美食時代の到来と料理人の誕生

324「ポトフ 美食家と料理人」から(1)

今回から2回にわたり、「ごはん映画ベスト10 2023年 洋画編」(本連載第321回参照)で1位になった「ポトフ 美食家と料理人」の魅力を紐解いていく。

 本作は、「美味礼讃」(1825)の著者、ジャン・アンテルム・ブリア=サヴァラン(1755—1826)をモデルに1924年に出版されたマルセル・ルーフの小説「La vie et la passion de Dodin Bouffant gourmet」を原案としたオリジナルストーリーである。「青いパパイヤの香り」(1993、本連載第92回参照)、「ノルウェイの森」(2010)のトラン・アン・ユンが脚本と監督を務め、2023年の第76回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞している。

※注意!! 以下はネタバレを含んでいます。

ドダンとウージェニーの美食研究所

 本作の時代は19世紀末。“ホテル王”セザール・リッツ(1850—1918)が、“近代フランス料理の父”オーギュスト・エスコフィエ(1846—1935)をモナコのホテルの料理長に迎えた話題が午餐会のシーンで出てくることから、1885年頃と思われる。舞台はフランスの片田舎の静謐せいひつな森の中にたたずむシャトー(邸宅)。“料理界のナポレオン”の異名を持つ50代の美食家ドダン・ブーファン(ブノワ・マジメル)と、女性の料理人ウージェニー(ジュリエット・ビノシュ)は、20年にわたりここで食を探求し続けてきた。ドダンが考えたメニューとレシピを、ウージェニーが完璧に再現する厨房は、さながら料理研究所のようである。

 本作を観て生じた疑問は、ドダンとウージェニーの取り組みは、この時代と場所においてリアリティがあるものなのかということ。二人の行いは作品に違和感なく溶け込んでいるので余計に気になる。そこで確認のため、美食家と料理人を取り巻く時代背景を調べてみることにした。

 本連載第287回で紹介した「デリシュ!」(2022)では、本作の舞台と推定される時代に先立つことおよそ100年前、1789年のフランス革命と王政崩壊により、王侯貴族に雇われていた料理人たちが、レストランを開くまでが描かれた。それまで王侯貴族のみの楽しみだった美食の追求が、ブルジョア市民にもできるようになり、ガストロノミー(美食学)が開花。これに重要な役割を果たしたのが、美食家(ガストロノーム、グルマン)と料理人である。それぞれの代表的な人物の足跡をたどりながら、ドダンとウージェニーと比較してみたい。

フランスに現れた美食家たちとドダン

 ドダンのモデルになったサヴァランは、ドダンより前の時代のフランス革命後を生きた人物である。「美味礼讃」でサヴァランは、ガストロミーの考え方から具体的な料理の内容までをわかりやすく表現し、好評を博した。

 一方、サヴァランと同時代のグリモ・ド・ラ・レニエール(1758—1837)は、ミシュランガイドのようなグルメガイドブックの先駆けとも言える「L’almanach des gourmands」(1803—1812)の刊行で知られる。

 時代は下り、ミシュランガイド初期の顧問を務めた“食通の王”キュルノンスキー(1872—1956、本名モリス・エドモン・サイヤン)は、本作の原案の著者マルセル・ルーフと美食ガイドブック「La France gastronomique」(1921—1928、F. Rouff名義。日本での通称「美食のフランス」)を共同出版。フランス郷土料理の素晴らしさを伝えた。

 ドダンがこれら他の美食家たちと異なる点は、メニューやレシピの開発にまで踏み込んでいることだ。本作ではドダンの美食仲間が4人登場するが、彼らは医師のラバス(エマニュエル・サランジェ)をはじめ、いずれも料理とは関係のない職業に就いている。これに対し、ドダンが料理以外の仕事をしている様子はなく、レストランも開いていない。ドダンが何で生計を得ていたのかは映画の中では描かれていない。原案の小説も未読のため想像の域を出ないのだが、恐らくはウージェニーと共同で開発した新メニューのレシピ本のようなものを出版したり、それに伴う活動をしていたのだと思う。だとすれば、それはほとんど料理人の領域である。

カレームを尊敬するウージェニー

カレーム(右)が考案したシェフの制服と帽子(「Le Maître d'hôtel français」挿絵より)。
カレーム(右)が考案したシェフの制服と帽子(「Le Maître d’hôtel français」挿絵より)。

