理解進まなかった「『低温』ではなく『定温』」

東京のマーシャリング・ヤード
東京のマーシャリング・ヤード。膨大な数のコンテナが並ぶが、そのサイズ・機能・性能はさまざまだ
東京のマーシャリング・ヤード
東京のマーシャリング・ヤード。膨大な数のコンテナが並ぶが、そのサイズ・機能・性能はさまざまだ

今日、「Reefer」の文字が記されたワインボトルは珍しいものではなくなった。温度管理可能なコンテナで輸送したという表示だ。だが、1980年代まではドライ・コンテナ(一般貨物用の単純な構造のコンテナ)での輸送が普通だった。ワインのリーファー輸送を業界に提案した大久保順朗氏に、リーファー輸送が必要と考えるに至ったワイン物流の問題の本質を語ってもらい、今日なお多い改善すべき点を指摘してもらう。ワイン提供者、ワイン愛好家の方々も必読の、知られざるワインの世界にご期待いただきたい。

「リーファー輸送」提案から25年目のガッカリ

 一昨年(2009年)、自営の酒販店を閉じた。詳しい話はしたくもないし、家業にも未練はない。だが心残りがないわけではない。それは25年前に行った「ワインの物流改善提案」を完結できなかったことである。

 2011年の現在、ワインを愛飲される一般消費者の方々でも「リーファー輸送」というワインの輸送法を、耳目の片隅に留めている方は比較的多いはずである。

 ワイン業界の方々で40代後半以上の年齢の方であれば、私の名前を「ワインのリーファー輸送提言者」として記憶されている方も多少なりはおられることだろう。私がこの提案をしてから早くも25年の歳月が流れてしまったのだが、ようやく「ワインのリーファー輸送」は業界常識として定着し、「ワイン愛好家」の間でも漠然とは意識される段階に至ったようである。

 ところが、最近よく見かけるワイン・ボトルの裏ラベルに記載されているフレーズは「このワインは低温コンテナで輸送されたワインです」というものだ。このフレーズを初めて目にした時、私は愕然としてし、胸の中で絶叫してしまった。「俺の25年間の努力は何だったのか!」と。

 私はワイン業界人に「リーファー輸送」を解説する時に、リーファー・コンテナを「定温コンテナ」と表記し、「低温コンテナ」と表記しないように言い続けてきたのだ。

 リーファー・コンテナを素直に訳すなら「冷蔵コンテナ」でよいのである。それをなぜ「定温コンテナ」と表記してきたのか? それはワイン業界に喧伝されてきた間違った知識――「ワインは地下室のような冷暗所に貯蔵するのが好ましい」を払拭するための私の作意だった。健全な地下室は決して冷たい場所ではない。ほんのりと暖かい場所「温暗所」なのである。この「冷暗所」のイメージを引きずる「冷蔵」の文字を避けるために「定温」(当時は恒温を使おうかとも迷った)という表記を選択したのである。

 ささやかな思い違い・誤記・伝達ミス・翻訳ミスなどが、時として大変な事態を引き起こすことがあることを憶えておいて欲しい。

 リーファー輸送の話題からはそれるが、その好例を《回想の1》として紹介したい。

《回想の1》「原料ブドウの混醸比」

 十数年前であっただろうか。「ワインのリーファー輸送」の提案以来親しくしていた専門紙記者の取材に同行して、山梨県勝沼町を訪れた時に、笑えない事態を目の当たりにした。

 問題は、私も大変参考にさせていただいていた某先生のワイン辞典の中の記述である。ボルドーのいくつかのシャトーの香味特性の解説に「原料ブドウの混醸比」との表現があったのだ。

 この意味をどうとるかは、私自身も過去に数年間悩み続けた問題でもあった。ただ、私の場合は、数年間成果のあるはずもない脳内労働を強いられただけだったが、勝沼町のワイン農家の若き後継者の方々の場合は、経済的実害を被った方が多数おられた出来事であった。

「収穫期の違う複数の品種のブドウ果を混ぜて醗酵させる?」
「どっ! どうヤルンダァー?」
「最後の収穫のブドウがそろうまでどうやって保存するんだ?」
「生の果房なんて微生物だらけじゃないか! すぐに腐敗や醗酵が始まってしまうぞ!」
「そうか! ジュースにして保存するのか?」
「いや○○先生の記述はボルドーの赤ワインの解説だぞ!」
「果皮成分の抽出が出来ないじゃないか!」
「そうか! 皮は冷凍保存ということか?」
「イヤ! それなら生果房を冷凍保存する方が効率的だし安全だなあ?」

 結果、私が勝沼で目にしたのは、ワイン農家の庭先に複数設置されたFRPパネルの大きなプレハブ式冷凍冷蔵倉庫であった。

「これって? ひょっとして○○先生の『原料ブドウの混醸比』の記述にひっかかちゃったの?」と問うと、「うん! エライ出費だったよ!」とか「オレ、まだローン終わってないよ!」という返答が帰ってきたのだ。

