コシヒカリ頼みの文化的貧困状態から脱出するには

コシヒカリの圃場。作り手の数だけコシヒカリの品質はあるが、その違いは消費者には伝わらない
コシヒカリの圃場。作り手の数だけコシヒカリの品質はあるが、その違いは消費者には伝わらない
コシヒカリの圃場。作り手の数だけコシヒカリの品質はあるが、その違いは消費者には伝わらない
コシヒカリの圃場。作り手の数だけコシヒカリの品質はあるが、その違いは消費者には伝わらない

手もとの日本経済新聞を机の上に置いて眺める。今日のニュースをチェックしようというのではない。たとえとして、第一面全体を日本の水稲うるち米圃場の全面積だと考えてみる。紙面の上から6段分、中央の折り目から上のほとんどのスペースが「コシヒカリ」で埋まっていると想像して欲しい。以下、「ひとめぼれ」「ヒノヒカリ」「あきたこまち」がざっと1.5段ずつを占め、『春秋』というコラムの上までのほとんどを埋めてしまう。残る同コラムと書籍広告のスペースに、一般の人はほとんど知らない二百数十種の品種がひしめいている。

 農林水産省の「米麦の出荷等に関する基本調査結果」(2005年産)によれば、これら4銘柄だけで、水稲うるち米の作付面積の7割を占めている。しかも、「コシヒカリ」だけで、同4割の作付面積を占める。それで、15段組みの新聞で考えると、上記のようなイメージとなるわけだ。

 恐るべき偏りだ。93年の大凶作の話などしていると、「みんなで同じものを植えているんだから、ちょっと天候が悪いと、一斉に不作になるのも当然」とうそぶく農家は少なくない。

 それでも、真っ先に「コシヒカリ」をやめて、ほかの品種を作付けるという農家は少数派だ。「コシヒカリ」は一般に高値が付く。世間では「一番うまいコメ」ということになっているから、それを作り続けることはプライドにもかかわる問題であり、やめたとなれば周囲から「負けたんだ」と見なされると思い込む。

 米卸にとっても、高値が付く商品はたくさん揃えたいから、「できるだけ『コシヒカリ』を作って欲しい」とは言っても、「そろそろ『コシヒカリ』はやめて、ほかの品種を作付けて」とはなかなか言わない。さらにどの県もこぞって奨励品種としたり、産地品種銘柄に設定したりしているから、作付けに疑問を差し挟む余地など全くないのだろう。

 しかし、これは本当は不幸なことだ。同じ名前のものが大量に集まれば、価格が下がるのが市場原理というものだ。近年の米価の下落は、ミニマムアクセスで輸入された加工用米の影響も大きいが、誰しもが隣と同じ品種ばかり作っているうちは、国産の飯米も、それらと同じ土俵である価格競争から抜け出すことはできない。

 消費者にとっても、やはりこれは不幸なことだ。現代は、衣食住あらゆるものが自分好みのものを選べる時代なのに、コメの種類ばかりは、よほどの気力がなければ「これぞ私のコメ」と選べないのだ。

 実際、スーパーのコメ売場で、「コシヒカリ」「ひとめぼれ」「あきたこまち」、西日本なら「ヒノヒカリ」、これ以外の銘柄を見かけることがあるだろうか。

 ほかの銘柄よりは高めの価格が付いている「コシヒカリ」を買った消費者は、それを自分の意思で“選んだ”と思うかも知れないが、実際には、その価格帯のものはそれしかなかったから、恐らくは“しかたなく選んだ”のだ。

「私は、自分の意思で△△産ではなく○○産のコシヒカリを選んだ」と言う消費者もいるだろうが、その選択が自分の嗜好に合うからだと、食べて納得し、断言できる消費者はどの程度いるだろうか。

 選択肢に多様性がなく、安価であることを求めるにせよ、高価であることを求めるにせよ、ほとんど価格だけを頼りにものを選ばざるを得ないというのは、文化的に低レベルな分野だと言わざるを得ない。

 また、生産されている品種が少数に限られていることだけが問題なのではない。小売業者の多くが、品種と産地といういわば他人のブランドに頼り切り、自社で付加価値を付けようとしていない点にも問題がある。

 例えばコーヒーの業界ではどうだろうか。「ブルーマウンテン」だけをストレートで提供して成功している店というのは、あまり聞かない。人気のあるカフェは、良質なストレートも提供するが、その店独自のブレンドのレシピを持っていて、むしろそれを武器にしている。さらに、点て方を研究し、またフォームミルクを飾ったり、フローズンタイプにしたりと、実に様々な商品を開発している。

「スターバックス コーヒー」が商品を通じて顧客に提供すべきものは「コーヒーとの最高の出会い」だと言う。今日現在、コメを扱っている小売業者(スーパー、GMSなどを含む)の何割が、この言葉を聞いて恥じ入ることなく、共感の拍手を送れるだろうか。このチェーンをもって文化的に高レベルと言えば、抵抗する向きもあるとは理解しているが、現実にコーヒー市場を活性化したのはこうしたビジョンとそれを実現する技術を持てた会社なのだ。

 米穀小売店の多くは、戦時下の配給所をルーツとするという。だから文化とは無縁と考えるのは早計だ。彼らは、元々高いブレンド技術を持っていて、新米から次の収穫期まで刻々と品質を劣化させていくコメを、複数の品種や産地の配合をコントロールすることで、年間を通じて食味を落とさないといった芸当ができた。例えば、そうした技術が米穀店の重要な付加価値だった。

 一時期、「混ぜ物をして利ざやを稼いでいる」といった見られ方をされたため、その技術に胸を張れなくなったいきさつがあったにせよ、付加価値を付けられない業種は生き残ることはできない。

 技術と自負心を取り戻し、消費者にうまいコメを語り、生産者を叱咤激励し、「コメとの最高の出会い」を提供するような米穀小売店の輩出に期待したい。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

About 齋藤訓之 307 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所客員研究員。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。日本フードサービス学会会員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。東京栄養食糧専門学校非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →