのめり込む。その後、幻に包まれた戦前の洋酒文化の調査に没頭し、大正、明治、さらに江戸時代と史料をあたり、行動は図書館にバーにと神出鬼没。これまでにダイナースクラブ会員誌「Signature」、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)に誰も知らない洋酒の話を連載。研究は幻の酒アブサン(Absinthe)にも及び、「日経MJ」に寄稿したほか、J-WAVE、FM静岡にも出演。こよなく愛する酒は「Moskovskaya」。