「風立ちぬ」を彩る食べ物たち

サバの骨
二郎は本庄にサバの骨の美しさについて語る

今回は現在公開中のアニメーション映画「風立ちぬ」でちょっと気になった食べ物を取り上げていく。

堀越二郎と堀辰夫

 すでにご存知の方が大半とは思うが簡単に作品の概要に触れておくと、「風立ちぬ」は「崖の上のポニョ」(2008)以来5年ぶりとなる宮崎駿監督作品。関東大震災から太平洋戦争に至る日本を舞台に、海軍の主力戦闘機になった零戦を設計した実在の人物・堀越二郎の生涯に焦点を当てる航空機の開発物語に、同世代の作家である堀辰夫の同名小説の要素も加えたフィクションである。

 主人公・二郎の声優に「新世紀エヴァンゲリオン」シリーズ(1995~)の監督で「風の谷のナウシカ」(1984)では巨神兵の作画を担当した庵野秀明を起用し、主題歌に荒井由美(現・松任谷由美)の初期のヒット曲「ひこうき雲」を「魔女の宅急便」(1989)の「やさしさに包まれたなら」に続いて使ったことでも話題となっている。

鯖の味噌煮と肉豆腐

サバの骨
二郎は本庄にサバの骨の美しさについて語る

 東大で航空工学を学ぶ二郎は、少年時代から空を飛ぶ夢に取り憑かれていて、イタリアでユニークな航空機を次々に設計したカプローニ伯爵と空想の世界で時空を越えた邂逅を果たしていた。

 寝ても覚めても飛行機のことしか頭にない彼は、食に対しては無頓着で、食堂ではいつも鯖の味噌煮定食しか頼まず、友人の本庄から「二郎、また鯖か。マンネリズムだ。大学の講義と同じだ。列強はジェラルミンの時代になってるんだ。たまには肉豆腐でも食え」と批判されるがどこ吹く風で、鯖の小骨の曲線の美しさに感動し、同じ曲線の翼断面がNACA(アメリカ航空諮問委員会)の規格にあることを発見して「アメリカ人も鯖を食べるのかな」と喜んでいる始末。

 そしてこの鯖の骨は後の二郎の飛行機の設計に多大な影響を与えることになるのである。

 このシーンに登場する本庄季郎も実在の人物がモデルで、後に二人は航空機メーカーの三菱内燃機製造(現・三菱重工業)に航空技師として共に入社し、同期のライバルとして切磋琢磨することになるのだが、本庄がドイツのユンカース社で学んだ技術を生かして九六式陸攻、一式陸攻といった重量級の陸上攻撃機の設計を得意としたのに対し、二郎はカプローニのような自由な発想で零戦に代表される軽量化と空気抵抗の軽減を追求した戦闘機の設計にその才能を発揮した。そのことが、何か鯖の味噌煮と肉豆腐という二人の食の嗜好と比例しているようで興味深かった。

謎の菓子「シベリア」

シベリア
シベリア。カステラの羊羹サンドである

 この映画で一番気になった食べ物は、二郎が仕事帰りの夜に下宿近くの駄菓子屋で買い求めた「シベリア」という菓子である。これを彼は夜道で親の帰りを待つ貧しい姉弟に与えようとする。子供ながらにプライドを傷つけられた姉の耐える表情と物欲しそうな弟の視線の動き、それを姉が制して逃げるように立ち去るシークエンスの見事さは宮崎演出の面目躍如である。

 この話を聞いた本庄は二郎が下宿に持ち帰ったシベリアを二人で食べながら彼の行為を偽善だと断じ、軍用機開発の予算で日本中の子供に毎日シベリアを食わせてもまだお釣りがくるという現実と、そうした矛盾を抱えながらも俺は与えられた飛行機作りのチャンスを無駄にはしないと話すのだった……。

 シベリアはカステラで羊羹をサンドイッチにした菓子で、1916年創業の横浜のコティベーカリー(※1)によると、明治後半から大正初期当時のパン屋でパン焼き窯の余熱を利用して焼いたカステラと、アンパンに使う餡を使って作られたのがはじまりとのことである。しかし、製造に手間と時間がかかることから次第に店頭から姿を消し、現在では一部の老舗のベーカリー等が取り扱っている程度という。名前の由来は羊羹部分が雪原を走るシベリア鉄道に見えるからとか、カステラと羊羹の断面がツンドラの地層に見えるからとか諸説あるが、実際のところは不明の謎の菓子である。

 映画を観てどうしても食べたくなってしまい取り寄せて試食してみたところ、カステラを使った菓子としてはどら焼きや人形焼よりも愛媛県松山の郷土菓子である一六タルトに近い食感であった。いずれにしろ、映画の時代背景である昭和初期の子供たちにとっては憧れの菓子であったことだろう。

