「歩いても 歩いても」と「海よりもまだ深く」の家庭料理

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現在公開中の「海よりもまだ深く」は、同じ是枝裕和監督による2007年作品「歩いても 歩いても」と舞台や人物を入れ替えながら姉妹作のように似た構造を持つ作品である。今回はこの2作を比較しながら劇中に登場する家庭料理の数々をご紹介していく。

同じ役名の使用に小津の影響を見る

 まず2作に共通する要素として挙げられるのは、主人公を演じるのが阿部寛で役名が「良多」であること。この名前は2012年の阿部主演のテレビドラマ「ゴーイング マイ ホーム」の坪井良多と2013年の「そして父になる」で福山雅治が演じた野々宮良多を合わせると是枝作品では実に4度目の登場である。その他にも彼の作品においては母役の「とし子・淑子」、姉役の「ちなみ・千奈津」等同じような役名が繰り返し登場するのが特徴である。

 是枝監督は主人公の名前に良多を多用する理由について自身のtwitter(http://twitter.com/hkoreeda)でフォロアーからの質問に対し「字と響きが好きで。高校のバレー部にそういう名前の後輩がいて、いつか使わせてもらおうと思ってたんです」と述べているが、これが小津安二郎の影響であることは明らかだろう。「晩春」(1949)、「麦秋」(1951、本連載第3回参照)、「東京物語」(1953)という原節子の「紀子三部作」をはじめ、笠智衆ら父役の「周吉・周平」等俳優や役名を固定させながら似て異なる物語の話法を一作一作収斂させていった偉大な先達の足跡をなぞることで、今の日本映画をしょって立とうという彼の覚悟のほどがうかがえる。

 また「麦秋」の紀子の兄や「東京物語」の紀子の夫のように故人が不在によってより存在感を増すパラドックスや、食べ物が大きな意味を持つところも小津作品の特徴を踏襲した2作の共通点である。

「歩いても 歩いても」のとうもろこしのかき揚げ

横山家のオリジナル料理であるとうもろこしのかき揚げ。
横山家のオリジナル料理であるとうもろこしのかき揚げ。

「歩いても 歩いても」は京浜急行が通る久里浜の高台に建つ横山家が舞台。街から家に続く坂道と階段は、まるで別の世界へといざなう入口のようである。父の恭平(原田芳雄)は地域の医療を支える開業医であったが現在は引退し妻のとし子(樹木希林)と二人暮らし。長女のゆかり(YOU)は自動車販売会社に勤める信夫(高橋和也)と結婚し2人の子供がいる。そして次男で絵画修復士の良多は、今は亡き前夫との間にあつし(田中祥平)という連れ子がいるゆかり(夏川結衣)と結婚したばかりだが、現在は失業中。このような家族が15年前に亡くなった長男・純平の命日に集まったひと夏の出来事を描いたホームドラマである。

「歩いても 歩いても」人物相関図。
「歩いても 歩いても」人物相関図。

 この映画の見どころの一つが、久しぶりに子や孫を迎えたとし子が腕によりをかけて作る得意料理の数々。ゆかりに大根のきんぴらのレシピを伝授するところからはじまり、豚の角煮、枝豆とみょうがの混ぜごはん、白玉団子等、とし子の専業主婦としてのスキルを示す夏のメニューの数々は料理研究家のフルタニマサエによるものだが、是枝監督がアイデアを出したのがとうもろこしのかき揚げである。

 良多は子供の頃からとうもろこしの粒取りが得意で、その粒をとし子が衣と絡めて時折ポップコーンのように弾けるのを避けながら器用に揚げていく。とし子曰く、ゆでたり焼いたりするより揚げた方が甘みが増すとのことで、これは「ゴールドラッシュ」や「味来」といった高糖度のとうもろこし品種が主流になる前の主婦の知恵だろう。そしてこの調理が今は亡き純平の思い出を呼び覚まし、ことあるごとに出来の良い兄と比較されて育ったというコンプレックスを抱いた良多が、自分のしたことまで兄の記憶にすり替わっている母の言葉に静かに傷付いていく様子がうまく描かれている。

