篠田次郎先生の優しさにふれる

ワインのリーファー輸送提案に対する業界人の拒絶反応に遭う中、思いもよらなかった人から激励を受けた。その方のご厚意に浴した思い出を記しておきたい。

突然の電話で激励される

 リーファー輸送提言公開直後は、2本の電話があった以外は拍子抜けするほどに業界もメディアも無反応の日々が半月ほども続いた。その1本はもちろん“鬼軍曹”関康弘氏からの電話である。

 もう一本の電話は、いきなり「シノダジロウです。提案読みました。いやァ、感服した」とまくし立てて始まった。

 私が「ありがとうございます」と答えながら――シノダジロウさんって誰だっけ? 聞いたことない声だなぁ?――などと思っていると、「これから反発や嫌がらせもあると思うが頑張りなさい。私は視力が弱いのでそちらへ出向けないから、一度オカさんと一緒にウチへ遊びに来ないかい? うん、そうしなさい。じゃあ待ってるから」と言って電話は切れてしまった。

 切られた電話を前にして考え込んでしまった。「待ってるからって言われても、場所を言ってくれなきゃ行けないよなァ……。シノダさん? オカさん?……」。

清酒人気の功労者

 名前を繰り返しているうちに、「あっ!」と気が付いた。近所のマンションに岡さんというご夫婦がいる。その岡夫人が従前から「私の友達のダンナでシノダジロウって男がいるのよ。名前聞いたことあるでしょう? 一度会わせたいんだよ。きっとアンタの役に立ってくれるよ」と言ってくれていたことを思い出した。

 シノダさんとは、“吟醸酒ブームの仕掛け人”とも言われる清酒研究家の篠田次郎先生のことだった。

 篠田先生は住宅やビルの建設がもともとの仕事だが、酒蔵の設計を手掛けてから清酒とのかかわりを持たれた。1975年に幻の日本酒を飲む会を立ち上げ、著書も多く、もちろん清酒業界ではつとに知られた存在だ。

 ところが当時の私は、ワインのリーファー輸送にかかわる“無償奉仕”に加えて、ジエチレングリコール混入ワイン事件への対応にも追われていた。そこへ持って来て店舗が近隣と共同ビル化することになり、その相談、着工前後のさまざまな仕事、新店舗の設計打ち合わせで多忙をきわめた。さらには父親が肺気腫で倒れてしまい、長い闘病生活が始まった。しかも、それに伴う形で私の結婚問題も急浮上。文字通りのてんてこ舞い状態であり、清酒業界に目を向けている時間が全くなかった。

 だが篠田先生の方は、岡夫人から聞いただけで一面識もない私のことを心に留めてくださっていたのだ。全く拝伏し感謝感謝であった。

幻の銘酒たちに癒された日

 しばらくして岡夫人に伴われ、湯島の篠田先生の事務所を訪ねた。

 清酒業界人の先客が数名いらして、数本の酒をテイスティングしているところだった。熊本の「香露」と「霊山」、山形の「米鶴F-1」の3本の大吟醸の封が切られている。とりわけ、当時の私でも噂こそ耳にしながらも入手は困難だった「香露」が話題の中心だった。

 それらを比較した結果は、私は「霊山」の方に魅力を感じた。さらに「米鶴F-1」を味わって感動した。私流に表現させていただくと、「男の皮膚の断片と汗の成分が混じった味わい(と私が勝手に思い込んいでる香味。第6回参照)、過度の機械化と過度の衛生管理を施されていないラインで作られた、懐かしいユッタリとした香味」が、口中に拡がったのだ。

 公私の多事に忙殺され、ワインのリーファー輸送提案に対する業界人の拒絶反応に遭っている中、篠田先生の優しさとあの吟醸酒の味わいは、温かな思い出の一つだ。

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酒類品質管理アドバイザー おおくぼ・よりあき 1949年生まれ。22歳で家業の菊屋大久保酒店(東京都小金井市)を継ぎ、ワインに特化した経営に舵を切る。「酒販ニュース」(醸造産業新聞社)に寄稿した「酒屋生かさぬように殺さぬように」で注目を浴びる。また、ワインの品質劣化の多くが物流段階で発生していることに気付き、その改善の第一歩として同紙上でワインのリーファー輸送の提案を行った。その後も、輸送、保管、テイスティングなどについても革新的な提案を続けている。