手植えでは農業の勉強にはならない

機械抜きに現代の農業を語れば、それは虚構と言うほかない。多くの新しい種苗、化学工業製品である多くの資材についても、同じことが言えるのだが
機械抜きに現代の農業を語れば、それは虚構と言うほかない。多くの新しい種苗、化学工業製品である多くの資材についても、同じことが言えるのだが
機械抜きに現代の農業を語れば、それは虚構と言うほかない。多くの新しい種苗、化学工業製品である多くの資材についても、同じことが言えるのだが
機械抜きに現代の農業を語れば、それは虚構と言うほかない。多くの新しい種苗、化学工業製品である多くの資材についても、同じことが言えるのだが

ほとんどの地域で田植えは5月のこととは言え、水田農家はそろそろ今年の作業の準備を具体的に考え始めている頃だ。新しい機械や資材の利用、イベントを行うなどのアイデアがある人なら、早くも忙しくなってきているという人も多いに違いない。イベントというのは、例えば都市生活者や地元の子供たちを水田に呼んで、田植えを体験させるなどのことだ。今年もまた、ゴールデンウイークの前後には、「○○小学校の生徒○人が、田植えの実習をしました。苗の束を握って、裸足で水田に入った子供たちは……」といった、つきなみなニュースをテレビで何度も観ることになるのだろう。

 教師たちは、学習指導要領に「総合的な学習の時間」が盛り込まれて以来、この授業のネタ探しに悩まされている。その解決の一つとして、農業の現場に出向くという手を考える人は少なくない。これは、「食育の推進」という号令にもかなうだけに、人気のプログラムとなっている。それ自体は、悪いことではない。

 しかし、常々気になっているのは、あの生徒たちは、なぜ裸足になって手植えをするのかということだ。もちろん、手植えをするのがいけないとは言わない。全身で日光の温もりと風を感じ、素肌でぬかるみの感触や温度を確かめ、手作業の上手下手を競う、そういったことは、子供たちにとって大切な経験には違いない。何より、楽しいだろう。後で感じる足腰の痛みも、良い思い出になるはずだ。

 でも、それは日本の農業の勉強にはならない。

 今日、仕事として水稲を手植えする人というのは、天皇陛下と、神社に納めるコメを生産する水田に携わる人、そして急斜面の棚田を守る人以外には、ほとんどいない。普通の田植えは、各種の田植機で行うものだ。

 水田作業の機械化と、それに適した圃場を整備する基盤作りに、我が国は莫大な国家予算を投じてきた。そのおかげで、日本は世界に冠たる稲作技術を持つに至った。作業はらくになり、早くなり、安くなり、ほとんど誰もが白いご飯だけは不自由なく食べられるようになった。

 そのことのありがたみや、そうした国家的事業に携わってきた人々の物語、そして農業機械の1台1台、水田の1枚1枚に、それぞれ相当な額の公的なお金がつぎ込まれており、つまりそれらは所有者が誰であろうとも国家的な財産であるといった事実は、どろんこまみれで手植えを続けていても理解されないのだ。

 手植えの実習は、少しやって「これはたいへんだ」と実感できればよい。むしろその後、最新の高速乗用田植機などに子供を乗せて、「すごい!」と思わせることにこそ、価値があるはずだ。ある子供は早さに感心し、ある子供は機械のメカニズムに目を奪われ、またある子供は、らくになったはずのその機械なりの操作の難しさと面白さに関心を持つだろう。「かっこいい」と言って、農業機械の絵をいくつも描くようになる子供も、1人や2人ではないはずだ。そこから、「農業をやりたい」と思う子供も現れるはずで、「担い手不足」などという言葉をなくすことも、難しい話ではないはずだ(農家以外の家の子供にそう思わせたくないと考える農家も、実は多いのかもしれないが)。

 思うに、子供に、今の真実を伝えようとする気持ちが、われわれの社会に不足しているのではないだろうか。「手作業がよい」「手作りがよい」あるいは「昔からのやり方がよい」といった無責任な幻想を伝えることに、人々は金と時間をかけ過ぎているのではないか。

 実際には、工学、化学、生物学、それらを応用した技術があるおかげで、今日の我々は飢餓や疫病から相当自由に暮らしている。しかし、科学技術に支えられた我々の世界の成り立ちとありさまを伝えるには、その世界の複雑さ、大がかりさを克服しなければならない。それに比べれば、体と簡単な道具だけあれば伝えられる手作業、手作りの方は、はるかに伝えやすく、体験もさせやすい。図や式でしか伝えられない観念の世界に支えられたものよりも、肉眼でそのものを見て触ることもできる即物的なものの方が理解しやすい。

 教師も、記者も、マーケティング担当者も、研究者も、そのやすきについてしまっていることがないか、自問すべきだ。子供の科学離れ、「あるある」的な低俗なテレビ番組や書籍などの氾濫、化学物質バッシング、バイテク・バッシング、そうした問題のいずれもが、そのこととかかわりを持っていると考えるからだ。

 もしも、手がけている仕事に対して風当たりが強ければ、それを嘆く前に考えるべきだ。本当に間違ったことをしているのではないかということ。さもなくば、正しいけれども、伝えることを怠っているのではないかということ。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

About 齋藤訓之 307 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所客員研究員。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。日本フードサービス学会会員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。東京栄養食糧専門学校非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →