
スペイン・バスク州ギプスコア県エレンテリアに、ミシュラン二つ星を獲得(2005年)したレストラン「ムガリッツ」がある。英「Restaurant」誌の「世界のベストレストラン50」では、14年連続でベスト10にランクイン(2006〜2019年)した名店。現代ガストロノミーの最先端を走る革新的な料理が特徴である。
「ムガリッツ」は後述する“ある出来事”があった2010年以降、11月から4月はメニュー開発のため休業している。そのうち2023年11月から2024年4月にかけての休業期間中に、研究開発チームが新メニューを作り上げていくプロセスを追ったドキュメンタリーが、今回紹介する「ムガリッツ」である。
※注意!! 以下はネタバレを含んでいます。
ブレスト、試作、試食、改良……
今期のメニュー開発にあたり、オーナーシェフのアンドニ・ルイス・アドゥリスから研究開発チームに提示されたコンセプトは、“目に見えぬ物”。このコンセプトを受け、まず研究開発チーム内でブレーンストーミングが行われる。ブレーンストーミングでは、思い付いたアイデアをかたっぱしから出し合い、メモして壁に貼り出していく。50枚近くに及ぶメモの一部は、以下のようなものである(カギカッコ内は料理の名前)。
01「……さもなくば飢え死にせよ」
キーワード:HUESO(骨)
お客様にマンニトール(※1)で作った骨と石を提供するというもの。お客様自身が骨を割って中に入っている“骨髄”を取り出す。“骨髄”は牛のブロス(出汁)とスジで作る。
02「世界のへそ」
キーワード:MICHELIN/MICHELONGO(ミチェリン/ミチェロンゴ)
ビバンダム(※2)の腰回りのような脂肪のふくらみを模したものを、ホエイ(乳清)/バターミルクとクルミ油の上に置いて、口を直接つけてすするように食べる。
03「羊の湯葉」
キーワード:VIEJA(古い)
羊のサーロインまたはテンダーロインに、羊のミルクで作った湯葉と青唐辛子をかける。
04「群れ」
キーワード:DIOS(神)
グリルしたラムチョップと羊の毛の抽出液で作られたもの。
05「ドローンズ」
キーワード:ZANGANOS(雄バチ)
蜂の巣をかたどった殻の中にハチミツと雄バチが入っている。蜂の巣のように集団を構成する私たち一人ひとりが果たす役割を、ドローン(雄バチ)になぞらえて表現している。

次なるフェーズは、これらアイデアの具現化である。研究開発チームは、メニューごとに食材の選定・調達から試作までを行い、実現可能性を探っていく。素材の調達のために農場を訪問したり、スタッフのひとりは「ドローンズ」のために本格的に養蜂を学んだりする。素材や手法の中には、納豆、昆布、麹、出汁、握りずしなど日本食の影響が濃いものも。メニューはふるいにかけられ、なかには実現しないものも出てくる。結果的に残った約30品が、試食会に進む。
二度にわたる試食会では、内部のスタッフだけでなくビジュアルアーティストやDJなども参加。「やられた」「素晴らしい」「暴力的」「強烈すぎて食べられない」など忌憚のない意見を受けて、さらなるメニューの改良が進められ、営業開始までのカウントダウンに向けて、完成へと近付いていくのである。
スペシャリテを持たず驚きを追求する
営業開始を迎え、晴れて日の目を見た新メニューだが、その寿命はワンシーズンのみ。翌年はまたゼロから再出発し、定番となる料理がないのが“ムガリッツ・スタイル”である。多くのミシュラン星付きレストランが、“店の顔”となるスペシャリテ(看板メニュー)を持っていることからすると異例なことである。
アドゥリスは言う。
「『ムガリッツ』は反アルゴリズムだ。『ムガリッツ』を訪れる人々は驚きを期待して来店する。驚きとは予測不能でなくてはならない」
グラスなどを並べず、アーティスティックなオブジェだけを載せたテーブル。カトラリー(ナイフ、フォーク、スプーンなど)を排して手や舌を直接使って味わう料理。従来のレストランコードを崩し、ゲストの好奇心を誘い、五感を研ぎ澄まさせ、独自の世界観で今までになかった食空間を生み出すのが、「ムガリッツ」の目指すところである。
