IX ジントニックの現在・過去・未来(1)

ボルス社のジュネバ「Oude」
古い酒を置いてあるバーで見つけたボルス社のジュネバ「Oude」

ジントニックについて、これが生まれてからの歴史と、現在そしてこれからについて書いていく。まずはジンの発祥からご紹介するのだが、国内にその資料が少ないことからお伝えしなければならない。

国内にジンの資料は見当たらない

 日本ではあらゆる洋酒に関する情報が豊富であるように見えるが、実際にはまだまだ知られていないことが多い。そう言うと本屋に並ぶワインやビール、ウイスキーの本を思い出して意外に思う方も多いだろう。しかし、この3つを除いた洋酒に関する資料は、驚くほど少ないというのが現状だ。

 2008年に立ち上げられた日本テキーラ協会の林生馬氏が今年の7月に「テキーラ大鑑」(廣済堂出版)を出すまでテキーラの専門書はなかったし、今年日本ラム協会が立ち上がったばかりのラム酒に関しても日本での普及活動はようやく端緒についたばかりという事情がある。筆者が好むウォッカに関してもスタルカというウォッカの輸入代理店の社長の遠藤洋子氏の「いまどきロシアウォッカ事情」(東洋書店)を挙げることができるばかりで、ジンを単独で採り上げて詳述した専門書は国内には見当たらない。

 海外ではワインやウイスキーは言うに及ばず、ブラディ・メアリー(ウォッカをトマトジュースで割ったカクテル)のことだけを書いた本や、マティーニに1滴しか使わないビタースのことを延々200ページにわたって書いた本まであるのだが、日本の洋酒事情は一般の方々が想像する以上に一極集中型で、決して裾野が広いわけではないのだ。

 そのような事情から、ジンとトニックの日本における歴史に筆を進める上では、拙稿も「Classic Gin」(ジェラルディン・コーテス著)からの引用が多くなることを予めお断りしておく。

フランダースはジンの揺りかご

 さて、資料に関する愚痴はこのへんにしておいて本題に戻ろう。

 日本ではジンと言うとイギリス、少し詳しい方でオランダのことを思い出すはずだが、拙稿はフランドル(現在のベルギー・オランダ・北フランスにまたがる地域)という意外な場所から始まる。児童文学の名作、いや放映から30年以上が経過した今なおアニメーションの名作として語られる「フランダースの犬」の舞台である。

 14世紀にヨーロッパで猛威を振るったペスト(黒死病)はもちろんフランドルも襲った。そこでペスト対策に有効だとしてジュニパーベリー(杜松子)が飲料に使われたことが記録されている。これに13世紀に確立した蒸留法によるアルコールを加えたのが、フランス・アンリ4世の息子だった。やがて「ジュニパーの香りを加えたアルコール」は「貧しき人々の酒」と呼ばれるようになっていく。前回の拙稿と比較すると、いささか固い話になってしまうが、それもそのはず、ジンはビタースと同じく香りと言うよりは薬効の必要性から誕生した酒だからだ。

 錬金術から始まった蒸溜の世界は、ブランデーやウイスキーという“味”を主眼とする技術革新に向かう前は、薬として広がっていったのだ。化粧品を使う女性には周知の事実だが、地球上に存在するさまざまな天然由来の成分を液体に移し取ろうとする場合、水には溶けないがアルコールには溶けるという成分があるため、素材をクリームや化粧水に用いる際にアルコールが使われることが多い。

 以前、栄養ドリンクを1日に何本も飲んで働いていた真面目なドライバーが事故で亡くなったときに、血中から微量のアルコールが検出されたことで酔っ払い運転が疑われ裁判で争われたことがある。市販されている栄養ドリンクには微量のアルコールが含まれていることがあるのだが、これももちろん、栄養ドリンク利用者を酔っぱらわせるためではなく、水では抽出できない成分をドリンクにするためにどうしても必要だからということになる。

