VIII 日本人の知らないジャパニーズ・カクテル/ミカド(2)

「ミカド」のポスター(1885年)
「ミカド」のポスター(1885年/当図はWikimedia Commonsより取得)

「ジャパニーズ・カクテル」はアメリカ発祥だが、「ミカド」の別名が付けられたのはイギリスでのことだ。場所はもちろん、サヴォイ・ホテル。サヴォイで上演されて大ヒットしたオペレッタ「ミカドあるいはティティプーの街」が、その由来となる。

サヴォイ・ホテルでの出来事

 この話は少々長くなるので、先に「ジャパニーズ」と「ミカド」の前後関係から整理しておこう。世界初のカクテルブックに「ジャパニーズ・カクテル」と記載されていたことから、「ジャパニーズ」が先で「ミカド」が後なのはわかる。では、なぜ「ミカド」の名前で呼ばれるようになったのだろう。

 最初に「ジャパニーズ・カクテル」を「ミカド・カクテル」と呼んだのが誰なのかは不明だが、欧米の人なら誰もが「ジャパニーズ」と言えば「ミカド」を連想するきっかけとなる出来事が今から127年前にあった。

 J.トーマスが「ジャパニーズ・カクテル」を自著「The Bartender’s Guide / How to Mix Drinks / THE Bon Vivant’s Companion」に掲載した23年後のことになる。舞台となったのは、拙稿で古いカクテルの話になるとお約束のように出てくる、あの「サヴォイ」である。

 ハリー・クラドックが「The Savoy Cocktail Book」を著わしたのは、彼がサヴォイのアメリカン・バーで働いていたからだが、サヴォイ・ホテルがなぜできたかを思い出していただきたい。第32回以降で説明したように、世界初の女性バーテンダー、エイダ・コールマンを世に出したドイリー・カートは、最初からホテル経営者を志していたわけではない。そもそもの始まりはドイリー・カートが企画したオペレッタと言う軽歌劇が大当たりしたことだった。

 その勢いをかって1881年にオープンしたオペラ専門劇場「ザ・サヴォイ・シアター」に世界中からオペレッタを見にやってくる富裕層に、贅を尽くした豪華ホテルに宿泊してもらい、“夢の時間”のさらなる続きを味わってもらおうと彼は思い付いた。つまり、ホテルなくして、あのカクテルブックはなかったし、オペレッタなくしてロンドンのサヴォイ・ホテルは存在し得なかった。

「サヴォイ・ホテル」と「サヴォイのカクテルブック」、そしてサヴォイ劇場で上演された、一つの軽歌劇が、我々日本人があずかり知らぬところで繋がっていく。

オペレッタ「ミカド」の成功

「ミカド」のポスター(1885年)
「ミカド」のポスター(1885年/当図はWikimedia Commonsより取得)

 次々にオペレッタのヒットを飛ばしていたドイリー・カートが目を付けたのが、開国間もない東洋の謎の国「日本」だった。ここに、いささかやり過ぎと思えるほどオリエンタル趣味をてんこ盛りに放り込んだオペレッタが誕生する。この「ミカドあるいはティティプーの街」は初演から大ヒットとなり、その上演回数672回というロングラン記録は、40年以上のサヴォイ・オペラの長い歴史を通じてついに最後まで破られることはなかった。

 日本ではオペラ好きからでさえタブーであるかのように無視され続けてきたニッポン歌劇。このことが日本とは縁もゆかりもなさそうな「ジャパニーズ・カクテル」の不思議な味のカギを説くヒントにもなるのだが、その謎を解き明かすのは、もう少し先の話になる。なにしろ、130年近く前の話である。ここは先を急ぐことなく、「ミカド」についてもう少し見ていくことにしよう。

 主人公(皇太子)の名前がナンキ・プーで、ヒロインがヤムヤム。以下、ミカド以外の登場人物の名前を挙げていくとピッティ・シン、ピープブー、プーバー、カティシャ、ココにピシュタシュ……名前を羅列していくだけで本稿を読んでいただいている読者の「……どこが、日本?」と呟く姿が目に見えてきそうだ。

 しかし、演じる役者は真剣そのもの。彼らは揃って着慣れぬ日本(らしき)衣装を身にまとっており、男も女も日本(風)のカツラを被っている。脱亜入欧を目指す当時の日本人が見たら、壇上に駆け上がって憤激のあまり上演を中止させかねないこの劇が初めて上演されたのは1885(明治18)年の3月14日だった。

 ストーリーは、望まぬ結婚に反発して家を飛び出た皇太子ナンキ・プーが、しばらくぶりに故郷の様子を窺うために旅芸人を装ってお忍びで帰郷したところから始まる。彼と同様、望まぬ結婚を迫られている町娘ヤムヤムと知り合い、やがて二人は困難を乗り越えて……という、昭和の少女漫画も顔負けの“お約束”ストーリーが展開されていく。

 これがどうしたわけかヨーロッパで大受けした。その人気は、イギリスからドーバー海峡を越えて欧州全土に広がり、翌年にはドイツ(ガルトナープラッツ劇場)で留学中の森鴎外が観劇した記録が残っている。その勢いは欧州を呑み込んだ後もとどまることなく、翌年にはロシアにまで到達し、当時世界的な名声を得ていた演出家(スタニスラフスキー)のもとでモスクワ上演もされている。

About 石倉一雄 129 Articles
Absinthe 研究/洋酒ライター いしくら・かずお 1961年北海道生まれ。周囲の誰も興味を持たないものを丹念に調べる楽しさに魅入られ、学生時代はロシアの文物にのめり込む。その後、幻に包まれた戦前の洋酒文化の調査に没頭し、大正、明治、さらに江戸時代と史料をあたり、行動は図書館にバーにと神出鬼没。これまでにダイナースクラブ会員誌「Signature」、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)に誰も知らない洋酒の話を連載。研究は幻の酒アブサン(Absinthe)にも及び、「日経MJ」に寄稿したほか、J-WAVE、FM静岡にも出演。こよなく愛する酒は「Moskovskaya」。