「チトリンス・コン・カルネ」――ジャズの味はモツ煮の味《特別寄稿》

「Midnight Blue」(Kenny Burrell)

首都圏で活動するギタリスト対馬正徳氏が、料理の名の付いたジャズの名曲について寄稿されました。休日の今日は音楽のお話をお楽しみください。

 黒人ジャズ・ギタリスト、ケニー・バレル(Kenny Burrel)の1963年の名盤「ミッドナイト・ブルー」の1曲目を飾るブルース・ナンバー「チトリンス・コン・カルネ」(CHITTLINS CON CARNE)。「……ん? チリコンカンをもじった?」と、ずっと思っていたのだが、chittlins、chitlins、あるいはchitterlingsとは豚の小腸の料理のことだった。つまり、日本のモツ焼き屋で言うところのシロというやつで、「チトリンス・コン・カルネ」とはモツのごった煮で、奴隷時代から食べられてきた黒人たちのいわゆるソウルフードの一つである。

「ジャズは本来黒人のもので、他の人種がやるそれはあくまでジャズ風の音楽……」という論調も少なくないが、ジャズが他の黒人音楽と大きく違うのは、生まれながらの雑食性にあるのではないかと思う。最初から黒人も白人もいわば共同作業的にジャンルを形成、発展させて行ったという経緯から考えれば、ジャズは黒人だけのものではなく、いわば“混血音楽”ということになると思う。

 まず典型的な特徴であるスイングという独特なリズムは、ブルースに見られるシャッフル(3連符からなるハネたリズム)に比べてゆったり滑らかに洗練させたものと言えるだろう。ブルース由来のブルーノート(ドレミファソラシドのミソシを半音もしくは1/4音程度下げる)の多用により、長調と短調の境界が曖昧になることで哀愁を帯びた歌い回しも特徴的だ。

 そしてクラシックのそれを発展させ、徹底的に合理化した和声の理論により即興演奏をシステム化してしまった。よほど難しいコード進行でなければ、ジャズ歴2~3年程度である程度のアドリブができるようになり、互いに名も知らぬ初顔合わせのプレイヤーともジャムセッションで音楽を成立させることができる(音楽的に優れているかどうかは別問題として)。このようなことは、他のジャンルではちょっと難しいのではないだろうか。

 1960年代後半~70年代にジャズは“最先端の音楽”ではなくなった。しかし、新しいジャンルの要素(主にリズムとサウンド)を取り入れながらも過去の遺産を再構築し、いみじくもアカデミズムによる研究と検証を経て、これまでのジャズ・イディオムをポピュラー音楽の世界共通言語にしてしまったことこそ、近代ポピュラー音楽における最大の成果と言って差し支えないだろう。雑食性と合理性、まさに近代アメリカそのものといった性質こそ、ジャズの本質なのだ。

 とは言え、ジャズがブルースやソウル、リズム&ブルースといった黒人音楽とルーツを同じくするものであることは異論のないところで、数多の名プレイヤーによる名盤において黒人プレイヤーの優位性は認めざるを得ない。「天性の」とか「黒人独特の」と言うには、今日人種としての黒人の存在がどれだけはっきりしているかはわからない。しかし、言葉では言い表せないフィーリングの領域――それは歌い回しであったり、リズムのバネ、1拍の長さなど――については、先人から学び、現代を生きるプレイヤーの我々もまた模倣を続けていくべきものなのだ。

 そして、ケニー・バレルの「チトリンス・コン・カルネ」である。この曲にはコンガが入っていることもあり、なんともエキゾチックなリズムのブルース・ナンバーになっている。コーラス単位でスイングさせたりラテンに戻したりのやり取りに、プレイヤーの息づかいまで聞こえてくるような……サックスとのユニゾンによるテーマ・メロディーの合間をつなぐギターのコードの間合い、そして真骨頂ともいえるブルージーなアドリブは語りかけてくるようなディープな音色、1/1000秒レベルでコントロールされたダイナミクスによる歌心で満ち溢れている(久々に聴いた)。

「チトリンス・コン・カルネ」=モツのごった煮、これが黒人の、ジャズの味なんだと頭を垂れるしかない。

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About 対馬正徳 3 Articles
ギタリスト つしま・まさのり 1964年生まれ。11歳よりギターを始め、15歳でハービー・ハンコック「処女航海」を聴いてジャズに開眼。広告代理店勤務の傍ら、02年アン・ミュージック・スクールで小嶋利勝、直居隆雄、両氏に師事し、07年特待生で修了。この間04年脱サラし、自己のグループ「The Sleek Jazz Trio~Quartet」を中心に、首都圏のライブハウス、カフェ、レストラン、ホテル等で演奏活動中。tsu-labo.