IX ジントニックの現在・過去・未来(5)

デカイパー社の復刻ジュネバ
数年前に復刻で発売されたデカイパー社の復刻ジュネバ。ロットナンバーが入ったレアアイテムで、日本にもごくわずかしか輸入されていない。ボトルのガラス色を示すため背後に蝋燭を置いてもらったが、バーの灯りで見ると漆黒に近いことがおわかりいただけるだろうか。ジュニパーはボタニカル(香草類)の中でも香りが飛びやすいものらしく、こちらも先日のボルスのオーデ同様、ジュニパー香は消えて優しいスピリッツに変わっていた。

 古来、人間は液体を運ぶためにさまざまな道具を使ってきた。筆者は今回ジンについて書くまで「洋酒は現在のガラス瓶と変わらない形の瓶に入っており、例外的に昔のジュネバは茶色い陶器瓶、ウイスキーはストーン・フラゴンと呼ばれる釉薬をかけた陶器瓶に入っていた」くらいの知識しかなかった。それまで何度か博物館などの資料で「昔の洋酒瓶」という写真は見てきたものの、その時代による推移に気付いたことはなかったわけだ。洋酒ライターを標榜しながらこの勉強不足はお恥ずかしい限りだが、せっかくの機会なのでこの際洋酒の「入れ物」について駆け足で調べてきた結果をお伝えしたい。

コンプラ瓶は奢侈品だったはず

コンプラ瓶
コンプラ瓶

 出島付近では現在でもたまに海から白い陶磁器に青でオランダ文字が描かれた瓶が上がるという。これは19世紀から20世紀初頭にかけて出島貿易で醤油や日本酒を詰めた輸出用の瓶で、オランダ語の「コンプラドール」(comprador=仲買人)から古物商の間では「コンプラ瓶」と呼ばれていたという。素朴な風合いの波佐見焼(長崎県波佐見町で焼かれる磁器)で、最盛期には年間40万本が製造されたと言う。

 当時醤油瓶として国内で流通していた褐色の瓶と違って異国情緒を感じさせるためか、最近は復刻されたコンプラ瓶に詰めた焼酎も販売されている。骨董市場では偽物も多いそうで、かつてのバタビア(現ジャカルタ)あたりの土産物屋で模造とは知らずに買ってくる方も多いという。その辺の細かい真贋の見極めは、洋酒畑の人間よりは古美術商の方々のお仕事になるだろう。

 最も大量に流通しているのはJAPANSCHZOYA(ヤパンセ・ソヤ=ジャパニーズ・ソイソース。つまり「日本の醤油」)瓶で JAPANSCHZAKI/JAPANSCHSAKKY(ヤパンセ・サキ。つまり「日本の酒」)瓶は必ずしも流通量は多くない。

 どちらも3合(540ML)が定量だったようで、瀝青(コールタール)で封印をしてオランダに向けて輸出されていた……と、どこのサイトでも説明しているのだが、コールタールは原料が石油であり、蒸気を吸い込むと呼吸困難になるほど危険な代物だから経口飲料の封印に使っていたとは考えづらい。その上、下地つまり陶器等への“食いつき”がいいので開封時に瓶の口を破損する可能性が高い。

 また、3合という小さいサイズで輸出されていたということは実用品としてよりは容器を含めて奢侈品としての性格が強いはずで、瓶の口が欠けてしまうと価値が半減することになる。

 このようなことから、筆者は封印に使われたのはバーボン・ウイスキーの「メーカーズマーク」のような封蝋もしくはその代替品で、コールタール話の元となった「日本紀行」を書いたツンベルク(1775年来日)の誤解か誤訳によるものではないかと考えている。

円柱状の瓶は容積効率が悪い

ボルス社のジュネバ「Oude」
古い酒を置いてあるバーで見つけたボルス社のジュネバ「Oude」

 話が脇道に逸れた。この陶器製のコンプラ瓶で日本の醤油や酒が海外に輸出されていたことから、色は違うものの、筆者はてっきりIX ジントニックの現在・過去・未来(1)で写真を示したボルス社のジュネバの褐色陶器瓶のようなものが、最初からジュネバのボトルに使われていたと誤解していた。古くは紀元前のエジプト第18王朝の頃のワイン容器として有名なアンフォラが土、つまり素焼きの土器で陶磁器とは兄弟であることも誤解の原因だった。

