ユネスコ無形文化遺産に値する料理

売上げの伸びないハーレーダビッドソンのブランドを建て直し、日本で最も売れるオートバイに返り咲かせた立役者、アンクル・アウルこと奥井俊史氏が、食ビジネスを新しい視点で観察し、提言します。今回は「フランスの美食料理」ほかがユネスコ無形文化遺産に選ばれたことから、料理の文化的価値を考えます。

フレンチはじめ三つの食が無形文化遺産に

 旧聞に属する話だが、2010年11月16日、ユネスコ(UNESCO/国際連合教育科学文化機関)は、「フランスの美食料理」(The gastronomic meal of the French)を無形文化遺産として登録することを発表した。このとき同時に、「伝統的メキシコ料理――古来から継続するコミュニティ文化、ミチョアカン州のパラダイム」(Traditional Mexican cuisine – ancestral, ongoing community culture, the Michoacan paradigm」「北クロアチアのジンジャーブレッド細工」(Gingerbread craft from Northern Croatia)が登録されたが、「食」に関する文物が無形文化遺産として登録されたのは今回が初めてである。

 ユネスコの無形文化遺産とは、2003年にパリで作成された「無形文化遺産保護条約」の第2条で定義された事柄を根拠に選択、登録がされているものだ。定義を写し取ると、無形文化遺産は「慣習、描写、表現、知識及び技術並びにそれらに関連する器具、物品、加工品及び文化的空間であって、社会、集団及び場合によっては個人が自己の文化遺産の一部として認めるものをいう」ということなので、人がすることであれば何でも該当しそうだが、そうではない。定義はさらに続き、「世代から世代へと伝承され、社会及び集団が自己の環境、自然との相互作用及び歴史に対応して絶えず再現し、かつ、当該社会及び集団に同一性及び継続性の認識を与えることにより、文化の多様性及び人類の創造性に対する尊重を助長するものである」とある。つまり、人から人に伝えられ、いつでも同じように作られたり表現されたりするもので、その社会のアイデンティティであり、人間の素晴らしさを謳うものである。しかも、「条約の適用上、無形文化遺産については、既存の人権に関する国際文書並びに社会、集団及び個人間の相互尊重並びに持続可能な開発の要請と両立するものにのみ考慮を払う」とあるから、人類の名誉に資するものだけということになる。

 すでに多数の無形文化遺産が世界各国に登録されている。日本の文物で登録されたものは18件に達するが、例を上げれば、2001年には「能楽」が、2003年には「人形浄瑠璃文楽」が、2005年には「歌舞伎」が登録され、2010年度には「結城紬」も登録された。

 登録された他の国々の文物で、われわれになじみのありそうなものを書き出してみようとしたが、全体の登録件数が多い割には、なかなか身近に感じる文物は少ない。浅学非才な私が名称を見ただけで具体的にイメージできたものは、中国の「京劇」ぐらいであった。これですら、2010年になってようやく登録されたものだ。

優れた文化的背景を持つ料理は他にも

 ともあれ今回認定された「フランスの美食料理」以下3件は、料理として、また食文化としては初めてのことである。

 今回「フランスの美食料理」が認定された理由は、「複数の料理のコースからなり、作法や趣向も重んじられているフランスの美食料理は、『集団や個人の人生にとって最も大切な時を祝うための社会的習慣であり、無形文化資産としての条件を満たしている』と判断された」からとのことだ。

 個人的には、フレンチのフルコースの濃密さは、今日の私の胃袋にはいささか負担が重い。それでもいま少し若かりし頃は、日本でもフランスでも、いくつかの星の輝く店でフレンチを楽しんだ。ヌーベル・クイジーヌの前と後の違いも、実際に見て味わって両方を記憶することができた。その体験から、フレンチは単にうまいものを食べるという即物的なものではなく、食事が大切なイベントとして認知され、扱われていることはよくわかる。シチュエーションから、一品ごとにも全体にも、細やかに心を行き届かせて用意するフレンチは、まさに文化であるという判断に全く異論はない。これが無形文化遺産に認められたことは、人類にとってたいへん意義深いことだ。

 とはいえ、同様の文化はフランスに限らずヨーロッパ各国にもある。食卓を囲んで家族や友人たちがゆっくりと流れる時間を楽しむ「テーブル文化」とでも言うべき習慣が、各国それぞれに存在するのだ。「フランスの美食料理」の登録は、そうしたテーブル文化の代表とされたと見てもいいだろう。

 テーブル文化と言えば、もう一つ思い出されるのは中国料理だ。円卓を囲んで、飲み、語らいながら、千変万化の趣向を凝らした山海の珍味を味わうそれは、フレンチに比べて大いに賑やかなものだ。