ベジタリアンの“スパイ・ゾルゲ”

カストロプ
山盛りのクレソンサラダを食べるカストロプ

 二郎は初めて設計を任された七試艦上戦闘機のテスト飛行に失敗し、傷心を癒すため単身初夏の軽井沢へ避暑に訪れ、偶然にも関東大震災の時に出会った女性・里見菜穂子と再会を果たす。

 この辺りから映画は堀辰夫の小説の結核に冒された恋人との悲恋物語の色合いが強くなっていくのだが、そこに登場するのが、小説「風立ちぬ」とは“避暑地と結核”という共通項を持つトーマス・マンの小説「魔の山」の主人公と同じ名前(恐らく偽名)を持つ謎のドイツ人・カストロプである。彼が二郎と菜穂子の滞在する草軽ホテルのレストランで、二人が視線を交わす間のテーブルで山盛のクレソンのサラダを草食動物の如くむしゃむしゃ食べる姿はどこかユーモラスに映る。ステーキ等の付け合わせに使われることの多いクレソン(オランダガラシ)は、ヨーロッパ原産の外来種が野生化したもので、軽井沢の清流で採れるクレソンのサラダは多くの地元レストランの名物メニューになっている。

 彼はその後も二郎と菜穂子の紙飛行機でのやり取りに割り込んだり、二郎のプロポーズのきっかけを作ったり、ピアノの弾き語りで映画「会議は踊る」
(1931)の主題歌「ただ一度だけ」を歌って祝福するなど二人の恋のキューピッド的な役割を果たすのだが、その裏では二郎を軍用機の設計技師と言い当て、ナチズムの台頭するドイツと大陸に進出する日本への危惧を語ったり、各国の要人が滞在するホテルで何事かを工作しているように見える姿は、戦前の日本で最大規模のスパイ事件となったゾルゲ事件の首謀者であるソ連のスパイ、リヒャルト・ゾルゲを思わせるものがある。そして彼と関わった二郎もまた特高(特別高等警察)にスパイ容疑をかけられマークされてしまう……。

喫煙騒動に一言

 最後に、現在巷間を賑わせている喫煙シーン騒動について申し添えておきたい。

 これは特定非営利活動法人日本禁煙学会が8月12日に映画「風立ちぬ」制作担当者に対して送付した要望書(※2)に端を発するもので、この映画での喫煙シーンの多さが「タバコ規制枠組み条約」や「未成年者喫煙禁止法」に違反するとして法令を遵守した映画制作を求めたことを発端に、賛否両論が巻き起こっているというものである。

 映像作品等へのこうしたナンセンスな指摘は今回に始まったことではないのでとくに驚くこともない。しかし、インターネット上のサービスの発達した現代においては表現規制の動きが従来の当局や業界内の自主規制(日本で公開される映画の場合は「映倫」がこれに当たる)にとどまらず、たとえばツイッターのちょっとしたつぶやき等がきっかけになることもあり得るため、映画を擁護する側の一人としては今後の動きを注視していきたいと思っている。

※1:コテイベーカリー「シベリア物語」
http://www.geocities.jp/coty_bakery/

※2:日本禁煙学会「映画『風立ちぬ』でのタバコの扱いについて(要望と見解)」
http://www.nosmoke55.jp/action/1308kazetatinu.html

作品基本データ

【風立ちぬ】

◆公式サイト
http://kazetachinu.jp/

ジャンル :アニメーション
製作国 :日本
製作年 :2013年
公開年月日 :2013年7月20日
上映時間 :126分
製作会社 :スタジオジブリ 他
配給 :東宝
レイティング :一般映画
カラー/モノクロ :カラー
サイズ :デジタル
メディアタイプ :ビデオ 他
アスペクト比 :アメリカンビスタ(1:1.85)
音声 :モノラル

◆スタッフ
原作・脚本・監督:宮崎駿
アフレコ演出:木村絵理子
プロデューサー:鈴木敏夫
制作:星野康二
作画監督:高坂希太郎
撮影監督:奥井敦
美術監督:武重洋二
音楽:久石譲
主題歌:荒井由実(「ひこうき雲」EMI Records Japan)
音響演出・整音:笠松広司
編集:瀬山武司
色彩設計:保田道世
動画検査:舘野仁美

◆キャスト(声の出演)
堀越二郎:庵野秀明
里見菜穂子:瀧本美織
本庄:西島秀俊
黒川:西村雅彦
カストルプ:スティーブン・アルパート
里見:風間杜夫
二郎の母:竹下景子
堀越加代:志田未来
服部:國村隼
黒川夫人:大竹しのぶ
カプローニ:野村萬斎

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。