 15世紀にはフランドルで蒸留酒にジュニパーの香りを加えて飲むことが一般的になっていた。蒸溜に際して生じるフーゼル香と呼ばれる異臭を抑える効果もあって、蒸留酒とジュニパーの組み合わせはヨーロッパに広がっていく。

 そして、日本の勉強熱心なバーテンダーが「氷のカール・フォン・リンデ」と併せて覚えている「オランダ・ライデン大学のシルビウス教授」が、1572年に登場し、現在我々が飲んでいるジンの原型となるジュネバ(Jenever)の製法が確立する。

 ジェラルディン・コーテス氏によれば、もともとフランドル発祥だったジュネバがフランドルではなく、最初にオランダで有名になったのは、当時オランダが飛ぶ鳥を落とす勢いを持つ先進国だったのが主な理由だという。世界に向けて毎日のように船出していく交易品を満載した船では、乗組員たちが薬用と作業の合間の休憩用を兼ねてジュネバを船に積み込んでいた。だから、世界中の寄港地で“ジュネバ=オランダの酒”という宣伝の役割も同時に兼ねていたことになる。

復刻ジュネバの記憶

ボルス社のジュネバ「Oude」
古い酒を置いてあるバーで見つけたボルス社のジュネバ「Oude」

 と、書き進めながら、自分がジンと正面から向き合ったことがなかったことを改めて思い出した。個人的に好きな酒であるウォッカには思い入れのあるブランドがいくつもあるのだが、ことジンに関しは、ブランドごとの味の方向性は前回書いたようにある程度イメージできるものの、筆者もジンに関する経験値がさほど高いわけではない。書くからには読者が知らない話や未知の経験を伝えねばならないのだが、それがないのだ。

 来月出版される書籍の原稿に時間を取られていた、などと言い訳をしていても始まらないので古い酒を置いているバーに話のタネを探しに出かけてみた。

 バックバーに最近見かけることのなかった懐かしい瓶がある。この手の陶器瓶はオランダのジュネバとドイツのシュタインヘーガー辺りで昔はよく見かけたものだが最近はめったに見かけなくなったな……などと思い出しつつ頼んでみた。

 筆者は以前、デカイパーだったかボルスだったか覚えていないのだが、昔の瓶のデザインと味を再現した「復刻ジュネバ」を飲んでみたことがあるのだが、現代人の口に合うとはちょっと言えなかった記憶がある。

 そのことを思い出しつつ、恐る恐る口に運んでみると、オーデ(※)特有のジュネバと砂糖の甘みは、かなり前に開封されていて枯れていたせいか、イメージしていたほど強くなかった。アルコール度数は37.5度と表示されているのだが、今は日本酒と同じくらいもあるだろうか。なんと言うか、昔はモダン・ガールとして丸の内を肩で風を切って歩いていた女性が年を経て孫と戯れる可愛いおばあちゃんになった、そんな感じの優しい味だった。

 次回は、フランドルで誕生し、オランダで地歩を築いたジュネバがイギリスに渡ったあたりから話を続けることにしたい。

※ Oude。同じジュネバの中でも、香りや甘味が軽いヨンゲ(jonge)や樽熟成させたコレンヴィン(korenwijn)とは区別されるクラシカルなタイプ。

About 石倉一雄 129 Articles
Absinthe 研究/洋酒ライター いしくら・かずお 1961年北海道生まれ。周囲の誰も興味を持たないものを丹念に調べる楽しさに魅入られ、学生時代はロシアの文物にのめり込む。その後、幻に包まれた戦前の洋酒文化の調査に没頭し、大正、明治、さらに江戸時代と史料をあたり、行動は図書館にバーにと神出鬼没。これまでにダイナースクラブ会員誌「Signature」、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)に誰も知らない洋酒の話を連載。研究は幻の酒アブサン(Absinthe)にも及び、「日経MJ」に寄稿したほか、J-WAVE、FM静岡にも出演。こよなく愛する酒は「Moskovskaya」。