「恋のしずく」西条の日本酒

現在公開中の「恋のしずく」をご紹介する。本作は、日本三大酒処(※1)の一つである東広島市西条を舞台に、東京の農業大学の学生でソムリエを目指している“リケジョ”橘詩織(川栄李奈)が苦手だった日本酒の魅力に目覚めていくというのが大まかなストーリーである。

※1:日本三大酒処の他の2つは兵庫県の灘と京都府の伏見。

日本酒嫌いを克服させた「美酒鍋」と「鯉幟」

 詩織はワインのブラインドテイスティングで見事に銘柄を言い当てる能力を有しているが、最初に飲んだ安酒で泥酔した体験がトラウマとなって、日本酒だけは匂いを嗅ぐだけで体が拒否反応を示すようになっていた。「自分はアルコール分解能力が高いアセトアルデヒド脱水酵素(ALDH2)を持っているが、日本酒だけは低活性型のハプロタイプだ」という詩織の自己分析は、いかにもリケジョらしい頭でっかちな思考の傾向を表している。

※2:ハプロタイプは遺伝子の組み合わせを指す型の一つ。

 ところが、鷹野橋教授(津田寛治)があみだくじで決めた詩織の実習先はワイナリーではなく日本酒の酒蔵だった。しかし、「まじ?」とつぶやきながらも、これに従って酒蔵がある西条に向かったのは、ひとえにワインの本場であるフランス留学に必要な単位を取得するためであった。

詩織の日本酒嫌いを克服させることになる乃神酒造の「鯉幟」。
詩織の日本酒嫌いを克服させることになる乃神酒造の「鯉幟」。

“酒都”西条で180年続く老舗酒蔵・乃神酒造に赴いた詩織は、心臓の病気を抱えた蔵元・乃神輝義(大杉漣)、輝義の息子で家業を継がずに陶芸家を目指して父と対立している莞爾(小野塚勇人)、酒造りの責任者である杜氏の坪島(小市慢太郎)、乃神酒造に酒米を卸している農家の娘で農閑期は蔵人を務める美咲(宮地真緒)らと出会うが、リケジョ体質の詩織は実習初日に白衣姿で現れ、伝統的を重んじる坪島のやり方に反発する等、浮いた存在になってしまう。

 そんな詩織の日本酒アレルギーを見かねて、美咲は詩織を地元の料理店に連れていく。西条名物の「美酒鍋」は、鉄板鍋で肉や野菜を焼きながら日本酒をまぶし掛けていく料理だが、アルコールは飛んで酒のうまみだけが残るため、日本酒の飲めない詩織でも食べることができた。もとは酒蔵の蔵人が食べていた賄い料理で、酒造りでビショビショになることから「びしょ」と呼ばれていた蔵人と美酒と美女をかけてその名が付いたと言われている。

 純米大吟醸酒「安芸乃露」で3年連続金賞を受賞した西条の酒蔵・有重酒造の蔵元・有重一紀(中村優一)が主宰する利き酒会では、ワイングラスに注がれた「安芸乃露」、常温の純米酒、燗をつけた純米酒の順に飲むことで、詩織はついに日本酒嫌いを克服する。

 きっちり発酵しているため芯が強く、いろいろな温度で遊べるこの純米酒は、輝義に最初に勧められて日本酒嫌いを露呈することになった乃神酒造の「鯉幟」だった。詩織はこびりついていた日本酒に対する悪いイメージが原因で目の前で造っている酒さえ知ろうとしていなかった自分を反省し、日本酒造りを一から学ぼうと決意する。

西条の酒造りと「命なりけり」

莞爾の亡き母と父の思いが込められた「命なりけり」。
莞爾の亡き母と父の思いが込められた「命なりけり」。

 本作では、酒米の収穫から蔵入り前の秋洗い(道具類を洗って大掃除をする)、蔵入り後の洗米、浸漬、水切り、蒸きょう(米を蒸す)、放冷、製麹、酛(もと)の仕込み、醪(もろみ)の発酵といった日本酒造りの工程が順を追って丁寧に描かれる。

 ワインも日本酒も同じ醸造酒だが、ワインが果汁のブドウ糖を酵母でアルコール発酵させる単発酵によるのに対し、日本酒は麹で米の澱粉を糖に変える糖化と、酛によるアルコール発酵とが同一容器で同時に進む並行複発酵によるもの。“リケジョ”詩織はこれまでは並行複発酵を非効率だと考えていたのだが、実際に携わってみたことで、微生物に関する科学がなかった時代に酒造りの仕組みを見つけ出した先人の知恵に感心する。