 これは、ボルドーの生産者情報として記載されている「Grape Varieties」や「Cepage」の項目の%表示を、○○先生は「原料ブドウの混醸比」と思い込んでしまったのだろう。これは実は畑での品種構成比、つまり「原料ブドウの栽培比率」だったのである。

 我々日本人は、ブドウの蔓も株も実も房も、すべて「ブドウ」として捉えている。ブドウ栽培とワイン醸造が接して日の浅い“異文化”でしかない我々日本人にとっては、「Grape Varieties」や「Cepage」の表記は、酷な表現である。

 しかし、フランス人にとってのブドウは、その始まりはローマ人の侵略と共にもたらされた“異文化”ではあったが、千数百年の歴史の中で日常風景の一部となり、“固有の文化”として育んできたのである。

 少し辞書で調べてみたのだが、その観察眼・分別眼は細かい。「ブドウの実」は「raisin」であり、「ブドウの房」は「grappe」であり、「ブドウの木」は「vigne」であり、「老成し独立して立っているブドウの株」は「cep」と呼び、「支えを必要としているブドウの木」は「treille」と呼び別け、「ブドウの苗木」と「品種」は同じ言葉「cepage」と呼んでいる。

 ここで問題なのが「cepage」の和訳である。「ブドウの苗木」の意味でもある「cepage」の訳の一つが「品種」というのは、「ブドウの苗木の種類」と解釈するのが妥当であろう。だとすれば、ボルドーの生産者情報にある「cepage」の項目の%表示は「ブドウの苗木の種類」の%表示であり、「原料ブドウ(品種)の栽培比率」の和訳に正当性が与えられるのである。

 私の知る業界人の中には、単に私への反発なのかも知れないのだが、「原料ブドウ別ワインのブレンド比率」だと主張する人達も存在する。

 しかし、ボルドーのシャトー・ワインの生産規模は数万本から数十万本というスケールであり、現実にそのようなスケールの生産ワインを均一なブレンド比率で出荷することなど不可能なのである。プールのように巨大なミキシング・タンクが必要となり、年に一度だけの使用のために巨額の設備投資をするなどあり得ないことである。

 いや、過去に一社が一度だけそれを実行したことがあったが、そのワインは惨憺たる品質となり、二度目のチャレンジはなかったと聞き及んでいる。

ワイン理解の“推理小説”への誘い

 今般、FoodWatchJapanのサイト上に発言の場をいただけるという話が飛び込んできた。「定温」の意味の再周知を願っていた私にとっては渡りに船の思いだ。

 私の望むところは、かなりの部分の問題提起は私からさせていただくが、一方通行ではなく、錯誤のない共通認識を持って情報交換し、多くの酒類愛好家の方々と共に、推理小説でも読み解くように、酒の醍醐味の事実確認の行程を、楽しく共有できたらと思っている。

 25年前のような「酒類業界」への提言という限定したスタンスではなく、「酒類愛好家」の方々までを含めて、当時の回想を織り込みながら、解かりやすく以下の解説を進めて行きたい。

  1. 「リーファー輸送」とは何なのか?
  2. 「ワインのリーファー輸送」はなぜ必要だったのか?
  3. 「ワインのリーファー輸送」とはどの様な効果をワインに与えたのか?
  4. 「ワインのリーファー輸送」実現後に生じた問題点は? 留意点は?

《回想の2》なぜか原発事故が

 私の「ワインのリーファー輸送」提言は、1986年4月11日付けの酒類業界紙「酒販ニュース」に掲載されたのだが、当日はわけあって南アフリカにいた。4月26日にヘトヘトの体で成田に帰着し、迎えの知人が持って来てくれた「酒販ニュース」の掲載記事を読んでいる時、空港に臨時ニュースが流れた。それはチェルノブイリ原子力発電所事故の第一報だった。

 今回、対象読者を拡大して「ワインのリーファー輸送」の解説を行おうとした矢先に東日本大震災が起こり、東京電力福島第一原子力発電所事故が起きてしまった。なんとも不思議な巡り合わせではあるし首筋が寒い。

 報道で耳にする東電や原子力安全委員会の言い訳「安全対策上、想定外の津波」は「コスト計算上、想定外の津波」が本音であろう。

 チェルノブイリ事故当時のワイン業界についての回想も、今後披露することがあると思う。

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About 大久保順朗 82 Articles
酒類品質管理アドバイザー おおくぼ・よりあき 1949年生まれ。22歳で家業の菊屋大久保酒店(東京都小金井市)を継ぎ、ワインに特化した経営に舵を切る。「酒販ニュース」(醸造産業新聞社)に寄稿した「酒屋生かさぬように殺さぬように」で注目を浴びる。また、ワインの品質劣化の多くが物流段階で発生していることに気付き、その改善の第一歩として同紙上でワインのリーファー輸送の提案を行った。その後も、輸送、保管、テイスティングなどについても革新的な提案を続けている。