 料理人の先達としては、まずマリー=アントナン・カレーム(1784—1833)が挙げられる。貧しい生い立ちからパティシエの下働きとして出発したカレームは、ピエス・モンテ(工芸菓子)で頭角を現す。政界の大物で美食家のタレーラン(1754—1838)に重用され、菓子以外にも多くのフランス料理を考案。「Le Pâtissier Pittoresque」(1815、和書名「ル パティシエ ピトレスク: 絵画のように美しいお菓子の菓子職人」)、「Le Maître d’hôtel français」(1822)、「The royal Parisian pastrycook and confectioner」(1825、和書名「パリの宮廷菓子職人」)、「L’Art de la cuisine française au XIXe siècle」(1833)などの著書を通じてレシピを後世に伝えた。またカレームは、現代のシェフも着用している制服と帽子の基本デザインを考案したことでも知られている。

 本作の会話シーンでは何度かカレームへの言及があり、カレームを尊敬しているウージェニーが、「Le Maître d’hôtel français」の挿絵に載っているカレームの肖像(イラスト参照)を、物語の鍵となる少女ポーリーヌ(ボニー・シャニョー=ラヴォワール)に見せるシーンもある。

 今日フレンチを含む多くの専門店やホテルで一般的に行われるでロシアン・サービス()は、カレームの弟子ユルバン・デュボワ(1818—1901)がフランス料理に導入して普及させたと言われている。

 そしてエスコフィエが、カレームの技法を基礎にフランス料理を単純化、体系化、大衆化し、現代フランス料理の基礎を築いた。その集大成とも言えるレシピをまとめた1903年のエスコフィエの著書「Le guide culinaire」(和書名「エスコフィエフランス料理」)は、現在もフランス料理の教科書として重用されている。またエスコフィエが軍隊のシステムを基に、役割分担と作業分担を明確にした厨房の組織構造「ブリゲード・ド・キュイジーヌ」を考案したことは、本連載第305回 「ウイ、シェフ!」(2022)でも述べた。

 料理人の世界は男社会として発達してきたように見えるが、それはレストランに限った話で、当時のブルジョワ家庭が使用人に料理をさせるのは、ごく普通のことであった。もっともドダンとウージェニーは、主人と使用人を越えたバディのような関係である。また、父はパリのパティシエで、料理は母から学んだというウージェニーは、パリのレストランでシェフだった過去を持つ「バベットの晩餐会」(1987、本連載第61回参照)のバベットを想起させる。

 以上を概観した結果、ドダンとウージェニーの物語には、美食家と料理人の歴史の裏付けがあるとわかり、心おきなく作品を楽しむことができるようになった。次回は作品の具体的な内容に踏み込んでいこうと思う。

※ロシアン・サービス:料理を厨房でプラターに盛り付け、客席でこれを客らに示した上で、ゲリドン(サイドテーブル)上で1人前ずつ取り分け、適宜仕上げを施して銘々にサービスする方式。これ以前にフランスで一般的だったフレンチ・サービスは、大皿に盛った料理を客一人ずつに差し出して、客自身に取らせる。なお、これらサービス方式の名称とその方法の説明は人や組織によって多様であり、この説明も絶対のものではない。


【ポトフ 美食家と料理人】

公式サイト
https://gaga.ne.jp/pot-au-feu/
作品基本データ
原題:LA PASSION DE DODIN BOUFFANT
製作国:フランス
製作年:2023年
公開年月日:2023年12月15日
上映時間:136分
製作会社:Curiosa Films, Gaumont=France 2 Cinema, UMEDIA
配給:ギャガ
カラー/サイズ:カラー/アメリカンビスタ(1:1.85)
スタッフ
監督・脚本:トラン・アン・ユン
製作総指揮:クリスティーヌ・ドゥ・ジェケル
製作:オリヴィエ・デルボス
撮影:ジョナタン・リッケブール
アートディレクション・衣裳:トラン・ヌー・イェン・ケー
美術:トマ・バケニ
料理監修:ピエール・ガニェール
編集:マリオ・バティステル
キャスト
ドダン:ブノワ・マジメル
ウージェニー:ジュリエット・ビノシュ
ラバス:エマニュエル・サランジェ
グリモー:パトリック・ダスマサオ
マーゴット:ヤン・ハメネッカー
ポーポワ:フレデリック・フィスバック
ヴィオレット:ガラティーア・ベルージ
ポーリーヌ:ボニー・シャニョー=ラヴォワール
オーギュスタン:ジャン=マルク・ルロ
ポーリーヌの父:ヤニック・ランドレイン
ポーリーヌの母:サラ・アドラー
ユーラシア皇太子のシェフ:ピエール・ガニェール

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。