 中世以降のヨーロッパにおける酒類の大量輸送にはもっぱら樽が使われていた。ラムやウイスキーも19世紀までは対日輸出を含めておおむね樽で輸送されている。

 一般の方には説明が必要かと思うが、長距離・大量輸送を行う場合には、船倉などの一定の容積にどれだけ詰め込めるかが輸送コスト削減の重要なポイントになってくる。わかりやすい例で言うと、オレンジジュースがその典型だ。スーパーのジュース売り場でいっとう高いところに置かれている1000mlで300円を超えるものと、同じ容量で100円ショップで売られているものと、どちらも100%のものでありながら値段が違うのは、もちろん素材の質にもよるのだが、輸送コストも無視できないほど大きな比重を占めている。100円ショップのオレンジジュースを見ると「濃縮果汁還元」と書いてあり、高級なそれには「ストレート果汁」と記載されているはずだ。こちらは果樹園から工場に運ばれたオレンジをジュースにした後、安いものは濃縮がかけられて、ものによっては5分の1位まで容積が減る。つまり、同じタンカーで運ぶ時5倍の量が運べることになる。

 先ほどのコンプラ瓶が小さいこと、つまり小ロットであればあるほど瓶の間にすきまが出来るため、余計な運賃が掛かることがこれでご理解いただけると思う。

ジュネバの輸出には四角いガラス瓶が使われていた

デカイパー社の復刻ジュネバ
数年前に復刻で発売されたデカイパー社の復刻ジュネバ。ロットナンバーが入ったレアアイテムで、日本にもごくわずかしか輸入されていない。ボトルのガラス色を示すため背後に蝋燭を置いてもらったが、バーの灯りで見ると漆黒に近いことがおわかりいただけるだろうか。ジュニパーはボタニカル(香草類)の中でも香りが飛びやすいものらしく、こちらも先日のボルスのオーデ同様、ジュニパー香は消えて優しいスピリッツに変わっていた。

 しかし、ジュネバに関してはガラス瓶が最初であった。それが後に、あのボルス社のジュネバのような褐色円柱型陶器瓶(英語のサイトもいろいろ当たって通称を探したのだが、サイトごとに「ストーン・ボトル」「セラミック・ボトル」「ポッタリー(POTTERY)・ボトル」と表記はさまざまで、「コンプラ瓶」のような便利な名前はないようだ)に取って変わられたとわかった時には、ちょっとショックだった。

 ジュネバに用いられていたガラス瓶は、瓶同士の間に出来る無駄な空間容積を少しでも減らすために、断面が正方形に近くなっている。なぜもっと効率がいい樽を使わなかったのかについて筆者は明快な回答を持ち合わせていないが、ジュネバのガラス瓶はその時代のテクノロジーを使った最も輸送効率のいい、当時としては最先端の形をしていたことになる。

 余談の余談になるが、ジョニーウォーカーの特徴ある角瓶も、輸送効率の問題が瓶の形を決めるときの重要なポイントになったという話がある。

 次回はこのジュネバ創世記の瓶――ケルデル瓶のことから話を始めることとしたい。

About 石倉一雄 129 Articles
Absinthe 研究/洋酒ライター いしくら・かずお 1961年北海道生まれ。周囲の誰も興味を持たないものを丹念に調べる楽しさに魅入られ、学生時代はロシアの文物にのめり込む。その後、幻に包まれた戦前の洋酒文化の調査に没頭し、大正、明治、さらに江戸時代と史料をあたり、行動は図書館にバーにと神出鬼没。これまでにダイナースクラブ会員誌「Signature」、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)に誰も知らない洋酒の話を連載。研究は幻の酒アブサン(Absinthe)にも及び、「日経MJ」に寄稿したほか、J-WAVE、FM静岡にも出演。こよなく愛する酒は「Moskovskaya」。