“熟成させたそば”「志ま平」(東京・神楽坂)

深山(左)とおせいろ
深山(左)とおせいろ
外観
お店は神楽坂か牛込神楽坂の駅から徒歩10分ほど

年の瀬が近づくとどの業界でも慌ただしくなり、せわしくなります。自分もご多分に漏れず、仕事の海でアップアップしてますが、こういうとき、自転車通勤だと、終電を気にしないでいいので、楽というか、なんというか。それで無理しすぎなのもどうかな、と思うのですがね。帰路、ふと気付いて自転車を停めて月を見たりしながら、真夜中にほっとしたり。なにしろ安全運転でいきましょう。

おそば屋天国の神楽坂

 神楽坂は、最近めっきり観光地化されてきた。谷根千(やねせん。谷中・根津・千駄木の下町)の散歩コースのにぎわいのように、観光客がひっきりなしに往来する地域になったのだ。それはそれで結構で、商売ご繁盛おめでとうございます、と地元のお店にいいたいけれど、イチゲンさん相手の乱暴というか雑なお店が増えてきたのも事実。

 そんな中で頑張っているのが、おそば屋さんだ。「蕎楽亭」「志ま平」「東白庵かりべ」「たかさご」「芳とも庵」「玄菱」「志な乃」「蕎楽亭もがみ」――他の街だったらすぐにでも“地域ナンバーワンそば”となりそうな名店が集まって、鎬を削っている。

 これは幸せだ。元々そば好きの自分にとって、職場から一駅のエリアにこんな素晴らしいそばの店があちこちにあるなんて……考えただけでうれしくなってしまう。

 今回ご紹介するのは、その中でも、そばの世界に静かな革命を起こしそうな、それでいて安定のベテランの技もきらりと光るお店、「志ま平」だ。

 店舗の立地はお世辞にもよいとは言えない。神楽坂か牛込神楽坂の駅から10分以上歩いて、ようやく到着する。それでも自分はじめそば好きが苦ともせずにやって来るのは、こちらのお店のそばが本当に素晴らしいから。

 今まで何度も訪れているが、過日は取引先との会合に使わせてもらった。

一本筋が通った空気感

嶋田義昭さん
嶋田義昭さん

 店主の嶋田義昭さん(59)が一人で取り仕切る店内は、ゆったりとしながらも、一本筋が入っているような空気感がある。これも独特なものだろう。

「今までひとを使ったこともあったんですがね、教える人間をこのカウンターの内側に入れてしまうと、教えなきゃならないからそっちに気が取られて、私の力が10のところ、6とか7にしかならないんです。だからこのスタイルがいいんです」

 まさに職人でないと言えないセリフじゃないか。

 そもそも、嶋田さんがそばの道に入るきっかけになったのが、高校卒業の頃のお父上の言葉。料理人、それもすし職人になるつもりだった氏に「そばがいいんじゃないのか」とぼそり、とつぶやいたという。

 不思議な縁を感じた彼は、高卒後すぐに市川の「一茶庵」に住み込みで働くようになった。そこから、11年の修業時代を経て、昭和58(1983)年、埼玉県川口に「志ま平」を開くことに。