 多くの国々の食事では、談笑の部分を除けば、聴覚に働きかける仕掛けは概して控え目なものだ。むしろ、音を立てることは無作法とする文化圏も少なくない。ところが中国料理では、食べる楽しみをさらに豊かにする重要なスパイスとして、あえて「杯子」と呼ばれるカップを打ち合わせる。互いが知人・朋友になった喜びを確認し合う儀式として、あるいは共にテーブルを囲む仲間の吉事にはっきりと祝意を表すために「乾杯」することを重要な慣習として取り入れた。

 もちろん、ここでも食事を通して人と人のつながりが深められていく。かつて皇帝や高官、多くの文人墨客たちが育んできた、食を囲む豊かな歴史と文化が確実に存在する。少なくとも今のフランスの美食料理よりはるかに長い歴史を持ち、悠久の時間の中で熟成されてきた中国の宴席料理が、無形文化遺産に登録される時はいつ訪れるのだろうか。

日本料理こそ無形文化遺産登録へ

 さて、そうして見てくると、忘れてならないのは日本料理だ。中国にはおよばないとしても、これまたフレンチに比べて遥かに長い歴史を持つ。

 この料理では、変化に富む日本の四季折々に旬の食材を選び、素材に別な味を与えるのではなく、そのものが持つ特性をそのままに引き出しながら、日本人独特の繊細さを表現する。その包丁さばき、熱の加え方、芸術的な盛り付け。

 それを楽しむ場は、テーブルという上半身に限定された空間ではなく、より広い場として設えられた座敷であり、主も客も料理も同じレベルに座する形になる。そこへ、宮廷文化、武家文化、仏教文化を手本とした独特の心の通わせ方を持つ人同士が相まみえ、料理、酒、室内外の景色、香り、温度、そして会話を楽しむ。

 厨房へ目を転ずれば、和包丁はまた、諸外国の刃物とは異なる背景と構造を持つ。高級なものでは、日本刀づくりに使われるのと同じく、砂鉄を用いるたたら製鉄で得る和鋼を使用する。そのような包丁は、今や「料理人」と呼ばれるようになった職人たちの、その道を極めようとする求道精神を表現するものの一つとなっており、よい包丁を持つこと自体が職人としての大きな誇りになっている。切れ味の冴えを求める姿は武士の刀に対する感覚に通じるものさえある。

 このように料理作りでも「道」を求め、自己の技術とセンスを極めるのが日本の職人だ。彼らの働きから、食事の場までのすべてを見渡せば、日本料理はさながら総合芸術と呼ぶにふさわしいものだ。これだけトータルな独自性を持ち、日本人のアイデンティティとなり、人間のある種の到達点を示す日本料理の世界は、間違いなく無形文化遺産にふさわしい。

 なかでも、懐石となればある頂点をなすと言っていいだろう。これは、やはり日本の伝統的文化である茶道で、茶会を開く主人自らが見立てて厳選した旬の素材を用い、趣向を凝らして料理し供するものだ。

 料理だけでなく、茶会の別な意味での主人公、茶そのものも驚くべき文化と言えるだろう。欧米にはワインの選び方、供し方、飲み方まで細かな知恵と作法があるが、茶道の茶はそれに匹敵するか凌駕する知恵と作法を持つ。茶の飲み方だけでなく、点茶の前後のすべての所作に意味が込められ、詳細な様式美がある。

 この茶道、懐石の背景には、思想としても作法としても、禅と武道に由来する武士道が横たわる。うきよ(浮き世、憂き世)あるいは戦乱の中、ある日の語らいのを「一期一会」と理解し、全精魂を傾けてもてなし尽くしす。そのもてなしには、口に入れるものだけでなく、建築、華道、書画骨董、造園の知識にまでおよび、さらに季節と自然さえ生かしきる。これが「人類の創造性に対する尊重を助長するもの」かつ「相互尊重並びに持続可能な開発の要請と両立」でなくて何であろう。

 日本料理の無形文化遺産への登録が、一日も早からんことを願う次第だ。

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アンクル・アウル コンサルティング主宰 おくい・としふみ 1942年大阪府生まれ。65年大阪外国語大学中国語科卒業。同年トヨタ自動車販売(現トヨタ自動車)入社。中国、中近東、アフリカ諸国への輸出に携わる。80年初代北京事務所所長。90年ハーレーダビッドソンジャパン入社。91年~2008年同社社長。2009年アンクルアウルコンサルティングを立ち上げ、経営実績と経験を生かしたコンサルティング活動を展開中。著書に「アメリカ車はなぜ日本で売れないのか」(光文社)、「巨象に勝ったハーレーダビッドソンジャパンの信念」(丸善)、「ハーレーダビッドソン ジャパン実践営業革新」「日本発ハーレダビッドソンがめざした顧客との『絆』づくり」(ともにファーストプレス)などがある。 ●アンクル・アウル コンサルティング http://uncle-owl.jp/