とうもろこしのかき揚げ レシピ

【材料(4人分)】

  • とうもろこし:2本
  • A:小麦粉1/2カップ、ベーキングパウダー小さじ1/2、塩少々
  • B:水1/2カップ、卵黄1/2個
  • 揚げ油:適量
  • ゴマ油:少々
  • 小麦粉:適量

【作り方】

  1. とうもろこしの粒を取る。
  2. BにAを加えて、さっと混ぜて衣を作る。
  3. とうもろこしは小麦粉少々をふりかけてから衣の中に入れ、フライ返しなどでひとまとめにしてごま油少々を加え、180℃に熱した揚げ油でかき揚げにする。

(参考文献:「歩いても 歩いても」DVD特製ブックレット)

「海よりもまだ深く」のカルピス氷

「海よりもまだ深く」は是枝監督が9歳から28歳まで住んでいたという西武池袋線沿線の清瀬旭が丘団地を主な舞台に、ある秋の出来事を描いた作品である。この団地は昭和の高度経済成長時代の1967年に建てられ、現在では住民の高齢化が進んでいる。

「こんにゃくはゆっくり冷まして一晩寝かせたほうが味が染みるのよ。人とおんなじで」

 映画は、清瀬旭が丘団地の住人でこの春に夫と死別した篠田淑子(樹木)が、喪中ハガキの宛名書きの手伝いに来た長女の千奈津(小林聡美)に筑前煮の秘訣を語るセリフで始まる。元開業医で経済的に余裕があった「歩いても 歩いても」(以後前作)の横山家に比べ、亡き夫の浪費のせいで練馬の一戸建てからこの団地に越してきた篠田家は中流層の貧困化の典型例だが、つとめて明るく振る舞う淑子の存在が映画全体のトーンをコメディタッチにしている。小津作品にたとえれば、前作が紀子三部作とすれば本作は「大人の見る繪本 生まれてはみたけれど」(1932)、「長屋紳士録」(1947)、「お早よう」(1959)といったところだろうか。

 また15年前に大きな出来事があったことも2作の共通点で、本作では息子で小説家の良多(阿部)が処女作「無言の食卓」で文学賞を受賞している。しかし彼はそれ以来1本の小説も書けずに収入もなく、妻の響子(真木よう子)には愛想を尽かされて長男の真悟(吉澤太陽)を連れて離婚されてしまっている。今では取材と称して探偵事務所に勤めているが、給料は競輪で消えてしまうという父親似のダメ男である。冒頭の淑子の筑前煮のセリフは、いまだに大人になりきれない息子を味の染みていないこんにゃくにたとえたともとれる。

原液少なめでカチカチに凍ったカルピス氷。
原液少なめでカチカチに凍ったカルピス氷。

 そんな良多が30℃を超える残暑日に、父が遺した金目のものがないかと実家を物色する。そこを案の定母に見つかり、言い訳をしているところに出されたのが自家製のカルピス氷。カルピスをグラスに注いで冷凍庫で凍らせただけのものだが、倹約家の淑子らしく原液が少なめのためカチカチに凍ってしまっていてスプーンで削らないと食べられず良多に「ケチりすぎだろ」とツッコまれてしまう。おまけにラップをかけていないため冷蔵庫独特の匂いが染みついてしまっているのだが、全く意に介さずに冷蔵庫の扉をうちわ代わりに開閉しながら「上の方は削って避ければばいいじゃない」という淑子のボケぶりは漫才のようで、前作よりずぼらな母親の性格がうかがえる。

 また良多が真悟と会う月一度の日曜日、真悟が淑子のことを書いた作文を見せに実家を訪れたところ台風の接近で帰れなくなり、真悟を迎えに来た響子も合わせて4人で作って食べたのがカレーうどん。作りおきして冷凍しておいたかつおだしのカレーを解凍し、ジャガイモと油揚げとグリーンピースを入れるのが篠田家の定番だ。亡き父も好きでたくさん作っておいたという母の言葉に、良多は「半年も前かよ」とドン引きするが、既に食べた後で手遅れであった。