シンプルにおいしい料理を楽しみたい人からすれば、こうした試みには違和感を持つかもしれない。「ドローンズ」の例を見るまでもなく、「ムガリッツ」の料理はある種の思想を持っている。理解するにはある種のリテラシーが必要であり、食べる人を選ぶ料理と言えるだろう。
「エル・ブリ」から受け継いだもの
本作を観て真っ先に思い浮かんだのは「エル・ブリの秘密 世界一予約のとれないレストラン」(2011、本連載第42回参照)だ。「ムガリッツ」の店を休業してメニュー開発に取り組む姿勢やメニューの革新性は、閉店前の「エル・ブリ」に似通っている。案の定、アドゥリスは1993年から1995年にかけて「エル・ブリ」で修業しており、その後他のレストランで修業した後、1998年に「ムガリッツ」をオープンしている。
実は、「エル・ブリ」こそ、夏から秋までの半年営業で、残りの半年はメニュー開発のため休業していたことで知られる。本作では言及されていないが、「ムガリッツ」は2010年2月15日に火災で全焼している。世界中の同業者からの激励もあって、4カ月後の6月15日に営業を再開したのだが、その日は奇しくも「エル・ブリ」のその年のオープン日と同じだった。その後「エル・ブリ」は閉店したままだが、「ムガリッツ」も半年をメニュー開発にかけることにしたのは、「エル・ブリ」から受け継いだスタイルなのかも知れない。
「ザ・リッツ・カールトン京都」でエクゼクティブ・イタリアンシェフを務める井上勝人など、「ムガリッツ」で修業した日本人シェフは数多く、「ムガリッツ」は世界のガストロノミーに影響を与え続けていると言える。
モキュメンタリーからドキュメンタリーへ
本作の監督を務めたパコ・プラサは、「REC/レック」(2007)、「REC/レック2」(2009)などを共同監督したモキュメンタリー・ホラー(モキュメンタリーはドキュメンタリー風フィクション)の名手として知られる。映画以上に食べることが好きだというプラサは、「ムガリッツ」の熱心なファン。念願かなって今回の撮影と相なった。モキュメンタリー・ホラーで得たテクニックを駆使して、「世界のへそ」をエロティックに、「ドローンズ」を薄気味悪く、カメラにおさめている。
※1 マンニトール:ソルビトールの異性体の糖アルコール。海藻やキノコ類など自然界に広く存在する。医薬品素材など医療で用いられ、日本では指定添加物に含められている。
※2 ミシュランタイヤのイメージキャラクター。ミシュランマン
- ムガリッツ
- https://www.mugaritz.com/
- 英「Restaurant」誌
- https://www.restaurantonline.co.uk/
- エル・ブリの秘密 世界一予約のとれないレストラン
- Amazonサイトへ→
- 本連載第42回
- https://www.foodwatch.jp/screenfoods0042
- ザ・リッツ・カールトン京都
- https://www.ritzcarlton.com/en/hotels/ukyrz-the-ritz-carlton-kyoto/dining/
- REC/レック
- Amazonサイトへ→
- REC/レック2
- Amazonサイトへ→
【ムガリッツ】
- 公式サイト
- https://gaga.ne.jp/mugaritzmovie/
- 作品基本データ
- 原題:Mugaritz. Sin pan ni postre
- 製作国:スペイン
- 製作年:!2024年
- 公開年月日:!2025/9/19年!2025/9/19月!2025/9/19日
- 上映時間:96分
- 製作会社:Movistar Plus+,Presenta,Fonte Films
- 配給:ギャガ
- カラー/サイズ:カラー/16:9
- スタッフ
- 監督:パコ・プラサ
- 脚本:パコ・プラサ、マパ・パストール
- 製作:ドミンゴ・コラル、ギレルモ・ファレ、パブロ・イスラ、カルラ・ペレス・デ・アルベニス
- 撮影:アドリアン・エルナンデス
- 音楽:ミケル・サラス
- 編集:マパ・パストール
- キャスト
- アンドニ・ルイス・アドゥリス:
- ジョルディ・ブロス:
- ディミトリオス・タソウリス:
- ハビエル・ベルガラ(ハビ):
- ラモン・ペリセ:
- フリアン・オテロ:
- サーシャ・コレア:
(参考文献:KINENOTE)