災害対策と産業政策を両立する地下食料庫整備案(1)

食料倉庫を津波から守るためには、内陸への移転を考えるほかない。そこで提案したいのが、多摩ニュータウンにある方法で地下倉庫を整備することだ。これは単に防災というだけでなく、飲料・食品の質を上げ、食産業を振興するものともなる。

「坂だらけで住みづらい」多摩ニュータウンを使う

 莫大な量の輸入食料を抱える京浜工業地帯の倉庫群と工場群が巨大津波で壊滅すれば、日本中が即飢えることになる。それを回避するために、倉庫と工場を津波の遡上の心配がないエリアへ移転することを考えなければならない。かと言って、それがあまりにも港湾から離れてしまうのは現実的ではない。首都圏で交通至便な内陸地域に広大な土地を確保する必要がある。

 開発し尽くした首都圏にそんな場所があるはずはないと考えるのは早計というものだ。場所はある。

 私が数十年前から温めてきたアイデアというのは、多摩丘陵=多摩ニュータウンの再整備だ。

 高度成長期に計画人口30万人という大プロジェクトで開発された多摩ニュータウンだが、近年は過疎化が問題になっている。居住者の高齢化という自然の成り行きに加えて、「坂だらけで住みづらい」ことが人口減少に拍車をかけている。元が丘陵地帯である上に、計画の変更などによって歩行者道路が分断された箇所もあるためでもある。

 だからと言って、この機会に高齢者を追い出して丸ごと工業地帯に造り変えてしまえといった話ではないのでご安心願いたい。

山を切り通しで寸断して開発した街

 多摩丘陵は、南に相模川、北に多摩川という両一級河川がある。河岸一帯の標高は高くはなく、したがってそこへ津波が押し寄せる心配はすべきかもしれない。これについては過去の巨大津波の痕跡を精査する必要はあるだろう。

 しかし、大きな河川に挟まれながら浸食されずに山として残った多摩丘陵自体は、非常に頑丈な地盤を持っている。地形から見れば、そう大きくない予算で、両河川の氾濫や上流ダムの決壊から防御する手当てが可能な貴重な地である。

 多摩ニュータウンの大半は旧由木村である。ここは、私にとっては義理の叔父の生家があり、子供の頃にいとこやまたいとこたちといっしょに、叔父兄弟たちの野鳥撃ちやウサギ狩りのお供で駆け回った思い出のある地だ。東西に連なる、その思い出の丘陵を、南北の切通し道路でズタズタに寸断して造成したのが多摩ニュータウンである。

 起伏に変化のある土地ゆえに団地群の日当たりは良好であり、人気を博した。とくに多く入居したのは団塊の世代である。この団塊の世代が青壮年期の頃までは、多摩ニュータウンは良好に機能したが、この世代が高齢の域に達した今は、その元からの起伏と道路に分断された土地の構造が住みにくさとなってしまっている。

丘と丘の間に盛り土をして地下倉庫に

 私のアイデアは、その丘と丘の間に土盛りをして丘同士を結ぶ人工地盤を作ることだ。人工地盤上には高低差の少ない、高齢者に優しい街を再開発する。そして、その下は土で全くふさいでしまうのではなく、盛り土式巨大地下スペースとして活用するのだ。もちろん、用途は食料倉庫や食品工場だ。

 盛り土であっても、天然の地中に設けた地下空間に近い機能は期待できる。すなわち、保温性が高く定温・低温倉庫には最適であり、消費電力も軽減できるはずだ。しかも、職住接近の環境が整えば、必然的に青年・壮年層の人口再流入も期待できる。コスト削減およびCO2削減の観点からも、通勤距離の短縮は、改めて価値を認められるはずである。

 私なら、そこを熟成庫付きの倉庫として整備し、中小の酒類・食品輸入企業向けの賃貸事業所団地を作る。これは、ワインを含む輸入酒類、食肉加工品、水産加工品、乳製品、香辛料等の仕入れがワンストップで可能となる商業エリアの創出を意味する。

 やがてこの周辺には、国内の中小の酒類や食品の企業が張り付き、大手企業も進出を目論むようになるだろう。大手には備蓄庫併設を条件に進出を許可するのがいい。

 そもそもの課題である災害対応という点ではどうだろうか。

 この地は至近距離に津久井湖(城山ダム)と相模湖(相模ダム)という水力発電所を持つダム湖を2つ控えている。両発電所からこのエリアへの専用送電線を設け、緊急時の優先送電の約束を締結しておけば、電源を確保した緊急時食料備蓄供給基地として機能する。いかがだろう。

 いずれにせよ、避難対策と原発対策だけで、震災・津波対策は事足れりと考えているような政府ではたいへんに困る。災害対策と産業政策を両立する大戦略を立てられる政治家と官僚が現れることを望む。

 私は、この構想を数十年前から温めていたと前置きしたが、それはまさにワインについて学び始めた中でのことだった。

 第5回で述べた相模原のゲイマー農場へ通う道すがらのことである。

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酒類品質管理アドバイザー おおくぼ・よりあき 1949年生まれ。22歳で家業の菊屋大久保酒店(東京都小金井市)を継ぎ、ワインに特化した経営に舵を切る。「酒販ニュース」(醸造産業新聞社)に寄稿した「酒屋生かさぬように殺さぬように」で注目を浴びる。また、ワインの品質劣化の多くが物流段階で発生していることに気付き、その改善の第一歩として同紙上でワインのリーファー輸送の提案を行った。その後も、輸送、保管、テイスティングなどについても革新的な提案を続けている。