 本作でフードスタイリストを務めたのは「かもめ食堂」(2006、本連載第22回参照)や「南極料理人」(2009、本連載第38回参照)、「体脂肪計タニタの社員食堂」(2013、本連載第49回参照)、「映画 深夜食堂」(2015、本連載第94回参照)等でおなじみの飯島奈美で、こうした何気ない家庭料理でもおいしそうに見せる技術はお手のものといった感じである。

 久しぶりに顔を合わせた元嫁と息子のよりを何とか戻せないかという母の心情にあふれたもてなしであったが、その気遣いが実を結ぶかどうかは実際に映画をご覧いただくとして、最後に淑子がいう「幸せってのはね、なにかをあきらめないと手にできないもんなのよ」という言葉は小津作品にも通じるこの2作の共通のテーマであることを申し添えておく。

タイトルの由来は昭和の歌謡曲

 この2作はタイトルの付け方も共通していて、「歩いても 歩いても」は1968年のいしだあゆみの歌謡曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」
、「海よりもまだ深く」は1987年のテレサ・テンの歌謡曲「別れの予感」の歌詞の一節からそれぞれとられている。またキーワードとなる大相撲の黒姫山やフィギュアスケートのジャネット・リン等、2作とも昭和の要素がそこかしこにちりばめられているので、そのあたりもお楽しみいただきたい。


【歩いても 歩いても】

公式サイト
http://www.aruitemo.com
製作国:日本
製作年:2007年
公開年月日:2008年6月28日
上映時間:114分
製作会社:「歩いても 歩いても」製作委員会(エンジンフィルム、バンダイビジュアル、テレビマンユニオン、衛星劇場、シネカノン)
配給:シネカノン
カラー/サイズ:カラー/アメリカンビスタ(1:1.85)
スタッフ
原作・脚本・監督・編集:是枝裕和
脚本協力:北原栄治
企画:安田匡裕
製作:川城和実、重延浩、久松猛朗、李鳳宇
プロデューサー:加藤悦弘、田口聖
撮影:山崎裕
美術:磯見俊裕、三ツ松けいこ
装飾:鈴木千奈
音楽:ゴンチチ
録音:弦巻裕、大竹修二
音響効果:岡瀬晶彦
照明:尾下栄治
衣装デザイン:黒澤和子
ヘアメイク:酒井夢月
製作担当:三辺敬一
助監督:兼重淳
スクリプター:飯塚美穂
料理指導:フルタニマサエ
キャスト
横山良多:阿部寛
横山ゆかり:夏川結衣
片岡ちなみ:YOU
片岡信夫:高橋和也
横山あつし:田中祥平
片岡さつき:野本ほたる
片岡睦:林凌雅
松寿司店長・小松健太郎:寺島進
横山家の隣人・西沢ふさ:加藤治子
横山とし子:樹木希林
横山恭平:原田芳雄

【海よりもまだ深く】

公式サイト
http://gaga.ne.jp/umiyorimo
製作国:日本
製作年:2016年
公開年月日:2016年5月21日
上映時間:117分
製作会社:フジテレビジョン、バンダイビジュアル、AOI Pro.、ギャガ(制作プロダクション AOI Pro.)
配給:アンプラグド
カラー/サイズ:カラー/1:1.78
スタッフ
原案・脚本・監督・編集:是枝裕和
エグゼクティブプロデューサー:桑田靖、中江康人、松下剛
製作:石原隆、川城和実、藤原次彦、依田巽
プロデューサー:松崎薫、代情明彦、田口聖
撮影:山崎裕
美術:三ツ松けいこ
装飾:松葉明子
音楽:ハナレグミ
録音:弦巻裕
音響効果:岡瀬晶彦
照明:尾下栄治
衣装:黒澤和子
ヘアメイク:酒井夢月
キャスティング:田端利江
アソシエイトプロデューサー:大澤恵
制作担当:中円尾直子
助監督:兼重淳、遠藤薫
スクリプター:矢野千鳥
フードスタイリスト:飯島奈美
キャスト
篠田良多:阿部寛
白石響子:真木よう子
中嶋千奈津:小林聡美
中嶋正隆:高橋和也
山辺康一郎:リリー・フランキー
町田健斗:池松壮亮
白石真悟:吉澤太陽
福住馨:小澤征悦
仁井田実:橋爪功
篠田淑子:樹木希林

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。