 また、灘や伏見の水がミネラル分を豊富に含んだ硬水で、そのミネラルが酵母を活発化させるのに対し、広島の水はミネラル分が低い軟水であって、酒造りには向いていないとされていた。そこを、明治時代に安芸津町の三浦仙三郎が軟水醸造法(三浦式醸造法)を開発し、広島の酒造発展のきっかけを作った。

 軟水醸造法は麹を通常よりも時間をかけてじっくりと育てて米の内部に十分に行き渡るようにし、醪をゆっくりと発酵させることで水のミネラル分不足を米そのものの栄養で補うというもので、今日の吟醸酒の基礎となっている。

 この弱点を個性に変えた技術も、詩織はすごいと感じる。

 地元のレストランで、日本酒と料理の相性について新たな発見をしていくことも描かれる。日本酒は香味成分が豊富で、味わいが複雑で厚みがある。これが和食に限らず、合わせられる料理の幅が広いことを詩織は学んでいき、次第に日本酒の魅力に目覚めていく。

 そんな中、療養中だった蔵元の輝義が死去。遺品の中から莞爾は「命なりけり」と書かれた酒のラベルを見つけ坪島に尋ねる。

限りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり

〈私の命もこれまでとなります。お別れの死への道が悲しくても、やはり私が行きたい道は生の道です〉

(現代語訳はシナリオより引用)

 それは、かつて乃神酒造が作ろうとしていた生酛純米大吟醸酒で、若くして死んだ莞爾の母が、源氏物語の中に出てくる桐壺更衣の和歌の一節から名付けたものだった。そのいきさつから、莞爾は「命なりけり」にかけた亡き母と父の思いを知り、酒蔵の跡を継いで「命なりけり」を完成させることを決意する。

 ドラマは詩織と莞爾、美咲と有重の恋愛模様を交えながら、「命なりけり」への挑戦を描いていく。その成否と、そして詩織がワインと日本酒、恋と夢のどちらを選ぶのかについては、実際に映画をご覧いただきたい。

こぼれ話

 映画公開記念プロジェクトとして、劇中に登場する「鯉幟」「命なりけり」「安芸乃露」と、東広島西条・安芸津等の9蔵(賀茂鶴酒造、西條鶴酒造、白牡丹酒造、柄酒造、賀茂泉酒造、亀齢酒造、福美人酒造、山陽鶴酒造、金光酒造)から純米酒「恋のしずく」が限定発売されている。興味のある方は映画公式サイトの「日本酒情報」をご覧いただきたい。

 本作は今年の2月21日に急逝された大杉漣さんの劇場用映画最後の公開作品となっている(撮影は2017年)。北野武作品等の名脇役として存在感を発揮された大杉さんのご冥福を謹んでお祈りする。

参考文献:『川栄李奈 酒都・西条へ。』(ザメディアジョン)


【恋のしずく】

公式サイト
http://koinoshizuku.com/
作品基本データ
製作国:日本
製作年:2018年
公開年月日:2018年10月20日
上映時間:117分
製作会社:「恋のしずく」製作委員会(制作プロダクション:ソウルボート)
配給:ブロードメディア・スタジオ
カラー/モノクロ:カラー
スタッフ
監督:瀬木直貴
脚本:鴨義信
エグゼクティブプロデューサー:中西康浩、泉英次、松本剛志
プロデューサー:内海直大、鴨義信、瀧川元気
撮影:岡田賢三
美術:三藤秀仁
音楽:高山英丈
主題歌:和楽器バンド『細雪』
録音:根本飛鳥
音響:田中俊
照明:宮西孝明
編集:別所順平
スタイリスト:米村和晃
ヘアメイク:金田仁見、佐野真知子
キャスティング:星久美子
助監督:山嵜晋平
キャスト
橘詩織:川栄李奈
乃神莞爾:小野塚勇人(劇団EXILE)
高宮美咲:宮地真緒
有重一紀:中村優一
朝比奈 昇:蕨野友也
美咲の父:西田篤史
美咲の母:東ちづる
鷹野橋 洋一:津田寛治
坪島泰淳:小市慢太郎
乃神輝義:大杉漣

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。