 その後、県内でいくかの店を営み、ここ、神楽坂へは平成15(2003)年の開店。

 そこから9年、ファンがずっと途絶えることなくやってきた。

 これも、気さくで、江戸文化が大好きで、薀蓄も豊富な、ご主人嶋田さんの人徳と、確かなそばの味のなせるものだと思う。

 この日は、そばが最後に入るコース(6000円~)をお願いした。

こだわりと美学のコースに放心

 先付から只者ではないのがわかる器と料理。

 味噌豆、茸の和え物、かぼちゃときゅうりの辛子和え、海苔の山葵和えなど、最初から美意識がやってきて、途端にうれしくなってしまう。

 素晴らしいのが、そばの実のスープ。

 そばの香りがふんだんに感じられ、上質のポタージュのような味わいも感じさせつつ、おなかのなかから、じんわり温めてくれるのだ。

  • 先付
    先付。手前から時計回りに、海苔の山葵和え、茸の和え物、かぼちゃときゅうりの辛子和え、味噌豆
  • そばの実のスープ
    そばの実のスープ

 そば寿司。酢の締め具合がステキで、上質な巻き寿司を食べているような気持ちに。

 カラフルなおつまみ。

 配置といい、器といい、彩りといい、ご主人のこだわりと美学がふんだんに盛り込まれていて、目の前で微笑んでしまった。

  • そば寿司
    そば寿司
  • おつまみ
    おつまみ

 そばがき。

 これがまた、実に甘くて、芳醇で、上質な味わい。

 そばを「かく」のは楽ではない。一心に“かい”て、はじめてこのような上質な刺身のようでもありながら、ふわふわしているような、そんな極上の口当たりが実現できる。

 そばのクレープ。

 タレがほどよく、野菜シャキシャキで、それをしっかりとそばのクレープが受け止めてくれるのだ。

  • そばがき
    そばがき
  • そばのクレープ
    そばのクレープ

 そして締め。そばを茹でる嶋田さんの、熟達した無駄のない動きが小気味いい。ほどなく出てくるのが、「豊潤そば」という「そばを熟成させた」そば。

 そばの熟成なんて聞いたことがなく、勧められるままに、食べてみたのだけれど、その味の、まぁ、甘いこと、まぁ味が濃いこと。

 それでいて食感も鮮烈。

「寝かせた」なんてぼんやりした印象じゃなく、はっきり、数段上のそばに仕上がっており、そばの香りを感じながら夢中で食べた。

 食べ終わった後、しばらく、放心してしまったのだった。

深山
深山(みやま)

失敗からひらめいたそばの熟成

深山(左)と おせいろ
深山(左)と おせいろ

 そして、あの味が忘れられず、後日、またそばだけを食べにうかがった。

 豊潤そばの「深山」(みやま/1000円)と豊潤そばの「おせいろ」(900円)。

 せいろの白さが目立つけれど、これも「熟成させた」豊潤そば。

 とにかく、香りが、味の深みがハンパではない。

 噛めば噛むほど味が深くなり、芳醇な香りが口の中で広がる……。

 こんなそば、今まで食べたことがない!

 驚愕しつつ食べ終わり、このそばのことをご主人に聞くと、そこには驚きの事実が展開されたのだった。

 というのも、元々の発端は、8年前。

 そば屋にとっては書き入れ時の大晦日に、前の日打ったそばを使おうとした嶋田さん。そばが腐敗して使い物にならなかった。

 ところが、その苦い経験からむしろヒントを得て、「そばを“寝かせる”ことって。できないのだろうか」と、試行錯誤が始まったという。

 そばは「挽きたて」「打ちたて」「茹でたて」の“三たて”がうまいというのが常識。とくに新そばの季節はうまみが増す、と言われ、実際に、自分もそのように常々感じていた。

 これを「それは保存技術が未熟な頃の名残ではないか。今はまた別の行き方があるはずだ、思い、試行錯誤した末に……たどり着いたのが、この嶋田さん自らが命名した「豊潤そば」なのである。

 嶋田さんのそばは、そばの実である玄ソバも1年以上寝かせる。

 そこから挽いた粉を寝かせることもあるし、打って切ってしまったそばを寝かせることもある。

 最低3日。

嶋田さん
嶋田さんの動きも味

 そこから、その日の天候やそばの状態をみながら、最高の状態に持っていくように配慮しつつ、お客さんに出すタイミングを計るのだという。

 まるで熟練の肉職人が肉を寝かせてうまみを増させる“エージングビーフ”を作るように。

 まさにそばの静かな革命。

「三たて」の常識を覆す素晴らしい発明ではないだろうか!

「これから豊潤そばの深みを増しながら、60歳、70歳と年齢を重ねる上で年齢に合った仕事をしていきたいですね」と語る嶋田さん。確かな職人の腕と自信があふれていたのだった。


●「志ま平」

東京都新宿区納戸町33
Tel.03-5261-8381
営業時間:12:00~14:00
18:00ぐらい~そば売り切れまで
※夜の部はコースまたはおまかせのみ。
定休日:日曜日
Webサイト:http://shimahei.jp/

上荻吾朗
About 上荻吾朗 40 Articles
編集者 かみおぎ・ごろう 1964年生まれ。北海道出身。週刊誌記者、漫画編集者を経て、WEB製作会社で勤務。震災後、通勤困難を経験して、メタボ対策のためにも、自転車通勤をするようになる。おいしいものを食べることが何より好きな健康チューネン。いかにも飲めそうなヒゲ面のくせに下戸。