I モダン・ガールは何を飲んでいたのか(4)

日本に洋酒文化が定着していったプロセスを追う本シリーズ。その手がかりとして最初にスポットを当てたのが、大正期から現れたモダン・ガールたちだ。彼女たちが飲んでいたものを調べるために、まず当時の酒の品揃えを見てみる。これが意外や、平成日本も顔負けと思えるほど充実していたのである。

幕末以降の洋酒普及

 日本の洋酒前史としては、長期の船旅にも耐えた織田/豊臣時代のマデラやポート、江戸時代のジュネバ(オランダ・ジン)、横浜開港後の「バス・エール」(上面醗酵ビール)の時代があるのだが、ここから説明しているといつまでたってもモダン・ガールの横顔にたどり着けない。そこで、とりあえず幕末から大正にかけての蒸留酒事情を一言で言うと、ブランデー全盛だった日本で、明治35年に発効した日英同盟を受けてスコッチウイスキーが一躍脚光を浴び、大正期には質量ともにブランデーを凌駕していた、ということになる。

 江戸時代、たとえば元治元(1864)年の輸入実績でブランド名が確認できるウイスキーは「ホィートシーフ」(Wheat Sheaf)だけで、「ピネ・カスティリヨン」(Pinet Castillion)、「オタール」(Otard Dupuy)、「マーテル」(Martel)、「ペボアゾン」(Pelvoisin)、「ヘネシー」(Hennesy)が揃うブランデー陣に比べて劣勢が否めなかった状況が、大正時代には激変していたのだ。

品揃え豊かな大正時代の洋酒

 大正時代の洋酒店、たとえば尾張町(現銀座)にあった亀屋鶴五郎商店の売り場を目にすることができたとしたら、平成23年の洋酒好きは息を呑むに違いない。

 亀屋商店の裏手にあった「カフェーパウリスタ」から流れてくるかぐわしいコーヒーの香りを楽しみながら2階建ての店内に入ると、「ヘッジス&バトラー」との宮内省御用達競争に勝った「ブキャナンズ」(現在はロイヤルハウスホールドやブラック&ホワイトで有名)が棚のいちばん目立つところに置かれている。一等高い場所に飾られているダルマ型の赤いキャップは、その最上級品であるレアーオールド(25年物/大正7年日本発売)。亀屋が輸入代理店を務める「ジェームス・ワトソン」も目立つ場所に置かれている。「ナピエル・ジョンストン」「アッシャーズ」「No75」といった見慣れない銘柄と共にオールド・ファンには懐かしい「キングジョージIV世」も金色のラベルをのぞかせている……という具合だった。

 これが大正3年の段階だから、16年後、カフェー全盛期の昭和5年に業界紙に掲載された洋酒一覧表になると、もうより取り見取りと言うか百花繚乱と言うか。簡単に言うと、昭和40年代、「ジョニ黒」が店のいちばん高いところに飾ってあった酒屋を遙かに凌駕する品揃えだった。

 現在に至るまで高級スーパーの品格を保ち続けている老舗も負けてはいない。明治34年にジヨン・ブラウン會社のスコッチを置いていた明治屋も、大正8年のラインナップにはジンが3種(「ブース」「ゴードン」「ギルビー」)はもちろん、「オールド・ジャマイカ・ラム」からローズ社のライムジュースまで揃えて、左党を喜ばせている。

役者は揃っていた

 少し前に、「いちばん高い」という理由で「ルイ13世」とか「リシャール・ヘネシー」というブランデーがホスト・クラブや銀座のクラブ向けにバカ売れするという珍現象が日本にあったことをご記憶の方もいるだろう。90年前も状況はさして変わらず、目の前で微笑む美女のために、懐を気にしていることなどはおくびにも出さず「いちばん高いものを」と頼む男たちが存在した。モダン・ガールの歩く昭和5年はそういう時代だった。

 金に糸目をつけない方々のおかげで、他のブランドも「それっ」とばかりに日本をターゲットに据えてさまざまな洋酒が輸出され、結果的にラインナップが充実してくる。昭和初期はある意味で戦前日本の洋酒文化円熟期と言っても過言ではなかった。筆者自身は目が飛び出るほど高い「ドンペリ・ピンク」や「ルイ13世」「リシャール」は残念ながら口にしたことはないのだが、その余禄として生産規模は小さいながら良心的な作り方をしたスコッチやブランデーは手の届くところにあった。そういう意味では、昭和初期のバー、たとえば「ブルーリボン」のように喧騒を離れて本当の洋酒好きが集まるバーに足を向けた戦前のご同輩と同じく、恩恵を受けた一人と言えるかもしれない。

 ミント・リキュールの代名詞「ジェット27」は、明治5年にコードルリエ商会が「シャルトリューズ」や「マラスキーノ」と共に輸入を始めている。明治34年の文献には、現在でもバーのリキュールの定番であるキューゼニエ(ア)會社とマリーブリザー(ル)會社が紹介されており、明治36年の横浜グランドホテルのワインリストにカクテルの記載はないものの、明治40年代に入ると遂にカクテルをメニューに掲げるホテルが日本にも登場していた。

 モダン・ガールが登場した大正末期には、すでに店の洋酒はラインナップ的には準備万端整っていたことになる。

飲んでいたのはそれではない

 日本に何人いるかわからない、骨董ウイスキーマニアにしか分からない銘柄の羅列に辛抱強くお付き合いいただいた読者の方々には叱られそうだが、実はモダン・ガールたちが好んで口にしていたのは、ウイスキーでもなければマティーニやマンハッタンといった定番のカクテルでもない。バーでは最も忌み嫌われる、あるカクテルなのだが、これについて説明するとさらに長くなる。もう少しモダン・ガールの全体像が明らかになったところでお話しすることとしよう。

(画・藤原カムイ)

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About 石倉一雄 129 Articles
Absinthe 研究/洋酒ライター いしくら・かずお 1961年北海道生まれ。周囲の誰も興味を持たないものを丹念に調べる楽しさに魅入られ、学生時代はロシアの文物にのめり込む。その後、幻に包まれた戦前の洋酒文化の調査に没頭し、大正、明治、さらに江戸時代と史料をあたり、行動は図書館にバーにと神出鬼没。これまでにダイナースクラブ会員誌「Signature」、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)に誰も知らない洋酒の話を連載。研究は幻の酒アブサン(Absinthe)にも及び、「日経MJ」に寄稿したほか、J-WAVE、FM静岡にも出演。こよなく愛する酒は「Moskovskaya」。